高橋清 (宮城県議会議長)
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高橋 清(たかはし きよし、1889年〈明治22年〉3月20日[1] - 1968年〈昭和43年〉10月7日[2])は、日本の政治家、宮城県議会議員(4期)[3][4]。宮城県登米郡吉田村長(2期)[3][4]。
来歴
[編集]宮城県登米郡吉田村(のち米山町、現・登米市)に生まれる[3][4][5]。1912年〈明治45年〉早稲田大学を卒業[3][4][5][6]。卒業後は河北新報社に入り、記者となる[3][4][5][6]。退社後は、吉田村で開拓農場を開いた[2]。
1929年〈昭和4年〉宮城県会議員に当選[3][5][2]、1931年〈昭和6年〉に県議を退職し[7]、吉田村長に就任した[8]。村長を2年務め[8]、1939年〈昭和14年〉に県議に復帰した[7]。1947年〈昭和22年〉に宮城県議会議長に就任[5][7]。同年吉田村長に返り咲いた[9]。また、宮城県町村会会長も務めた(1949年〈昭和24年〉まで)[10]。
1949年〈昭和24年〉の宮城県知事選挙に立候補したが、民主自由党に推された元代議士の佐々木家寿治に敗れた[3][5]。吉田村長は1951年〈昭和26年〉まで務め[9]、同年県議に復帰し[7]、通算4期務めた。
その後は夕刊とうほく取締役、河北新報監査役[2]、日本工業株式会社社長[1]などを歴任した。1968年〈昭和43年〉に死去した。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 米山町史編纂委員会編『米山町史』米山町役場、1974年。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 宮城県編『宮城県史』(財)宮城県史刊行会、1986年。
- 宮城県町村会編『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会、1992年。
- 宮城県議会史編さん委員会編『宮城県議会史 第5巻 資料篇』宮城県議会、1983年。