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末松義規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
末松 義規
すえまつ よしのり
内閣府副大臣就任に際して公表された肖像写真
生年月日 (1956-12-05) 1956年12月5日(68歳)
出生地 日本の旗 福岡県北九州市八幡西区
出身校 日本の旗 一橋大学商学部
アメリカ合衆国の旗 プリンストン大学大学院
前職 国家公務員外務省
所属政党旧民主党→)
民主党→)
民進党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党菅G江田G
称号 商学士
中東学修士
公式サイト 末松義規の公式サポーターサイト

選挙区東京都第19区→)
比例東京ブロック→)
(東京都第19区→)
(比例東京ブロック→)
東京都第19区
当選回数 8回
在任期間 1996年10月20日 - 2012年11月16日
2017年10月23日 - 現職
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末松 義規(すえまつ よしのり、1956年12月5日 - )は、日本政治家外交官立憲民主党所属の衆議院議員(8期)。

復興副大臣内閣府副大臣野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官野田内閣野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣菅直人第1次改造内閣菅直人第2次改造内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長東日本大震災復興特別委員長消費者問題に関する特別委員長青少年問題に関する特別委員長などを歴任。

祖父は日本統治時代の朝鮮京畿道知事補佐官を務めた末松武生[1][2]。外祖父は元南満州鉄道社員[3]。また縁戚に伊藤博文元総理の娘婿である末松謙澄がいる[1]

来歴

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2011年5月24日OECDフォーラムにてフランス24アンカーパーソンステファニー・アントワーヌ(左端)、シェリー・ブレア財団創設者シェリー・ブレア(左から2人目)、IDEAS財団理事長カルロス・ミュラス・グラナドス(右端)と
2011年9月5日野田内閣内閣総理大臣補佐官辞令交付後の記念撮影にて

福岡県北九州市八幡西区引野生まれ[4]。北九州市立引野小学校、北九州市立引野中学校、福岡県立東筑高等学校を経て、一橋大学商学部卒業[4]。中学校では柔道部、高校ではラグビー部、大学では少林寺拳法部に所属し、少林寺拳法は黒帯[4]。大学在学中は法学部皆川洸ゼミ(国際法)に所属していた[4]

1980年外務省に入省。同期に石井正文片上慶一越川和彦井出敬二須永和男小原雅博高橋礼一郎山田文比古山崎純水谷章らがいる。大学では中国語を学んでいたが、アラビア語研修を命じられた[4]。おりしもイラン・イラク戦争が勃発し、担当課に配属された[4]。その後、シリアエジプトでの語学研修を経て、プリンストン大学中東学部大学院修士課程に留学し、1986年に修了した。その後、在イラク日本国大使館二等書記官[4]。帰国後の1986年資源エネルギー庁石油部計画課に出向[4]1990年、外務省中近東アフリカ局中近東第二課に配属された直後、湾岸戦争が勃発した。

1994年、政治家を志し、外務省を退官した[4]。同年、調布市長選挙に無所属で立候補したが、現職の吉尾勝征に敗れた。

その後、旧東京7区選出の菅直人から後継指名を受け、1996年第41回衆議院議員総選挙東京19区(旧7区は18区・19区に分割され、菅は18区から出馬した)から旧民主党公認で出馬し、新進党前職の渡辺浩一郎らを破り、初当選した[4]

2000年第42回衆議院議員総選挙2003年第43回衆議院議員総選挙では、東京19区で再選[4]

2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、東京19区で自由民主党新人の松本洋平に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、4選[4]。同年9月12日、民主党代表の岡田克也が、総選挙大敗の責任をとり辞任を表明[5]。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[6]

2006年3月31日、民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明[7]。前原の辞任に伴う代表選挙(4月7日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[8]

2008年衆議院青少年問題に関する特別委員長に就任。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、東京19区で前回敗れた自民党の松本を比例復活すら許さない大差で破り、5選。同年、衆議院消費者問題に関する特別委員長に就任。

2010年菅直人第1次改造内閣内閣府副大臣消費者問題・沖縄政策・北方領土対策、海洋政策食品安全少子化対策男女共同参画ワーク・ライフ・バランス推進、自殺対策、共生社会政策)に任命され、菅直人第2次改造内閣まで務める[9]

内閣府副大臣在任中の2011年3月11日東日本大震災が発生し、6月27日より東日本大震災復興対策本部宮城現地対策本部長[4]。同年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明[10]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日実施)では鹿野道彦の推薦人に名を連ねた[11]。同年9月、野田内閣発足に際し、内閣総理大臣補佐官(東日本大震災復興対策担当)に起用され、10月からは復興担当に加え、少子化対策及び自殺対策も担当。野田第1次改造内閣でも留任した[12]

