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横手市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
よこてし ウィキデータを編集
横手市
横手市旗 横手市章
2005年10月1日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 秋田県
市町村コード 05203-5
法人番号 3000020052035 ウィキデータを編集
面積 692.80km2
総人口 78,818[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 114人/km2
隣接自治体 大仙市由利本荘市湯沢市雄勝郡羽後町東成瀬村仙北郡美郷町
岩手県和賀郡西和賀町
市の木 りんご
市の花
市の鳥 白鳥
横手市役所
市長 髙橋大
所在地 013-8601
秋田県横手市中央町8番2号
北緯39度18分49秒 東経140度34分00秒 / 北緯39.31372度 東経140.56661度 / 39.31372; 140.56661座標: 北緯39度18分49秒 東経140度34分00秒 / 北緯39.31372度 東経140.56661度 / 39.31372; 140.56661
外部リンク 公式ウェブサイト

横手市位置図

― 市 / ― 町・村


地図
ウィキプロジェクト

横手市(よこてし)は、秋田県東南部に位置する。毎年2月に行われる伝統行事のかまくらや、日本三大焼きそばの一つに数えられる横手やきそばで知られている。

概要

[編集]

秋田県の内陸南部に広がる横手盆地の中央部に位置し[1]、市の西部では一級河川雄物川が南北に縦貫して流れる。東部は奥羽山脈、西部は出羽山地が連なっており、その中部には水田地帯が広がっている[2]。秋田県内では秋田市についで第2位の人口規模を擁しており、県南地域の中心都市となっている。

現在の横手市の市域は奈良時代に設置された「平鹿郡」の範囲に相当するもので、古代より横手市は一つの地域としてのまとまりを持っていた[3]。平鹿郡の中心都市となるのが横手であり[4]、横手は雄物川の支流である横手川沿いに発達し、戦国時代には出羽国において勢力を誇った小野寺氏居城である横手城が置かれた[5]。横手城は、江戸時代一国一城令において大館城大館市)と共に例外措置によって存続し[6]、それ以降佐竹氏の一族戸村氏の城下町として栄えた[2]。横手城は戊辰戦争にて消失したが[7]、その後横手公園として城址が整備され[8]、二の丸跡にある横手城の模擬天守からは横手盆地を一望することができる[9]

2005年(平成17年)10月1日、旧横手市と、平鹿郡に属していた全町村(増田町平鹿町雄物川町大森町十文字町山内村大雄村)が郡市一体の合併をし、新制・横手市として発足。これにより、県庁所在地である秋田市を除いて県内で唯一の人口10万を超えるなど、県内第2の人口を有する都市となった。平成の市町村合併で10万人都市になった例は他にもあるが、横手市の場合は旧横手市と平鹿郡の生活圏がほぼ一致していたこともあり、同市の合併を促進した。(#平成の大合併も参照)

稲作を始めとする果樹・野菜などの生産がさかんで、農業産出額は県内第1位[10]。市の東部にある丘陵ではリンゴブドウ、十文字地域ではサクランボ、雄物川地域ではスイカなどの生産が盛ん[2]。また大雄地域で生産されるホップは、生産量が全国トップに躍り出るなど盛んに生産が行われている[11][12]。農産業の他、酒造業も盛ん。

横手インターチェンジに近接する柳田工業団地横手第二工業団地を中心に自動車関連産業の集積が進んでおり、東海理化イリソ電子工業などの進出が見られる[13]

地理

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横手市中心部の空中写真。画像右下部より上方へ横手川が蛇行し流れ、川の両岸に市街地が形成されている。横手川の東岸一帯は横手城に隣接しており、緑豊な武家屋敷などが並ぶ城下町らしい街路形状を色濃く残している。1976年撮影の12枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

