松本英一 (参議院議員)
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松本 英一 まつもと えいいち | |
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生年月日 | 1921年1月5日 |
出生地 | 福岡県福岡市 |
没年月日 | 1994年7月19日(73歳没) |
出身校 | 明治大学専門部 |
前職 |
福岡県庁職員 松本治一郎議員秘書 松本組代表取締役社長 福岡県青年同盟委員長 部落解放同盟中央委員 |
所属政党 |
(日本社会党→) (左派社会党→) 日本社会党 |
称号 |
参議院永年在職議員 政治学士 |
親族 |
養父・松本治一郎 長男・松本龍 |
選挙区 |
(全国区→) 比例区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1968年7月8日 - 1994年7月19日 |
松本 英一(まつもと えいいち、1921年〈大正10年〉1月5日 - 1994年〈平成6年〉7月19日)は、日本の政治家、部落解放運動家、土木建築業者。松本治一郎の甥で養嗣子にあたる。元衆議院議員松本龍の父。参議院議員。
経歴
[編集]福岡県福岡市馬出出身。実父は松本治一郎の長兄の松本治七。英一の名は住吉高等小学校(治七・治一郎兄弟の母校)の校長の桜井英一(ふさかず。陸軍少佐桜井徳太郎の父)に由来し、松本英一の名も本来は「ふさかず」と読ませた[1]。
福岡県立福岡工業学校建築科を卒業し、1940年に福岡県庁職員となる。
1943年明治大学専門部政治経済科卒業。1945年、第二次世界大戦終了後に日本社会党結成に参加、1946年福岡県青年同盟を結成し委員長に就任する。
1947年にはおじの松本治一郎の秘書となった。1953年、家業である土建業松本組の職員となり1960年に部落解放同盟福岡県連合会副委員長となった。1966年、松本組取締役社長に就任する。この年治一郎が死去している。
1967年に部落解放同盟中央委員となり1968年の第8回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し初当選、以後全国区・比例区から5回連続当選を果たした。日中友好協会福岡県連合会顧問などを歴任した。
1994年7月19日、参議院議員在職中に死去した。73歳没[2]。
著書
[編集]- 『絶筆』(私家版、1966年)松本治一郎告別式冊子
家系図
[編集]松本次吉 ┏━治七━━(実子)英一↘︎ ┣━━━┫ ↘︎ チエ ┣━鶴吉 ↓ ┃ ↓ ┣━ハチ ┏━勝雄 ↓ ┃ ┣━━━━┫ ↓ ┃高丘松蔵 ┗━ヒサ ↓ ┃ ┃ ↓ ┃ 井元麟之 ↓ ┣━コト(島津家に嫁す) ↓ ┃ ↙ ┗━治一郎==(養子)英一 ┏━龍 ┃ ┃ ┃ ┣━治郎(18歳で急死) ┣━━┫ ┃ ┣━優三 瑠璃子 ┃ ┗━めぐみ