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高橋文五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高橋 文五郎(たかはし ぶんごろう、1893年11月28日[1] - 1978年3月19日[2])は、日本実業家政治家参議院議員(2期、自由民主党)。

来歴

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宮城県栗原郡若柳町(現・栗原市)出身[3]1915年早稲田大学商学部[1][2]。卒業後は七十七銀行に入り、支店長となる[1]。その後、家業の醸造業を継ぎ、のち栗原鉄道(株)を創立、社長に就任する[2]

若柳町長(1935.11.28-1943.8.15)[4]を務めたが、戦時中に地元の大政翼賛会の役員をしていたため、戦後、公職追放となる[5]

宮城県議を5期務め、議長を2期務める[2]1965年高橋進太郎の宮城県知事選出馬による参議院補欠選挙で当選[6]。同年春の叙勲で勲四等瑞宝章受章[7]1968年第8回参議院議員通常選挙で再選した[6]1971年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[8]1974年第10回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した(後継者は遠藤要)。この間、第2次田中角栄第1次改造内閣法務政務次官、参議院文教委員長、自由民主党宮城県連会長などを務めた[3][2]

この他、宮城県水産配給社長、仙台放送副社長、東北電力監査役[2]東日本放送社長[9]なども務めた。

1978年3月19日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙され、銀杯一組を賜った[10]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c 『大衆人事録』第19版、東日本篇、325頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』348頁。
  3. ^ a b c 『宮城県百科事典』652頁。
  4. ^ 『若柳町史』旧若柳町長.口絵写真。
  5. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、616頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ a b 『朝日選挙大観』572頁。
  7. ^ 『官報』第11513号14-19頁 昭和40年4月30日号
  8. ^ 『官報』号外第49号7頁 昭和46年4月30日号
  9. ^ 『宮城県史』29 人物編7、123頁。
  10. ^ 『官報』第15360号14-15頁 昭和58年3月29日号

参考文献

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  • 『大衆人事録 第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 宮城県編『宮城県史』(財)宮城県史刊行会、1986年。
  • 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 『若柳町史』若柳町史編纂委員会、1974年。
議会
先代
楠正俊
日本の旗 参議院文教委員長
1971年
次代
大松博文