藤田進 (政治家)
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藤田 進(ふじた すすむ、1913年2月10日 - 2003年3月1日)は、昭和期の政治家、参議院議員(5期)。労働運動家、第2代総評議長。教育者、大阪工大摂南大学(現学校法人常翔学園)総長・理事長。経済学博士(法政大学)。
来歴
[編集]広島県賀茂郡黒瀬町(現:東広島市)生まれ。1932年、関西工学校(現大阪工業大学)土木科卒業。ウェイン州立大学留学。広島県庁を経て、中国電力に勤務し、戦後、労働運動に明け暮れ1952年総評議長就任。炭労(日本炭鉱労働組合)、電産(日本電気産業労働組合)の二大争議を指導した。[1]
1953年参院選全国区に日本社会党から出馬し初当選(連続5期)。1960年、法政大学から経済学博士の学位を授与される。1962年には大阪工業大学教授に就任、さらに1966年に学校法人大阪工業大学理事に就いた。そして1969年には、学校法人大阪工業大学理事長に就任。1975年に摂南大学、1998年に広島国際大学を郷里黒瀬町に開設。また裁判官弾劾裁判所裁判員、検察官適確審査委員を歴任。参議院国会対策委員長を歴任[2][3]。
1983年政界引退。勲一等旭日大綬章を授与。引退後は対中外交に尽力。黒龍江大学名誉教授、同済大学名誉教授。逝去直前まで学校法人大阪工大摂南大学(学校法人大阪工業大学が改称、現在の学校法人常翔学園)の総長・理事長であった[4][5]。
2003年3月1日、心不全のため死去、90歳[6]。死没日をもって正三位に叙される[7]。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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当 | 第3回参議院議員通常選挙 | 1953年4月24日 | 全国区 | 左派社会党 | 222,550 | 33/234 | - | - | ||
当 | 第5回参議院議員通常選挙 | 1959年6月2日 | 広島県地方区 | 日本社会党 | 244,744 | 30.4 | 2/5 | - | - | |
当 | 第7回参議院議員通常選挙 | 1965年7月4日 | 広島県地方区 | 日本社会党 | 396,256 | 42.9 | 2/3 | - | - | |
当 | 第9回参議院議員通常選挙 | 1971年6月27日 | 広島県地方区 | 日本社会党 | 335,398 | 34.7 | 2/4 | - | - | |
当 | 第11回参議院議員通常選挙 | 1977年7月10日 | 広島県地方区 | 日本社会党 | 330,676 | 26.3 | 2/4 | - | - | |
当選回数5回 (参議院議員5) |
脚注
[編集]- ^ http://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/research/dglb/rn/rn_list/rn1952-295.pdf
- ^ 第15回国会 衆議院 労働委員会 第4号 昭和27年12月2日
- ^ 第25回国会 参議院 社会労働委員会 第7号 昭和31年11月28日
- ^ 「藤田 進」 。コトバンクより2023年2月12日閲覧。
- ^ 大阪工業大学 図書館 本学出身芸術家 作品
- ^ “元社会党参院議員の藤田進さん死去 第2代総評議長”. 朝日新聞. (2003年3月2日). オリジナルの2003年3月3日時点におけるアーカイブ。 2023-0216閲覧。
- ^ 『官報』第3574号7-8頁 平成15年3月28日号
議会 | ||
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先代 松永忠二 |
参議院建設委員長 1967年 - 1968年 |
次代 岡三郎 |
先代 亀田得治 |
参議院内閣委員長 1957年 - 1958年 |
次代 永岡光治 |