岩手県西和賀町と接する県境の市である。秋田県内では仙北郡美郷町大仙市由利本荘市湯沢市雄勝郡羽後町東成瀬村に隣り合う。

横手盆地の中央部に位置し、東の奥羽山脈から流れる横手川が市街地を流れる。南北に国道13号及び東北中央自動車道、東西に国道107号及び秋田自動車道が通る交通の要衝である。ただ、秋田新幹線は市内を通っておらず、北接する大仙市に駅がある。秋田県の県庁所在地である秋田市からは約70km離れた場所にある。

面積は692.80km2で、全25市町村の中では鹿角市に次いで9位の広さ。秋田県全体の約6%を占める。東西に約45km、南北に約35kmの土地を有する[14]

気象庁の発表する緊急地震速報地震に関する情報)で用いられる区域では、湯沢市、大仙市、仙北市、美郷町、羽後町、東成瀬村が共に秋田県内陸南部と区分されている[15]。県内での地域区分としては県南に分類される。

気候

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横手市
雨温図説明
123456789101112
 
 
184
 
1
-4
 
 
120
 
3
-4
 
 
95
 
7
-2
 
 
85
 
15
4
 
 
100
 
21
10
 
 
114
 
25
15
 
 
194
 
28
20
 
 
184
 
30
21
 
 
137
 
26
16
 
 
145
 
19
9
 
 
174
 
12
3
 
 
206
 
4
-2
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁
インペリアル換算
123456789101112
 
 
7.2
 
35
24
 
 
4.7
 
37
25
 
 
3.8
 
44
29
 
 
3.4
 
59
38
 
 
3.9
 
70
50
 
 
4.5
 
77
59
 
 
7.7
 
83
67
 
 
7.2
 
86
69
 
 
5.4
 
78
61
 
 
5.7
 
66
48
 
 
6.9
 
53
37
 
 
8.1
 
40
29
気温(°F
総降水量(in)

寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。太平洋側から吹く季節風が奥羽山脈を吹き下ろし、フェーン現象が発生することがある[16]。過去29年間(1991年から2020年まで)の平年値で、年平均気温は11.2℃、平均日最高気温は15.9℃、平均日最低気温は7.1℃、年間降水量は1737.3mmである[17]

日本有数の豪雪地帯で冬季の積雪が多く、増田・大森・雄物川・山内地域(旧町村による区分)は特別豪雪地帯に指定されている。1973年(昭和48年)の昭和48年豪雪(四八豪雪)では、総降雪量が11.6m、最深積雪が最高2.5mに達した[2]

雪は、四八豪雪のほかに1980年(昭和55年)12月から1981年(昭和56年)にかけての五六豪雪や、1985年(昭和60年)12月から1986年(昭和61年)にかけての六一豪雪などでも記録的な数値であったが、平成後半~令和になってから積雪記録のランキングに顔を出すことが増えている[18]。しかも「四八」や「五六」、「六一」の時よりも若年減と高齢化、除雪の財源不足で厳しい除雪環境となりこれの打破が当面の課題である。

