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日高広為

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日高 広為(日高 廣爲[1]、ひだか ひろため、1919年大正8年)7月1日[2] - 1991年平成3年)1月1日[3])は、昭和期の農業指導者、実業家政治家参議院議員(1期)。

経歴

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鹿児島県[4]姶良郡、のちの国分市[3][5](現霧島市)出身。鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を経て[5]、1942年(昭和17年)早稲田大学商業部を卒業した[3][4][5]

1942年(昭和17年)満州電気化学に入社[3][4][5]。召集され陸軍に入隊し、大刀洗陸軍飛行学校教官、少年飛行兵区隊長などを務めて終戦を迎えた[4][5]

戦後、1946年(昭和21年)霧島村農業会経済部長に就任[5]。青年運動に取り組んだ[5]。姶良郡たばこ耕作連合会長、鹿児島県議会議員(4期)、同副議長(3期)、自由民主党鹿児島県連政調会長(5期)などを務めた[3][4]

1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙全国区から自民党公認で出馬し、たばこ耕作者組織の支援を受けて当選し[3][5][6]、参議院議員に1期在任した[3][4]。この間、第2次佐藤第1次改造内閣農林政務次官などを務めた[4]。1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙に全国区から立候補したが落選した[5][7]

その他、全国たばこ耕作者政治連盟幹事長、鹿児島県たばこ耕作組合連合会長、東襲山農業協同組合長、三州産業社長、鹿児島県たばこ住宅社長、国分澱粉社長などを務めた[3][4]

1989年(平成元年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[1]

1991年(平成3年)1月1日死去、71歳。死没日をもって正八位から正五位に叙される[8]

脚注

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  1. ^ a b 『官報』号外第155号1頁 平成元年11月4日号
  2. ^ 『日本人事録 第6版』全国篇、758頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『現代物故者事典 1991~1993』493-494頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』390頁。
  5. ^ a b c d e f g h i 『郷土人系 上』215-216頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』549頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』551頁。
  8. ^ 『官報』第550号9-10頁 平成3年1月18日号

参考文献

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  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。