茜ケ久保重光
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茜ケ久保 重光 あかねがくぼ しがみつ | |
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生年月日 | 1905年8月31日 |
出生地 | 宮崎県 |
没年月日 | 1993年3月5日(87歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
所属政党 |
(日本社会党→) (左派社会党→) 日本社会党 |
選挙区 | 群馬県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1971年6月27日 - 1983年7月9日 |
選挙区 | 旧群馬1区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1955年2月27日 - 1960年10月24日 1963年11月21日 - 1966年12月27日 |
茜ケ久保 重光(あかねがくぼ しげみつ、1905年8月31日[1] - 1993年3月5日[1])は、日本の政治家。日本社会党で衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)を務めた。
経歴
[編集]宮崎県出身[1][2]。1937年早稲田大学政経学部卒[1]。卒業後は群馬県水上町にあった阿能川鉱山に入り[1]、所長になる[2]。戦後日本社会党に入り、妙義基地反対闘争委員長を経て[1][2]、1952年の第25回衆議院議員総選挙において群馬1区から左派社会党公認で立候補したが落選[3]。次の1953年の総選挙でも落選[3]。1955年の総選挙で初当選を果たし[3]、衆議院議員を通算3期務める。1967年の総選挙で落選[3]。同年8月の群馬地方区の補欠選挙に社会党公認で立候補したが落選[4]。1968年の第8回参議院議員通常選挙でも落選[4]。1971年の第9回参議院議員通常選挙で当選[4]。参議院議員を2期務めた。国会内では参議院逓信、決算の各委員長を歴任[1]。党内では群馬県連書記長、党中央委員などを務めた[2]。1983年に引退。1993年死去。
親族
[編集]子の茜ヶ久保淑郎は群馬県議会議員を務めた。東京都議会議員の茜ヶ久保嘉代子(都民ファーストの会所属)は孫嫁。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
議会 | ||
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先代 鈴木力 |
参議院決算委員長 1977年-1978年 |
次代 寺田熊雄 |
先代 杉山善太郎 |
参議院逓信委員長 1973年-1974年 |
次代 川村清一 |