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笹山登生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笹山 登生
ささやま たつお
生年月日 (1941-02-08) 1941年2月8日(83歳)
出生地 日本の旗 日本 秋田県横手市
出身校 慶應義塾大学経済学部卒業[1]
前職
現職 日本エコツーリズム協会アドバイザー[1]
所属政党自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
無所属→)
自由党→)
無所属
称号 旭日重光章
親族

選挙区旧秋田2区→)
比例東北ブロック
当選回数 5回
在任期間 1980年6月23日 - 1990年
1993年 - 2000年6月2日
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笹山 登生(ささやま たつお、1941年〈昭和16年〉2月8日 - )は、日本政治家

農林水産政務次官竹下改造内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、同労働委員長、衆議院議員(5期)などを歴任[1]

概要

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埼玉県浦和市常磐町生まれ。1964年に慶應義塾大学経済学部を卒業すると農林中央金庫へ就職。1977年に退職し、衆議院議員秘書を務めた後、父・笹山茂太郎の地盤を継いで、1979年第35回衆議院議員総選挙に秋田2区より自由民主党公認で出馬するも落選。それからは衆議院議員伊東正義の秘書を務める。翌1980年第36回衆議院議員総選挙で初当選し、自民党内では宏池会(鈴木派、後に宮沢派)に所属。

1986年第38回衆議院議員総選挙まで3期連続当選。1988年12月、竹下改造内閣で農林水産政務次官を務める。1990年第39回衆議院議員総選挙で落選。1993年小沢一郎羽田孜らが自民党を割って結成した新生党に合流し、同党公認で7月18日第40回衆議院議員総選挙に秋田2区より出馬、返り咲きを果たす。1994年6月、裁判官弾劾裁判所裁判長職務代行。1994年12月の新進党結党に参加。1995年1月、衆議院労働委員会委員長就任。1996年第41回衆議院議員総選挙では同党公認で東北ブロックより比例単独出馬、5回目の当選。1997年9月、沖縄及び北方問題に関する特別委員会特別委員長就任。

新進党が1997年12月に解党した後は、一旦保守系無所属となった。1999年1月の自・自連立を機に、同じく新進党解党後は無所属だった海部俊樹と共に自由党に所属し、同党秋田県連代表となる。2000年4月の自由党分裂後も同党に留まり、6月の第42回衆議院議員総選挙秋田3区より出馬するも落選。選挙後、自由党を離党。以後、無所属となった。

2011年6月18日、旭日重光章受章。

年譜

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著書

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脚注

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  1. ^ a b c d ささやまたつお プロフィール&情報公開”. 笹山 登生のウォッチ&アナライズ. 2024年2月1日閲覧。

外部リンク

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公職
先代
北口博
吉川博
日本の旗 農林水産政務次官
1988年 - 1989年
水谷力と共同
次代
中川昭一
水谷力
議会
先代
仲村正治
日本の旗 衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長
1997年 - 1998年
次代
前田武志
先代
松岡満寿男
日本の旗 衆議院労働委員長
1995年
次代
岡島正之