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千葉千代世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千葉 千代世
ちば ちよせ
生年月日 (1907-04-06) 1907年4月6日
出生地 日本の旗 日本千葉県安房郡大山村(現鴨川市平塚)
没年月日 (1991-03-10) 1991年3月10日(83歳没)
出身校 東京文化女学校専門部
前職 小学校教師
日本教職員組合役員
所属政党 日本社会党
称号 正四位
勲二等瑞宝章

選挙区 旧千葉3区
当選回数 1回
在任期間 1976年12月 - 1979年9月7日

選挙区 全国区
当選回数 2回
在任期間 1959年5月3日 - 1971年7月1日
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千葉 千代世(ちば ちよせ、1907年明治40年)4月6日 - 1991年平成3年)3月10日[1])は、日本政治家衆議院議員(1期)。参議院議員(2期)。旧姓は安田[2]

経歴

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1963年12月11日、衆参婦人議員懇談会が参議院の議長公邸で開かれた[3]。前列左から、粟山ひで戸叶里子本島百合子山口シヅエ。後列左から、林塩、千葉千代世、中上川アキ市川房枝藤原道子加藤シヅエ

千葉県安房郡大山村(現鴨川市平塚)で、安田常吉、さだ夫妻の長女として生まれる[2][4]。15歳で上京、東京文化女学校専門部卒[4]。書生をしながら小学校家庭科教師、保健婦の資格取得[4]1929年港区の小学校の学校衛生婦、1941年養護訓導となる[4]

戦後、1945年、東京都国民学校教職員組合結成に参加し婦人部長に就任[2]。また同年の日本社会党結成時に入党[4]日本教職員組合書記長、同副部長、同婦人部長、日本労働組合総評議会婦人協議会長などを務める[2]

1959年第5回参議院議員通常選挙全国区から日本社会党公認で立候補して初当選。連続2期務める。この間、文教委員、社会労働委員長を歴任した[2]

参議院議員退任後の1976年第34回衆議院議員総選挙旧千葉3区から立候補するも次点となったが、選挙後の同年12月に水田三喜男の死去により繰り上げ当選1977年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章[4]1979年まで衆議院議員を1期務めた。1991年3月10日死去、83歳。死没日をもって正四位に叙される[5]

人物

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新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった[6]

脚注

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  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』391頁。
  2. ^ a b c d e 『扉をひらいた人』17-18頁。
  3. ^ 『月刊婦人展望』1964年1月号、財団法人婦選会館出版部、2頁。
  4. ^ a b c d e f 千葉 千代世」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%8D%83%E8%91%89%20%E5%8D%83%E4%BB%A3%E4%B8%96コトバンクより2023年1月1日閲覧 
  5. ^ 『官報』第597号9-10頁 平成3年3月20日号
  6. ^ 第065回国会 予算委員会 第7号”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年2月4日閲覧。

参考文献

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  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 退職婦人教職員全国連絡協議会編著『扉をひらいた人 : 高田なほ子と千葉千代世』第一書林、1992年。
議会
先代
阿部竹松
日本の旗 参議院社会労働委員長
1966年 - 1967年
次代
山本伊三郎