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高橋清 (宮城県議会議長)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高橋 清(たかはし きよし、1889年明治22年〉3月[1] - 1968年昭和43年〉10月7日[2])は、日本政治家宮城県議会議員(4期)[3][4]宮城県登米郡吉田村長(2期)[3][4]

来歴

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宮城県登米郡吉田村(のち米山町、現・登米市)に生まれる[3][4][5]1912年〈明治45年〉早稲田大学を卒業[3][4][5][6]。卒業後は河北新報社に入り、記者となる[3][4][5][6]。退社後は、吉田村で開拓農場を開いた[2]

1929年〈昭和4年〉宮城県会議員に当選[3][5][2]1931年〈昭和6年〉に県議を退職し[7]、吉田村長に就任した[8]。村長を2年務め[8]1939年〈昭和14年〉に県議に復帰した[7]1947年〈昭和22年〉に宮城県議会議長に就任[5][7]。同年吉田村長に返り咲いた[9]。また、宮城県町村会会長も務めた(1949年〈昭和24年〉まで)[10]

1949年〈昭和24年〉の宮城県知事選挙に立候補したが、民主自由党に推された元代議士佐々木家寿治に敗れた[3][5]。吉田村長は1951年〈昭和26年〉まで務め[9]、同年県議に復帰し[7]、通算4期務めた。

その後は夕刊とうほく取締役、河北新報監査役などを歴任した[2]。1968年〈昭和43年〉に死去した。

脚注

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  1. ^ 第14版『大衆人事録』北海道 奥羽 関東 中部篇、宮城の項30頁。
  2. ^ a b c d 『米山町史』729頁。
  3. ^ a b c d e f g 『宮城県百科事典』651頁。
  4. ^ a b c d e 『宮城県姓氏家系歴史人物大辞典』371頁。
  5. ^ a b c d e f 『宮城県史』29 人物編7、121頁。
  6. ^ a b 『米山町史』728頁。
  7. ^ a b c d 『米山町史』160頁。
  8. ^ a b 『米山町史』158頁。
  9. ^ a b 『米山町史』159頁。
  10. ^ 『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会歴代会長。

参考文献

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  • 第14版『大衆人事録』北海道 奥羽 関東 中部篇、帝国秘密探偵社、1943年。
  • 米山町史編纂委員会編『米山町史』米山町役場、1974年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 宮城県編『宮城県史』(財)宮城県史刊行会、1986年。
  • 宮城県町村会編『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会、1992年。