小林篤一
小林 篤一(こばやし とくいち、1890年(明治23年)11月5日[1] - 1972年(昭和47年)11月23日[2])は、大正・昭和期の産業組合活動家、政治家。参議院議員(1期)。ホクレン農業協同組合連合会の創立者とされる[3]。
経歴
[編集]兵庫県城崎郡、のちの日高町(現豊岡市)で生まれる[3]。8歳で北海道に移住し、現在の岩見沢市[4][注 1]峰延町で農業を営む[3]。1914年(大正3年)峰延産業組合(現峰延農業協同組合)を設立し理事に就任し、組合長を30年務めた[2][3]。1919年(大正8年)北海道信用購買販賣組合聯合會(北聯、現ホクレン農業協同組合連合会)を設立し理事[注 2]に就任[2][4]。1936年(昭和11年)北聯会長に就任[3]。北海道食糧営団理事長、同農業会長、同青果物配給公社社長、北海道販売農協連会長、道購買農協連合会会長、道農協中央会会長、全販連理事、全購連理事などを歴任[2]。1954年(昭和29年)北聯会長に再任され、農産物加工事業の拡充を行った[3]。峰延信用購買販売利用組合長になって以来、業界団体要職に就いて育成発展に努め農業振興に寄与したとして1958年(昭和33年)、藍綬褒章受章[5][6]。
1962年(昭和37年)7月、第6回参議院議員通常選挙で北海道地方区から出馬して当選[2][3][7]。第2次佐藤内閣北海道開発政務次官、北海道開発審議会委員などを務めた[2][3]。1968年(昭和43年)7月、第8回通常選挙に出馬せず引退した[8]。同年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[5][9]。
その後、北海道共同募金会会長、日本ビート糖業協会顧問、北紡社長、北海道報徳社社長などを務めた[2][3]。
1972年(昭和47年)11月23日死去、82歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[5][10]。
受賞
[編集]伝記
[編集]- 佐々木治夫『小林篤一伝:系統運動の先駆者』北海道協同組合通信社、1973年。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『日本人事録 第6版』全国篇、374頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参院議員名鑑』307頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『北海道歴史人物事典』148頁。
- ^ a b “JAみねのぶの歴史”. JAみねのぶホームページ. JAみねのぶ (n.d.). 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b c 木村勝太郎『北海道酪農百年史 足跡と現状及び人物誌』159-160頁 樹村房 1985年
- ^ 『官報』第9561号56-58頁 昭和33年11月4日号
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』407頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』408頁。
- ^ 『官報』第12568号12頁 昭和43年11月4日号
- ^ 『官報』第13782号10-11頁 昭和47年12月1日号
参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版 全国篇』、中央探偵社、1963年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。