2012年2月10日復興庁の発足により首相補佐官を退任し、内閣府副大臣及び初代復興副大臣に任命され、野田第2次改造内閣でも留任[4]。10月、野田第3次改造内閣の発足に伴い内閣府副大臣、復興副大臣を退任し、衆議院東日本大震災復興特別委員長に就任。12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京19区で自民党元職の松本洋平に敗れ、比例復活もできず落選した[13]

2014年第47回衆議院議員総選挙にも民主党公認で東京19区から出馬したが、自民党前職の松本に敗れ落選した[14]

2016年3月27日、民進党が設立。末松は同党に所属する。

2017年9月28日、民進党の前原誠司代表が、民進党を事実上解党し、希望の党に合流する方針を表明[15]。それに先立ち、末松は9月25日に民進党に離党届を提出した[16]。10月2日、枝野幸男は新党「立憲民主党」を結党すると表明[17][18]。10月3日、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が東京19区に女子美術大学短大部非常勤講師の佐々木里加を擁立したことが明らかとなった[19][20]。末松は立憲民主党に入党し、10月6日、同党から東京19区で公認を受けた[21]。10月22日、衆院選執行。選挙戦では「誠実なリベラルの復活」を掲げ[22]、選挙区では自民党前職の松本に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、5年ぶりに国政に復帰した[23]

2018年10月24日、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長に選出された[24]

2020年9月15日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で新「立憲民主党」を結成[25]。末松も新党に参加。

2021年第49回衆議院議員総選挙で前回敗北した松本に競り勝ち7選(松本は比例復活で当選)[26][27][28][注 1]

2024年第50回衆議院議員総選挙で再び松本に競り勝ち8選(松本は比例復活で当選)[29]

政策・主張・発言

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2011年5月24日OECDフォーラムにて国際労働組合総連合シャラン・バロウ(左から2人目)、経済平和研究所創設者スティーブ・キルリー(右から2人目)らと

安全保障

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  • 日本国憲法第9条改正に反対[30]。外交官時代に直面したイラン・イラク戦争を契機に、護憲に転じた[4]。「元外交官として、戦争が想像を絶するものだと知っている。安保法廃止を訴えていく」としている[31]
  • 憲法への緊急事態条項の創設に反対[30]
  • 安全保障関連法は「廃止すべき」としている[30]
  • 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としており、非核三原則の「持ち込ませず」の部分の見直しについても「議論する必要はない」としている[30]
  • 日本の国防について、将来的に高度電磁波バリア、高度レーザー、サイバー高度技術などを用いて攻撃国の中枢機能・兵器体系を無力化することで、日本本土を防衛することを提案しており、日本をレーザー防衛する構想(エア・ボーン・レーザー)の研究開発を行うよう、国会質疑で石破茂防衛庁長官(当時)に要請した[32]

経済

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内政

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被災地視察珍道中発言

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  • 2007年7月18日新潟中越沖地震に自党の民主党議員らによる被災地視察を自身のブログで報告した際、渡部恒三水戸光圀古賀一成佐々木助三郎、自身を渥美格之進になぞらえて、「黄門様の珍道中」と表現した。その後、「被災されて困ってらっしゃる方々のいる地へ『珍道中』ですか?」「珍道中?被災者を馬鹿にしているとしか思えませんね」などと表現の軽率さを批判する意見が殺到したことで、「私の不用意な表現のために、不愉快なお気持ちをもたれた皆様並びに被災地の皆様に、改めて心からお詫び申し上げます」などと謝罪する文章をブログに掲載した[35]

