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阿部竹松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿部 竹松(あべ たけまつ、1912年明治45年)3月7日[1] - 1973年昭和48年)4月13日[2][3])は、昭和期の労働運動[4]政治家参議院議員

経歴

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秋田県[5]雄勝郡[3]で生まれる。北海道上川郡和寒村(現和寒町)に家族と共に移住[5][注 1]。1923年(大正12年)和寒尋常高等小学校を卒業[2][5]。その後、秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を中退した[5][注 2]

農民運動にかかわった後[5]、1937年(昭和12年)三菱鉱業(現三菱マテリアル)に入社し[2]大夕張砿業所(三菱大夕張炭鉱)保安係となる[3][5]。1945年(昭和20年)大夕張炭鉱労働組合の結成に参画し副委員長となる[3]日本社会党北海道連の結成に加わる[3]。1947年(昭和22年)大夕張炭鉱労組委員長に就任し[5]、同年、夕張市議会議員となる[2][3]。全石炭北海道地方本部副執行委員長、全国三菱炭鉱労働組合連合会長、日本炭鉱労働組合北海道地方本部委員長を経て、1953年(昭和28年)炭労中央執行委員長に就任した[2][3][5]

1956年(昭和31年)7月、第4回参議院議員通常選挙全国区から日本社会党所属で出馬して当選[2][5][6]。1962年(昭和37年)7月、第6回通常選挙でも再選されたが[2][3]、補欠当選のため当初3年任期となるが、同年9月、松村秀逸が死去したため6年任期となる[3][7]。1968年(昭和43年)7月、第8回通常選挙には出馬せず[8]、参議院議員を連続2期務めた[2][3][5]。この間、参議院石炭対策特別委員長、同社会労働委員長、社会党参議院国会対策委員長などを務め[2][5]、石炭政策転換への対応に尽力した[5]

1973年(昭和48年)4月13日死去、61歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[9]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』22頁では昭和7年。
  2. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』22頁では卒業。

出典

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  1. ^ 『読売年鑑 昭和34年版』424頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参院議員名鑑』232頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』22頁。
  4. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 46頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『北海道歴史人物事典』15頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』546頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』549頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』550-551頁。
  9. ^ 『官報』第13894号16-17頁 昭和48年4月19日号

参考文献

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  • 『読売年鑑 昭和34年版』読売新聞社、1958年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
小柳勇
日本の旗 参議院社会労働委員長 次代
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小柳勇
日本の旗 参議院石炭対策特別委員長 次代
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