コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉田忠三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田忠三郎
よしだ ちゅうざぶろう
生年月日 1917年8月14日
出生地 日本の旗 日本 北海道爾志郡熊石村
(現・二海郡八雲町
没年月日 (1994-08-18) 1994年8月18日(77歳没)
出身校 札幌高等法律経済専門学校卒業
前職 鉄道省職員
所属政党 日本社会党
称号 正四位
勲二等旭日重光章

選挙区 北海道選挙区
当選回数 3回
在任期間 1962年7月8日 - 1980年7月7日

テンプレートを表示

吉田 忠三郎(よしだ ちゅうざぶろう、1917年大正6年)8月14日[1][2] - 1994年平成6年)8月18日[1])は、日本労働運動家、政治家参議院議員(3期)。号は鶴峰[1]

経歴

[編集]

北海道爾志郡熊石村(熊石町を経て現二海郡八雲町)出身[1][3]。札幌高等法律経済専門学校を卒業した[1][2][注 1]鉄道省に入省し鉄道官補となる[3]札幌市議会議員、国鉄労働組合北海道本部委員長、同中央本部委員長を務めた[1][2][3][4]

1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙北海道地方区から日本社会党公認で出馬して当選[1][3][5]第8回第10回通常選挙でも当選し[6]、参議院議員を連続3期務めた[1][2][3]。この間、参議院社会労働委員長、同交通安全対策特別委員長、北海道開発審議会委員、日本社会党政審副会長、同選挙対策副委員長、同参議院副会長、同政審委員長、同国会対策委員長、同財務副委員長、日ソ議員連盟副会長などを務めた[1][3]。1980年(昭和55年)6月の第12回通常選挙には出馬せず引退した[6]

その他、北海道商工連協同組合理事長を務めた[2]

栄典

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』444頁では修了。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典』674頁。
  2. ^ a b c d e 『市民・社会運動人名事典』482-483頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』444頁。
  4. ^ 吉田忠三郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%BF%A0%E4%B8%89%E9%83%8Eコトバンクより2023年2月25日閲覧 
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』407頁。
  6. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』408頁。
  7. ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊
  8. ^ 『官報』第1473号9-10頁 平成6年8月29日号

参考文献

[編集]
  • 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
加瀬完
日本の旗 参議院社会労働委員長 次代
佐野芳雄