外交・国際関係

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日韓関連
2004年12月12日、民主党内で日韓からアジアの新機軸を考える会を発足させ、会長に就任し、副会長には帰化した在日韓国人である白眞勲議員が就任した。12月18日には、ソウル市で日韓両国の議員や専門家による「アジア平和連帯」の創立式に参加した後、西大門刑務所参拝・献花を行い、刑務所施設を見学して「胸が締め付けられる思いだ」と述べた[36][37]
在日韓国人団体支援・外国人地方参政権賛成
外国人地方参政権の付与に賛成。参政権反対が希望の党への公認条件と知り、希望の党入りをやめた[38]2008年5月30日在日本大韓民国民団栃木県本部(金一雄団長)及び栃木韓国商工会議所(陳賢徳会長)との会合に白眞勲参議院議員とともに出席し、当時の民主党代表だった小沢一郎の下、諮問機関として「永住外国人の地方選挙権検討委員会」(渡部恒三委員長)が設置されたことを報告したうえで「住民の声を政治に反映させるのが政治家の務め。皆さんの参政権獲得の思いを、これまで以上に政治家の出身選挙区でぶつけることが獲得への近道だ」と述べ、外国人地方参政権の慎重派・反対派が提案する「帰化推進」策については「参政権と同列に扱う問題ではない」「帰化しない者に対する新たな差別が起きる。帰化するかしないかを踏み絵にすべきではない」と牽制した[39]
また、2009年11月26日には永田町衆議院第1議員会館で開催された、在日本大韓民国青年会や在日本大韓民国民団が主催する「永住外国人の地方参政権法案の早期立法化を求める11・26緊急院内集会」に参加し、在日外国人の参政権法案を早期に成立させる決意を表明した。この集会には末松の他、手塚仁雄小川敏夫渡辺浩一郎初鹿明博白眞勲(民主党)、近藤正道社会民主党)、鰐淵洋子魚住裕一郎公明党)、笠井亮日本共産党)が参加した[40]

ロシア関連

北方領土問題
2010年11月11日、テレビ番組に現職の内閣府副大臣として出演した際、この前日に北方領土の元島民らと懇談し、北方領土問題の早期解決を求められると「地元の声を外交当局や官邸に伝えたい」と表明していたが、「2008年にロシアが中国と正式画定させた国境交渉では、お互いに痛み分けで半分ずつにしている」「4島返還はロシア側にとって完璧な負け」としたうえで「今やれば(日本が求める)4島全部は取れない。タイミングをずっと延ばして一世代待ち、日本側が有利なタイミングを見るしかない」と述べた[41]。この発言について根室市議会から抗議を受け、「ウィン・ウィン(双方が勝者になる形)の関係による合意」やパレスチナ問題を例に挙げ「日本人みたいに性急ではなく、孫の代も考えてやっている」と釈明したが、市議会は「(北方領土は)ロシアの不当な占拠であり、ウィン・ウィンを前提とするのはやめてほしい」「パレスチナ問題とは状況が違う」と反論され、この一連のやり取りについて比例北海道ブロック選出の浅野貴博衆議院議員(新党大地)は質問主意書を用いて末松の発言を批判した[42]

ウクライナ大統領に対する侮辱発言

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  • 2022年2月26日2月24日開始されたロシアによるウクライナ侵攻について、自身のTwitterアカウントで元外務省国際情報局長の孫崎享の「ウクライナ国民の大誤算はアメリカが軍事的に助けてくれると信じ込まされたこと。信じた事。そしてロシアに喧嘩腰でもいいと思ったこと。軍事的な助けになんか来やしません」というツイートをスクリーンショット引用しながら、ウクライナ大統領であるウォロディミル・ゼレンスキーに対し「ゼレンスキー大統領のケースは、人気者だし魅力もある方ですが、ロシアという獰猛な国家から国を常に防衛せざるを得ない立場を考えると、『若さ』が『馬鹿さ』となったようにも感じます。しかし、当然ながら、最大の憤りを感じるのは、ウクライナ侵略をしたロシアのプーチン大統領の方ですが!! 」と投稿を行った[43]。後に批判を受け投稿は削除された[44]

台湾に関する発言

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  • 2022年11月29日の衆議院予算委員会において台湾問題について「台湾が独立するというような動き、これは封じて行かなければならない」と発言し、岸田首相に対し「台湾の独立は支持しない、と総理の口からはっきりおっしゃっていただきたい」と要求した。これに対し在日台湾人団体である全日本台湾連合会(全台連)は12月5日に公式SNSにて「これら一連の発言は正に台湾に対する著しい内政干渉で、台湾人の人権や国民感情を蹂躙するものだ」と抗議声明を投稿した。[45]

国政選挙歴

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当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 39 東京都第19区 旧民主党 7万6599票 32.52% 1 1/6 /
第42回衆議院議員総選挙 2000年06月25日 43 東京都第19区 民主党 11万8852票 45.41% 1 1/4 /
第43回衆議院議員総選挙 2003年11月09日 46 東京都第19区 民主党 13万6082票 52.94% 1 1/4 /
比当 第44回衆議院議員総選挙 2005年09月11日 48 東京都第19区 民主党 13万3180票 44.45% 1 2/3 1/6
第45回衆議院議員総選挙 2009年08月30日 52 東京都第19区 民主党 17万437票 55.04% 1 1/5 /
第46回衆議院議員総選挙 2012年12月16日 56 東京都第19区 民主党 8万1490票 27.64% 1 2/5 /
第47回衆議院議員総選挙 2014年12月14日 58 東京都第19区 民主党 8万7584票 33.34% 1 2/4 /
比当 第48回衆議院議員総選挙 2017年10月22日 60 東京都第19区 旧立憲民主党 9万540票 38.71% 1 2/4 2/4
第49回衆議院議員総選挙 2021年10月31日 64 東京都第19区 立憲民主党 11万1267票 43.03% 1 1/3 /
第50回衆議院議員総選挙 2024年10月27日 67 東京都第19区 立憲民主党 7万6899票 39.43% 1 1/4 /

