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笹山晴生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - 2024年4月12日)は、日本歴史学者。日本古代史専攻。学位は、文学博士東京大学論文博士・1989年)。東京大学名誉教授。

研究

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日本古代史専攻。古代日本の武力・兵制の研究者として著名。このほか山川出版社高等学校用日本史教科書の執筆・編纂を担当。日本歴史学会会長、横手市史編纂委員、多摩市史編纂委員等も務める。

経歴

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東京市豊島区雑司が谷生まれ。父は元衆議院議員笹山茂太郎熊本市で小学校を終え、1951年秋田県立横手美入野高等学校(現・秋田県立横手高等学校)卒業。1955年東京大学文学部国史学科卒業。1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、研究室助手となり、同年国史学科学生の樺美智子安保闘争で死んだ時の国民葬では樺の遺影を掲げてデモ行進の先頭に立った[1]

1964年名古屋大学教養部講師、1966年助教授、1968年東京大学教養学部助教授、1979年東京大学文学部助教授。1985年教授。1989年「日本古代衛府制度の研究」で東京大学より文学博士学位を取得。1993年定年退官、名誉教授1993年から2003年まで学習院大学文学部史学科教授。学科主任も務めた。

宮中東宮御所において浩宮徳仁親王(当時)に日本史講義。更に2004年から2005年までの間小泉純一郎総理大臣私的諮問機関皇室典範に関する有識者会議」委員を務めた。

2024年4月12日、老衰のため死去[2][3]、喪主は長男[4]。91歳没。

三弟の登生によると「歴史家は、90%の事実があっても、残りの10%の事実が固まらなければ歴史は書けない」との言葉を残したという[5]

御進講

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  • 「歴代天皇の御事績について」(1977年2月1日から14回)明仁親王、徳仁親王
  • 「清寧天皇の御事績について」(1984年2月20日)天皇陛下
  • 「岡宮天皇(草壁皇子)の御事績について」(1989年5月11日)天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、紀宮殿下
  • 「日本の天皇制をめぐって」(1989年9月6日)天皇陛下、皇太子殿下
  • 「古事記および日本書記について」(1990年3月6日)宮内庁書陵部秋篠宮妃殿下(当時 川嶋紀子氏)
  • 「仁徳天皇の御事績について」(1999年2月3日)天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下

家族

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著書

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編著

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訳書

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  • 『日本書紀』下巻 (『日本古典文学大系』67) 岩波書店 1965
  • 『日本書紀』上巻 (『日本古典文学大系』68) 岩波書店 1967
  • 井上光貞責任編集『日本書紀』(『日本の名著』1)(川副武胤佐伯有清・笹山晴生 共訳)中央公論社 1971
  • 『律令』(『日本思想大系』3) 岩波書店 1976
  • 井上光貞監訳『日本書紀』下 中央公論社 1987
  • 『続日本紀』(一)(『新日本古典文学大系』12)岩波書店 1989
  • 『続日本紀』(二)(『新日本古典文学大系』13)岩波書店 1990
  • 『続日本紀』(三)(『新日本古典文学大系』14)岩波書店 1992
  • 『日本書紀』(二)(『岩波文庫』巻7・12注解)岩波書店 1994
  • 『日本書紀』(五)(『岩波文庫』巻28・29注解)岩波書店 1995
  • 『続日本紀』(四)(『新日本古典文学大系』15)岩波書店 1995
  • 『続日本紀』(五)(『新日本古典文学大系』16)岩波書店 1998
  • 『日本書紀』(Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ)(『中公クラシックス』)中央公論新社 2003

共著

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記念論集

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  • 『日本律令制論集』上下 笹山晴生先生還暦記念会 吉川弘文館, 1993

参考文献 

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脚注

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  1. ^ 「笹山先生から学んだこと」家永遵嗣『学習院史学』2003
  2. ^ https://nitter.poast.org/keyaki1117/status/1782597767279599650
  3. ^ 笹山晴生さん死去”. 朝日新聞デジタル (2024年5月1日). 2024年5月1日閲覧。
  4. ^ https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0183E0R00C24A5000000/
  5. ^ https://x.com/keyaki1117/status/1784478190091862248