横手市の気象観測極値[19]
極値 観測値 観測年月日
最高気温 39.2℃ 2023年令和5年)8月31日
最低気温 -16.4℃ 2018年平成30年)2月2日
日降水量 262.0mm 2017年(平成29年)7月22日
1時間降水量 68.5mm 2017年(平成29年)7月22日
横手市(1991年 - 2020年[20])の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 11.3
(52.3)
19.9
(67.8)
22.5
(72.5)
31.6
(88.9)
33.7
(92.7)
34.6
(94.3)
38.1
(100.6)
39.2
(102.6)
36.7
(98.1)
31.8
(89.2)
25.9
(78.6)
18.4
(65.1)
39.2
(102.6)
平均最高気温 °C°F 1.4
(34.5)
2.6
(36.7)
6.9
(44.4)
15.0
(59)
21.3
(70.3)
25.2
(77.4)
28.3
(82.9)
30.0
(86)
25.7
(78.3)
19.0
(66.2)
11.5
(52.7)
4.2
(39.6)
15.9
(60.6)
日平均気温 °C°F −1.3
(29.7)
−0.8
(30.6)
2.4
(36.3)
8.9
(48)
15.2
(59.4)
19.7
(67.5)
23.5
(74.3)
24.7
(76.5)
20.4
(68.7)
13.6
(56.5)
6.9
(44.4)
1.1
(34)
11.2
(52.2)
平均最低気温 °C°F −4.3
(24.3)
−4.1
(24.6)
−1.5
(29.3)
3.6
(38.5)
9.9
(49.8)
15.1
(59.2)
19.7
(67.5)
20.6
(69.1)
16.1
(61)
9.1
(48.4)
2.9
(37.2)
−1.8
(28.8)
7.1
(44.8)
最低気温記録 °C°F −15.5
(4.1)
−16.4
(2.5)
−11.5
(11.3)
−6.5
(20.3)
−0.2
(31.6)
5.7
(42.3)
9.3
(48.7)
11.2
(52.2)
4.3
(39.7)
0.0
(32)
−10.0
(14)
−15.9
(3.4)
−16.4
(2.5)
降水量 mm (inch) 184.1
(7.248)
119.5
(4.705)
95.4
(3.756)
85.3
(3.358)
100.1
(3.941)
113.8
(4.48)
194.4
(7.654)
183.6
(7.228)
136.6
(5.378)
144.6
(5.693)
174.1
(6.854)
206.0
(8.11)
1,737.3
(68.398)
降雪量 cm (inch) 276
(108.7)
202
(79.5)
106
(41.7)
6
(2.4)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
23
(9.1)
186
(73.2)
793
(312.2)
平均月間日照時間 32.0 52.6 100.7 157.0 185.8 172.0 146.0 177.7 144.1 130.8 83.5 38.3 1,416.4
出典1:気象庁[17]
出典2:気象庁[19]

歴史

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市名の由来

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「横手」という地名の初見史料は、南北朝時代である文和2年(1353年6月17日付の箟峯寺陸奥国遠田郡、現・宮城県遠田郡涌谷町)十一面観音像胎内経であり、「山北平賀横手」との記述が見られる[21][22]

地名の由来については、江戸時代にこの地を訪れた菅江真澄が「雪の出羽路 平鹿郡」にて、川の氾濫を防ぐために築いた「横土堤・横土手(よこどて)」が転化して「横手」になったのではないかと書き残している[21][23]。また、普通名詞の横手は「横の方面」を表すものであることから、単に「(本郷方面から明永見入野方面に至る通路、もしくは関根方面より御嶽山に向かう通路の[24][23])横の方向にある集落」を意味しているのではないかという説もある[21][24][23]

原始

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旧石器・縄文時代

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横手市における旧石器時代から縄文時代前期にかけての遺跡は少なく、市内で発掘調査例があるのは岩瀬遺跡(山内土渕)のみとなっている[25]。岩瀬遺跡は縄文時代草創期の遺跡で、横手川河岸段丘上にあり、石器製作跡や集石石匙などが出土している[26][3]。岩瀬遺跡のように、この時期の横手盆地における遺跡は丘陵地や台地にて確認されており、盆地中央部では確認されない[3]。これは、海面が現在よりも高かったために、河川の浸食作用が弱まり、対して堆積作用が強まったことにより河川の流路変動が上中流部で頻繁に起きていたからだと推測される[27]

縄文時代前期に当たる6,000年~5,500年前の時期からは竪穴建物からなるムラが発生し、定住生活が始まった[3]。横手盆地において集落跡が確認されているのは前期後半期からで、雄物川地域の根羽子沢遺跡(雄物川町大沢)などが確認されている[27]。この頃はまだ台地上に集落跡は位置していたが、中期以降から寒冷化が進んだことにより現在の気候に近づき、徐々に沖積地へと進出していった[27]。流路変動の心配がなくなり、中期後葉から末葉期にかけては沖積地を中心に平野部に点在するようになり、多くの遺跡が見つかっている[28]