支持団体

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  • JR総連から組織推薦候補として支援を受けており[46]、JR総連推薦議員懇談会の事務局共同代表を務めている[47]

所属団体・議員連盟

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著作

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同期入省

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脚注

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注釈

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  1. ^ 2021年の衆院選における自治体ごとの得票数は以下のとおり。
    末松義規 松本洋平 山崎英昭
    小平市 40,302 41,057 12,935
    国分寺市 28,456 27,524 9,220
    西東京市 42,509 40,550 16,027
    111,267 109,131 38,182

出典

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  1. ^ a b 年末大掃除をしたら、こんな家宝が、、、‼”. 末松義規の公式サポーターサイト. 2022年2月28日閲覧。
  2. ^ 次世代デジタルライブラリー”. lab.ndl.go.jp. 2022年2月28日閲覧。
  3. ^ 満州国に対する母の思い出”. 末松義規の公式サポーターサイト. 2022年2月28日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 末松義規ってどんな人?”. 末松義規の公式サポーターサイト. 2024年11月11日閲覧。
  5. ^ 岡田代表 辞任を表明 12日未明の会見で”. 民主党 (2005年9月12日). 2021年12月1日閲覧。
  6. ^ 2005年9月17日 民主党代表選挙 推薦人一覧”. 江田五月 - 新たな出発. 2021年11月27日閲覧。
  7. ^ “前原代表ら民主執行部「偽メール問題」で総退陣”. J-CASTニュース. (2006年3月31日). https://www.j-cast.com/2006/03/31000846.html 2021年11月30日閲覧。 
  8. ^ 2006年4月7日 民主党代表選 推薦人名簿”. 江田五月 - 新たな出発 (2006年4月7日). 2010年9月6日閲覧。
  9. ^ 内閣府副大臣”. www.kantei.go.jp. 2024年11月11日閲覧。
  10. ^ “菅直人首相が退陣を正式表明、民主代表選が事実上スタート”. ロイター. (2011年8月26日). https://www.reuters.com/article/idJPJAPAN-22883120110826 2021年11月27日閲覧。 
  11. ^ 2011年8月29日投票 民主党代表選挙 推薦人一覧”. 江田五月 - 新たな出発. 2021年11月27日閲覧。
  12. ^ 野田改造内閣 内閣総理大臣補佐官名簿
  13. ^ “2012衆院選 東京19区”. 毎日新聞. http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_ichiran.html?aid=A13019 2018年9月12日閲覧。 
  14. ^ “2012衆院選 東京”. 毎日新聞. http://senkyo.mainichi.jp/47shu/ichiran.html?aid=A13001&st=tk#019 2018年9月12日閲覧。 
  15. ^ “衆院選:民進党、事実上解党 「希望の党」に合流へ”. 毎日新聞. (2017年9月28日). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170928/k00/00m/010/120000c 2017年11月18日閲覧。 
  16. ^ “民進党:公認内定の末松氏が離党届 柿沢氏も検討”. 毎日新聞. (2017年9月25日). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170925/k00/00e/010/224000c 2018年9月12日閲覧。 
  17. ^ 関根和弘 (2017年10月2日). “民進の枝野幸男氏、新党「立憲民主党」を結成”. ハフポスト. https://www.huffingtonpost.jp/entry/yukio-edano-new-party_jp_5c5a5055e4b012928a300c6a 2019年6月20日閲覧。 
  18. ^ “枝野氏、新党「立憲民主党」結成を表明”. 日本経済新聞. (2017年10月2日, 17:09). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21781280S7A001C1000000/ 2019年6月20日閲覧。 
  19. ^ “【衆院選】希望の党・第1次公認リスト(192人)(2/4ページ)”. 産経新聞. (2017年10月3日). https://www.sankei.com/article/20171003-NK7P4VUV5BN6FHCY22UVSGOJMY/2/ 2022年2月2日閲覧。 
  20. ^ 佐々木里加(比例・東京・希望)【衆議院選挙2017】”. 読売新聞社. 2017年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月2日閲覧。
  21. ^ “衆院選:立憲民主党、1次公認62人を発表”. 毎日新聞. (2017年10月7日). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171007/k00/00m/010/183000c 2018年9月12日閲覧。 
  22. ^ “小選挙区の終盤情勢(18区~25区)”. 東京新聞. (2017年10月18日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/senkyo/shuin2017/tky/CK2017101802100012.html 2018年9月12日閲覧。 
  23. ^ “衆院選2017:立憲・末松氏ら、比例復活当選 希望・伊藤氏も/東京”. 毎日新聞. (2017年10月24日). https://mainichi.jp/articles/20171024/ddl/k13/010/215000c 2018年9月12日閲覧。 
  24. ^ 特別委員長に立民の末松氏/衆院沖特委”. 沖縄タイムス+プラス (2018年10月19日). 2024年11月11日閲覧。
  25. ^ 横山大輔、木谷孝洋 (2020年9月16日). “新「立憲民主」衆参150人で結党 野党第一党、枝野氏「選択肢示す」”. 東京新聞. 2021年3月16日閲覧。
  26. ^ 衆議院選挙2021 東京(千代田区・港区など)開票速報・選挙結果”. 衆議院選挙2021特設サイト. NHK. 2021年11月1日閲覧。
  27. ^ 【2021年 衆院選】東京ブロック(比例区)開票速報”. 衆議院選挙(2021年総選挙)特設サイト. 朝日新聞社. 2021年11月18日閲覧。
  28. ^ 令和3年10月31日執行 衆議院(小選挙区選出)議員選挙 候補者別得票数(全候補)” (PDF). 東京都選挙管理委員会. 2022年1月11日閲覧。
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  45. ^ “立民党議員が台湾独立不支持発言 在日台湾人団体が謝罪要求”. 台湾新聞. (2022年12月7日). https://taiwannews.jp/2022/12/%E7%AB%8B%E6%B0%91%E5%85%9A%E8%AD%B0%E5%93%A1%E3%81%8C%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E4%B8%8D%E6%94%AF%E6%8C%81%E7%99%BA%E8%A8%80%E3%80%80%E5%9C%A8%E6%97%A5%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E4%BA%BA%E5%9B%A3/ 2024年3月2日閲覧。 
  46. ^ JR総連”. 2024年11月12日閲覧。
  47. ^ JR総連”. 2024年11月12日閲覧。
  48. ^ 末松義規 - 公式サイト”. 2021年3月4日閲覧。
  49. ^ https://twitter.com/9999suematsu/status/1285723505854763008”. Twitter. 2022年7月22日閲覧。
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  51. ^ 末松義規 - Facebook”. 2021年3月4日閲覧。
  52. ^ https://twitter.com/9999suematsu/status/1108833793790480384”. Twitter. 2022年7月22日閲覧。
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  54. ^ 人権外交を超党派で考える議員連盟公式ホームページ”. 人権外交を超党派で考える議員連盟公式ホームページ. 2024年11月12日閲覧。

