青山正一
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青山正一 あおやま しょういち | |
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生年月日 | 1905年2月9日 |
出生地 | 日本 石川県 |
没年月日 | 1972年6月6日(67歳没) |
出身校 | 中央大学法学部 |
前職 | 日ソ漁業対策協議会副会長 |
所属政党 |
(無所属→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 |
従四位 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年5月3日 - 1959年5月2日 |
青山 正一(あおやま しょういち、1905年(明治38年)2月9日[1] - 1972年(昭和47年)6月6日[2][3])は、昭和期の水産業関係者、実業家、政治家。参議院議員。
経歴
[編集]石川県出身[2][3]。中央大学法学部を修了した[2][3]。
農林省嘱託、京都水産業会長、京都漁業組合連合会長、京都商工会議所参与、全国漁村同盟委員長、財団法人水産研究会理事、京都水産 (株) 会長、大日本水産会理事、日本定置網漁業組合理事、日本旋網漁業協会副会長、日ソ漁業対策協議会副会長などを務めた[2][3]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で全国区から無所属で出馬して初当選し[2][4]、1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙で全国区から自由党公認で出馬して再選され[5]、参議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、第4次吉田内閣・北海道開発政務次官、参議院法務委員長などを務めた[2][3]。1959年(昭和34年)6月の第5回通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補したが落選した[6]。
1972年(昭和47年)6月6日死去、67歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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