志賀健次郎
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志賀 健次郎 しが けんじろう | |
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生年月日 | 1903年(明治36年)12月10日 |
出生地 |
日本 岩手県東磐井郡 大東町(現一関市) |
没年月日 | 1994年9月28日(90歳没) |
死没地 | 日本 東京都 |
出身校 |
岩手県立一関中学校 早稲田大学政治経済学部政治学科卒 |
前職 | 朝日新聞記者 |
所属政党 |
(民主党→) (改進党→) (日本民主党→) (自由民主党) |
第15代 防衛庁長官 | |
内閣 | 第2次池田内閣 (第2次改造) |
在任期間 | 1962年7月18日 - 1963年7月18日 |
選挙区 | 旧岩手2区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1947年 - 1969年 |
志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12月10日[1] - 1994年(平成6年)9月28日[1])は、日本の政治家。防衛庁長官(第15代)、衆議院議員(9期)を務めた[2]。
経歴
[編集]岩手県東磐井郡、のちの大東町(現一関市)出身[1]。岩手県立一関中学校を経て、1931年(昭和6年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒[1]。朝日新聞記者を経て、1941年大日本産業報国会参事、1942年に翼賛選挙に非推薦で立候補し敗れる[要出典]。1947年の総選挙で初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)。保守合同後も有田喜一・荒木万寿夫・小島徹三らと芦田均派を維持するが、芦田の死後は三木武夫派に加入。1962年、第2次池田内閣で防衛庁長官に就任。その後、1969年の総選挙で落選し、政界を引退した。1974年、勲一等瑞宝章を受章。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ 編『政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 4816918051。
関連項目
[編集]- 番町政策研究所(三木派)
公職 | ||
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先代 藤枝泉介 |
防衛庁長官 第15代:1962年 - 1963年 |
次代 福田篤泰 |
議会 | ||
先代 中村庸一郎 |
衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 | 次代 小沢佐重喜 |