宮里松正
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宮里 松正 みやざと まつしょう | |
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生年月日 | 1927年11月3日 |
出生地 | 日本 沖縄県 |
没年月日 | 2003年10月26日(75歳没) |
死没地 | 日本 沖縄県那覇市 |
出身校 | 日本大学法学部卒業 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | 自由民主党(加藤G→無派閥) |
称号 | 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 沖縄県全県区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1986年12月10日 - 1996年9月27日 |
在任期間 | 1971年8月4日 - 1972年5月14日 |
宮里 松正(みやざと まつしょう、1927年11月3日 - 2003年10月26日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員を3期務めた。
略歴
[編集]伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1927年 沖縄県生まれ
- 日本大学法学部卒業後、弁護士を務める
- 1971年 第10代琉球政府行政副主席
- 1972年 沖縄県副知事
- 1982年 第12回参議院議員通常選挙沖縄県選挙区補欠選挙落選
- 1986年 國場幸昌から後継に指名され、第38回衆議院議員総選挙沖縄県全県区当選(自由民主党)
- 1990年 第39回衆議院議員総選挙で当選し、第2次海部内閣沖縄開発政務次官に就任
- 1991年 加藤グループに参加
- 1993年 第40回衆議院議員総選挙当選
- 1996年 政界引退。嘉数知賢を後継者に指名
- 1997年 勲二等瑞宝章受章[1]
- 2003年 心不全のため那覇市内の病院で死去
著書
[編集]- 『三中学徒隊 沖縄戦で散った学友に捧ぐ鎮魂の詞』(三中学徒之会、1982年)
- 『復帰二十五年の回想』(沖縄タイムス社、1998年)
家族
[編集]- 息子 光雄(那覇市議会議員)
脚注
[編集]- ^ 「97年秋の叙勲受章者勲三等以上の一覧」『読売新聞』1997年11月3日朝刊
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)
議会 | ||
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先代 鈴木宗男 |
衆議院沖縄及び北方問題 に関する特別委員長 1995年 - 1996年 |
次代 仲村正治 |
先代 臼井日出男 |
衆議院科学技術委員長 1994年 - 1995年 |
次代 野呂昭彦 |