コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

前田勲男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 勲男
まえだ いさお
生年月日 (1943-02-04) 1943年2月4日
没年月日 (2016-08-22) 2016年8月22日(73歳没)
出身校 慶應義塾大学法学部卒業
所属政党 自由民主党
称号 正三位旭日大綬章
法学士(慶應義塾大学・1965年
親族 前田佳都男

日本の旗 第59代 法務大臣
内閣 村山内閣
在任期間 1994年6月30日 - 1995年8月8日

選挙区 和歌山県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1978年2月19日 - 1998年7月25日
テンプレートを表示

前田 勲男(まえだ いさお、1943年2月4日 - 2016年8月22日)は、日本政治家位階正三位

自由民主党所属の参議院議員を4期務め、務法務大臣を務めた。

来歴・人物

[編集]

1965年慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。

1978年自由民主党所属の参議院議員である前田佳都男が死去。これにより同年行われた和歌山県選挙区補欠選挙に後継として立候補し、初当選した。父と同じく自民党に所属し、以後当選4回。

通産政務次官などを経て村山内閣法務大臣1994年6月30日 - 1995年8月8日[1]に就任し、初入閣。法相在任中に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教事件捜査起訴が進む中で盗聴おとり捜査司法取引を前向きに検討する考えを示す。約13ヶ月の在任中、5人の死刑囚死刑執行を命令した。

1998年第18回参議院議員通常選挙で、自由党から立候補した鶴保庸介に敗れ、そのまま政界を引退した。その後、鶴保は保守党、保守新党を経て自民党に入党し、前田の事実上の後継者となった。

2016年8月22日、脳梗塞のため死去[2]。73歳没。

その後、政府より、正三位に叙された[3][4]

家族

[編集]

父である前田佳都男は、郵政官僚であり、のちに政治家に転じ参議院議員となった。

略歴

[編集]

死刑執行命令数

[編集]
  • 405日の法務大臣在任中、合計5名の死刑囚死刑執行を命令した。

脚注

[編集]
  1. ^ 村山内閣
  2. ^ 前田勲男元法相が死去”. NHKニュース (2016年8月25日). 2016年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月25日閲覧。
  3. ^ 故前田元法相に正三位 - 時事ドットコム 2016年9月16日(2016年10月5日閲覧)
  4. ^ 『官報』6869号(平成28年9月30日)
  5. ^ 羽田元首相、倍賞千恵子さんら4099人受章”. 産経新聞 (2013年4月29日). 2023年2月7日閲覧。
公職
先代
中井洽
日本の旗 法務大臣
第59代:1994年 - 1995年
次代
田沢智治
議会
先代
梶原敬義
日本の旗 参議院建設委員長
1993年 - 1994年
次代
合馬敬
先代
高木正明
日本の旗 参議院議院運営委員長
第44代:1993年
次代
大森昭
先代
下条進一郎
日本の旗 参議院商工委員長
1986年 - 1987年
次代
大木浩