田口長治郎
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田口長治郎 たぐち ちょうじろう | |
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生年月日 | 1893年6月10日 |
出生地 | 日本 長崎県島原市 |
没年月日 | 1979年5月4日(85歳没) |
出身校 |
農林省水産講習所本科卒業 (現・東京海洋大学) |
前職 | 実業家 |
所属政党 |
(民主自由党→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1968年7月8日 - 1974年7月7日 |
選挙区 | 旧長崎1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1949年 - 1966年12月27日 |
田口 長治郎(たぐち ちょうじろう、1893年6月10日[1] - 1979年5月4日[2])は、日本の政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員(7期)。
来歴・人物
[編集]長崎県島原市に生まれる。長崎県立島原中学校を経て、農林省水産講習所(後に東京水産大学を経て現東京海洋大学)本科卒業[1][2]。長崎県、山形、滋賀、茨城各県の水産試験場勤務[1][2]。1937年農林省水産局に入る。1941年、華中水産株式会社に転職し、取締役副社長となる[1][2]。戦後は長崎で共和水産株式会社を設立して社長になる[1][2]。また、日本遠洋底引網漁業協会理事長、長崎県水産振興対策本部副本部長、県漁港協会会長に就任した[1]。
1949年の第24回衆議院議員総選挙長崎1区に民主自由党から出馬し、初当選。以後7期連続当選。1958年、衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長[3][2]。1960年7月、第1次池田内閣農林政務次官[2]。1965年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲六等からの昇叙)[4][5]。1967年の第31回衆議院議員総選挙で落選。
1968年の第8回参議院議員通常選挙全国区当選。1974年の参院選には出馬せず、政界引退。
1979年5月4日、死去。死没日をもって従五位から従三位に叙される[7]。同月16日、長崎市名誉市民。
その他
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会 | ||
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先代 西村尚治 |
参議院内閣委員長 1971年 |
次代 柳田桃太郎 |
先代 秋田大助 |
衆議院社会労働委員長 1963年 - 1965年 |
次代 松沢雄蔵 |
先代 福永一臣 |
衆議院水産委員長 1953年 - 1954年 |
次代 田淵光一 |
先代 中川俊思 |
衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長 | 次代 廃止 |