中村利次
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中村 利次(なかむら としつぐ、1917年(大正6年)3月3日[1] - 1980年(昭和55年)9月1日[2])は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。位階は従四位、勲等は勲二等。
経歴
[編集]長崎県南高来郡南有馬町で、船員の家の4人兄姉の末子として生まれた[3]。1934年(昭和9年)長崎県立島原中学校卒業[2][4]。
1938年に上京し、京王電気軌道入社[4]。1942年、太平洋戦争の勃発にともなう配電統制令により、電力供給事業を関東配電(いわゆる国策会社)に譲渡したため会社を移る[4]。徴兵され大村連隊に入隊し、日中戦争に従軍し戦傷を受けて日本に帰還し、広島の陸軍病院に入院した[3]。
戦後、労働運動に加わり、1946年(昭和21年)電産都支部変電分会組織部長に就任[3]。1951年、関東配電と日本発送電を再編して、東京電力が創立されたため会社を移る[4]。全国電力労働組合連合会副会長を経て、1969年、東京電力労働組合中央執行委員長就任[4]。その他、電労連政治活動委員会参与、関東地方電労協会長、民社党電力政策特別委員長などを務めた[3]。
1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙で全国区に民社党から出馬して初当選[2][5]。1977年(昭和52年)7月、第11回通常選挙でも再選され[6]、参議院議員に連続2期在任した[2]。この間、1979年、民社党統制委員となり[7]、参議院民社党国会対策副委員長などを務めた[2]。
1980年、参議院議員在職中に、肺癌のため東京電力病院において死去[4]。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲八等からの昇叙)、従四位に叙される[8]。
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』449頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』371頁。
- ^ a b c d 「私たちの参院候補 組織内四候補の横顔」51-53頁。
- ^ a b c d e f 第93回国会 参議院 本会議 第1号 昭和55年9月29日
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』551頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』554頁。
- ^ 法政大学大原社研
- ^ 『官報』第16092号16-17頁 昭和55年9月9日号
- ^ “第91回国会 参議院 大蔵委員会 第5号 昭和55年3月18日”. 国会会議録検索システム (1980年3月18日). 2020年11月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 「私たちの参院候補 組織内四候補の横顔 / 栗林卓司 ; 柴田利右エ門 ; 中村利次 ; 藤井恒男」『同盟』149、全日本労働総同盟、1970年12月。
- 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』 日外アソシエーツ、2003年。