森美秀
表示
森美秀 もり よしひで | |
---|---|
生年月日 | 1919年8月8日 |
出生地 | 千葉県勝浦市 |
没年月日 | 1988年5月15日(68歳没) |
出身校 | 玉川塾(専門部) |
前職 |
日本冶金工業取締役 昭和火薬代表取締役社長 |
所属政党 | 自由民主党(園田派→河本派) |
子女 | 長男・森英介(元法務大臣、衆議院議員) |
親族 |
父・森矗昶(元衆議院議員) 兄・森曉(実業家、元衆議院議員) 兄・森清(元衆議院議員) 妹・安西満江 姉・三木睦子(元首相夫人) 義兄・三木武夫(元内閣総理大臣、元衆議院議員) 妹・田中三重子 従兄・岩瀬亮(元衆議院議員) |
第17代 環境庁長官 | |
内閣 | 第2次中曽根第2次改造内閣 |
在任期間 | 1985年12月28日 - 1986年7月22日 |
選挙区 | 旧千葉3区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1969年12月29日 - 1988年5月15日 |
森 美秀(もり よしひで、1919年8月8日 - 1988年5月15日)は、日本の政治家、企業家。自由民主党の衆議院議員。千葉県勝浦市出身。長男は自由民主党衆議院議員の森英介。
来歴・人物
[編集]父は森コンツェルンの総帥で衆議院議員の森矗昶。森清、森曉、三木武夫の妻睦子の弟にあたる。
1940年に玉川塾(専門部)を卒業し、日本冶金工業に入社する。戦後は、東亜精機代表取締役、苫小牧ファーム社長などを歴任。1949年9月3日、東京青年商工会議所(現、東京青年会議所)の発足に参画。発足当初のチャーター・メンバー48名のひとりとなる。
兄・清の急死により、後継者として1969年の第32回衆議院議員総選挙に出馬し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。以後当選7回。自民党では園田直派を経て、義兄の三木武夫派-河本敏夫派に所属した。衆議院大蔵委員長、自民党国会対策副委員長、副幹事長、大蔵政務次官、経済企画政務次官などを経て、1985年に第2次中曽根内閣第2次改造内閣の環境庁長官として初入閣。
1988年5月15日死去。享年68。長男・英介が地盤を引き継いで後継者となった。
家族
[編集]- 父・森矗昶 ‐ 政治家
- 兄・森曉 ‐ 政治家
- 兄・森清_(千葉県の政治家)
- 姉・三木睦子 ‐ 三木武夫の妻
- 妹・安西満江 ‐ 安西正夫の妻
- 妹・田中三重子 ‐ 田中覚の妻
- 妻・雅 ‐ 前山久吉の娘。義兄に大和生命社長の前山宏平。その岳父に小泉策太郎。姉たちの婚家に丹羽長徳子爵家、味の素創業家など。[1]
- 長男・森英介
- 従兄・岩瀬亮 (政治家)
脚注
[編集]出典
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 石本茂 |
環境庁長官 第17代:1985年 - 1986年 |
次代 稲村利幸 |
議会 | ||
先代 森喜朗 |
衆議院大蔵委員長 1982年 - 1983年 |
次代 瓦力 |
先代 近藤鉄雄 |
衆議院科学技術委員長 1982年 |
次代 永田亮一 |