木島虎蔵
木島 虎蔵(虎藏、きじま とらぞう、1901年(明治34年)12月18日[1] - 1983年(昭和58年)7月29日[1][2])は、昭和期の鉄道技術者・官僚、実業家、政治家。参議院議員、日本通運会長。旧姓は上山。
経歴
[編集]鳥取県[1][2]気高郡湖山村(現鳥取市)で上山昇の二男として生まれ、八頭郡若桜町、木島可恵の養嗣子となる[3]。1926年(大正15年)東京帝国大学工学部機械工学科を卒業[2][3]。1929年(昭和4年)10月、高等試験行政科試験に合格し[3][4]、1930年(昭和5年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した[2][3]。同年、鉄道省に入省し鉄道局技手に任官[1][4]。
その後、金沢運輸事務所長、鉄道総局業務局保安課長、運転局運行課長、札幌鉄道局長、総裁室勤務、運輸総局輸送局長、日本国有鉄道理事などを歴任した[1][2][3]。その他、日本電線監査役、車両電気協会顧問、日本鉄道技術協会参与などを務めた[3]。
1953年(昭和28年)4月の第3回参議院議員通常選挙で全国区に無所属で出馬して当選し[3][5]、自由民主党に所属し参議院議員に1期在任した[1][2]。この間、第2次岸内閣法務政務次官、自民党鳥取県連会長などを務めた[1][2][3]。
1968年(昭和43年)日本通運会長に就任し1974年(昭和49年)まで在任[1][3]。その他、日ノ丸自動車取締役、興亜林産社長、大東京観光自動車社長、日ノ丸窯業社長、日本石油輸送顧問、日本航空顧問なども務めた[1][2][3]。
1972年(昭和47年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲五等からの昇叙)[6]。
1983年(昭和58年)7月29日死去、81歳。死没日をもって従五位から従四位に叙される[7]。
著作
[編集]- 『ダイヤの話』交友社、1941年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。