外部リンク

[編集]
公職
先代
日本の旗 内閣総理大臣補佐官
(東日本大震災復興対策担当→
東日本大震災復興対策、少子化対策及び自殺対策担当)

2011年 - 2012年
次代
先代
新設
日本の旗 復興副大臣
松下忠洋
中塚一宏と共同

2012年
次代
黄川田徹
今野東
前川清成
先代
石田勝之
後藤斎
中塚一宏
日本の旗 内閣府副大臣
石田勝之
後藤斎
中塚一宏
松下忠洋と共同
石田勝之
後藤斎
中塚一宏
吉田泉と共同

2012年
次代
白眞勲
藤本祐司
前川清成
今野東
園田康博
大島敦
松宮勲
先代
大島敦
平岡秀夫
大塚耕平
日本の旗 内閣府副大臣
東祥三
平野達男と共同
東祥三
山口壯と共同

2010年 - 2011年
次代
石田勝之
後藤斎
中塚一宏
議会
先代
横光克彦
日本の旗 衆議院沖縄及び北方問題
に関する特別委員長

2018年 - 2019年
次代
菊田真紀子
先代
古賀一成
日本の旗 衆議院東日本大震災復興特別委員長
2012年
次代
後藤田正純
先代
船田元
日本の旗 衆議院消費者問題に関する特別委員長
2009年 - 2010年
次代
生方幸夫
先代
玄葉光一郎
日本の旗 衆議院青少年問題に関する特別委員長
2009年
次代
池坊保子