西村尚治
西村 尚治 にしむらしょうじ | |
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生年月日 | 1911年2月1日 |
没年月日 | 1997年10月15日(86歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部政治学科 |
前職 | 国家公務員(郵政省) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正三位 勲一等瑞宝章 |
内閣 | 三木改造内閣 |
在任期間 | 1976年9月15日 - 1976年12月24日 |
選挙区 |
(全国区→) 鳥取県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1965年 - 1989年 |
西村 尚治(にしむら しょうじ、1911年(明治44年)2月1日[1] - 1997年(平成9年)10月15日[2])は、日本の郵政官僚、政治家。参議院議員[3](4期)。国務大臣総理府総務長官兼沖縄開発庁長官[2]。
来歴・人物
[編集]鳥取県東伯郡大栄町(現・北栄町)出身[1]。第六高等学校を経て、1936年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格し逓信省に入省。中野郵便局属[4]。戦後は郵政省に移り、資材局調整課長、大臣官房文書課長、大臣官房資材部長、大阪郵政局長などを経て、1960年5月に簡易保険局長[5]。1961年6月に郵務局長[5]。1962年5月15日には郵政事務次官に就任した[1]。1964年6月に退官[1]。
1965年7月、第7回参議院議員通常選挙の全国区に自由民主党から出馬し初当選。その後、第9回、第11回参議院議員通常選挙でも再選された。この間、特定郵便局関係者の支援を受けており、第9回の選挙では関係者13人が逮捕されている[6]。
1983年6月の第13回参議院議員通常選挙では鳥取県選挙区に転じて再選され連続4期務めたが、1989年7月の第15回参議院議員通常選挙では落選し、政界を引退。自民党では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属した。
参議院議員としては、内閣委員長、予算委員長、沖縄北方特別委員長、自由民主党政務調査会副会長、自民党参議院議員副会長などを務める。また、1976年9月、三木内閣の総理府総務長官兼沖縄開発庁長官に就任した。
その他、全国特定郵便局長会顧問などを務めた。
1997年10月15日、急性心不全のため東京都目黒区の自宅で死去、86歳[7]。死没日をもって正六位から正三位に昇叙[8]。出身地の住所は鳥取県倉吉市山根[3]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 「西村 尚治」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』 。コトバンクより2023年2月6日閲覧。
- ^ a b c 北栄町名誉町民北栄町公式サイト。2021年5月18日閲覧。
- ^ a b 『政治家人名事典』397頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、322頁
- ^ a b 『人事興信録 第38巻、第2号』1995年2月発行、81頁
- ^ 「元官僚派の違反目立つ」『中國新聞』昭和46年7月8日7面
- ^ “訃報”. 産経新聞. (1997年10月17日). オリジナルの2000年10月16日時点におけるアーカイブ。 2023年2月6日閲覧。
- ^ 『官報』第2253号6-7頁 平成9年10月30日号
- ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊。
- ^ 『官報』号外第155号1頁 平成元年11月4日号
参考文献
[編集]- 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056。
公職 | ||
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先代 植木光教 |
総理府総務長官 第23代:1976年 |
次代 藤田正明 |
先代 植木光教 |
沖縄開発庁長官 第6代:1976年 |
次代 藤田正明 |
議会 | ||
先代 土屋義彦 |
参議院予算委員長 1983年 - 1984年 |
次代 安田隆明 |
先代 八田一朗 |
参議院内閣委員長 1970年 - 1971年 |
次代 田口長治郎 |
先代 安田隆明 |
参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 | 次代 志村愛子 |