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野本品吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野本品吉

野本 品吉(のもと しなきち、1893年3月15日[1] - 1968年1月28日)は、日本政治家衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。日本退職公務員連盟会長[2]国民党国民協同党自由民主党を渡り歩いた。協同組合主義者。

来歴

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群馬県出身[3]1913年群馬県師範学校本科第二部卒業[3]。群馬の小学校校長、青年学校長、視学を歴任[3]1946年第22回衆議院議員総選挙に群馬県選挙区から無所属で出馬し、当選。その後、早川崇笹森順造らとともに中道政治の実現を目指し、国民党結成に参画し、中央常任委員に就任した。のちに三木武夫岡田勢一らとともに国民協同党に所属した。1947年第23回衆議院議員総選挙にて群馬県第2区から国民協同党公認で再び出馬し、社会党和田操らを抑えて定数3のところ、3位で当選した。1949年第24回衆議院議員総選挙では、長谷川四郎らに押し出される形で落選。1953年第3回参議院議員通常選挙全国区で当選。1959年第5回参議院議員通常選挙でも全国区で当選した。1965年第7回参議院議員通常選挙には出ず、政界引退。同年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲六等からの昇叙)[4]

国会議員としては、参議院文教委員長、参議院法務委員長、参議院自民党政策審議会副会長を歴任した[3]。また、第2次池田第2次改造内閣法務政務次官に就任した。

1968年1月28日死去、74歳。死没日をもって正七位から正四位に叙され、銀杯一組を賜った[5]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、9頁。
  2. ^ http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/3018/1/J2010_56akazawa.pdf
  3. ^ a b c d 野本 品吉」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E6%9C%AC%20%E5%93%81%E5%90%89コトバンクより2023年2月6日閲覧 
  4. ^ 『官報』第11670号15-16頁 昭和40年11月4日号
  5. ^ 『官報』第12339号7-8頁 昭和43年2月5日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
議会
先代
中野文門
日本の旗 参議院文教委員長
1964年-1965年
次代
山下春江
先代
青山正一
日本の旗 参議院法務委員長
1958年-1959年
次代
古池信三