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占部秀男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
占部秀男
うらべ ひでお
生年月日 1909年2月11日[注釈 1]
出生地 日本の旗 日本 神奈川県
没年月日 (1978-10-13) 1978年10月13日(69歳没)
出身校 日本大学商科卒業
前職 東京都職員
所属政党日本社会党→)
左派社会党→)
日本社会党
称号 正四位
勲二等旭日重光章

選挙区全国区→)
東京都選挙区
当選回数 3回
在任期間 1956年7月8日 - 1974年7月7日
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占部 秀男(うらべ ひでお、1909年明治42年)2月11日[1][注釈 1] - 1978年昭和53年)10月13日[2][3])は、昭和期の労働運動家、政治家参議院議員

経歴

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神奈川県出身[2][3]1929年(昭和4年)日本大学商科を卒業した[2][3]

1929年、東京毎夕新聞社に入社[3]。その後、東京都主事に転じた[3]。労働運動に加わり、東京都職員労働組合委員長(7期)、全日本自治団体労働組合(自治労)委員長(5期)、官公労議長などを務めた[2][3]。自治労政治部長、同東京都本部地方選挙対策委員長として、美濃部亮吉革新知事の実現に尽力した[2]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙全国区日本社会党公認で出馬して落選[4]1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙で全国区に左派社会党公認で出馬して落選[5]1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙に全国区から社会党公認で出馬して初当選[6]。以後、第6回通常選挙(全国区)、1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙東京都地方区)でも再選され[7]、参議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、参議院逓信委員長、同公害対策特別委員長、社会党中央執行委員、同東京都本部委員長、参議院社会党副委員長などを務めた[2][3]

1978年(昭和53年)死去、69歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』258頁、『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』93頁では「7月」。

出典

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  1. ^ 『日本人事録 第6版 全国篇』158頁。
  2. ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』93頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』258頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』539頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』544頁。
  6. ^ 参議院議員通常選挙結果調 昭和31年7月執行 98コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』442、548頁。
  8. ^ 『官報』第15530号16-17頁 昭和58年10月20日号

参考文献

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  • 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
光村甚助
日本の旗 参議院逓信委員長 次代
田中一