弥生時代

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弥生時代になると、ユーラシア大陸東部から九州北部に伝来した稲作金属器列島の北へと伝播し[29]、横手盆地においても遠賀川系土器が見つかっていることから、西日本の文化が及んでいたことがうかがえる[30]。弥生時代の遺跡は、横手地域の手取清水遺跡(塚堀)などがあり、弥生時代中期の集落跡が確認されているが、全体としてこの時代の遺跡は少ない[31]。当時は寒冷な気候であったことから、横手盆地においては稲作文化は定着せず[31]、大規模な集落が営まれることもなかった[32]

古墳時代

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市内で発掘された古墳時代の遺跡は、オホン清水B遺跡(塚堀)や一本杉遺跡(平鹿町下吉田)などが挙げられる[3]。オホン清水B遺跡では、竪穴建物跡や須恵器有蓋高坏、土師器が見つかっており[33]、この時代に横手盆地において古墳文化の集落が営まれていたことを示す[34]。また、この時代の遺跡は横手盆地の中でも現在の横手市域に偏在しており[33]、現在の国道107号に沿った形で、南方からではなく日本海側からの東西のルートで古墳文化が伝播してきたことが推測される[35]

古代

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払田柵跡(大仙市美郷町
後三年合戦絵巻後三年合戦金沢資料館所蔵)

日本律令国家として始動した飛鳥時代には、集落跡である釘貫遺跡(雄物川町東里)などが見つかっており、釘貫遺跡においては7世紀後半から8世紀中頃の[36]約100年間の存続が確認されている[37]

奈良時代になると東北まで朝廷の勢力が拡大するようになり、和銅元年(708年)には庄内平野を中心として出羽郡が建郡される[38]。和銅5年(712年)には出羽郡を核として出羽国が設置され、8世紀半ばの天平5年(733年)に雄勝郡が、天平宝字3年(759年)に平鹿郡が設置された[38][39]。平鹿郡は現在の横手市域に相当するものだが、この時点では山本郡(後の仙北郡)は成立しておらず、平鹿郡の郡域は山本郡にも及んでいた可能性もある[40]。また、雄勝・平鹿の2郡が設置されたと同時期に、藤原朝狩によって天平宝字3年(759年)までに雄勝城が築造されている[22][40]。雄勝城の位置については定かになっておらず[41]、雄勝城と同時代の遺構は見つかっていない。現状、候補地として挙げられるのは、雄物川地域の造山地区である[36]。造山地区の十三塚遺跡からは、秋田城払田柵跡と同様に古代のが出土しており、官衙建築や寺院との関連を連想される[36]

続日本紀』より、雄勝・平鹿の両郡では蝦夷を除く百姓に口分田の班給を受けていたことが確認されており、また塩湯彦神社保呂羽山波宇志別神社副川神社[注釈 1]の3延喜式内社が横手盆地を囲む農耕神であり、平鹿郡衛の存在が想定され、市内には条里制遺構と考えられる田圃がある[22]。これに倣う形で2009年住居表示で横手駅西地区に「条里」という地名が誕生している[42]。また、横手盆地の開墾にまつわる伝説として「鳥の海の干拓」がある[22]

永保3年(1083年)から寛治元年(1087年)にかけて行われた後三年の役では、横手市内において沼柵金沢柵が主な戦場となった。藤原清衡清原家衡の対立が深まり、家衡は沼柵に立て籠もって戦ったとされる[43]。後に家衡は金沢柵へと移り、清衡がこれを滅ぼした[44]

中世

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鎌倉時代

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鎌倉時代に入り、文治5年(1185年)に源頼朝奥州藤原氏奥州合戦で滅亡させた後、鎌倉幕府による支配が進み[45]奥羽地方には多くの鎌倉御家人が入部した[46]。平鹿郡においては、尾張国の松葉惟泰が入部し、平賀氏を名乗り地頭職を得た[47][48]。鎌倉時代後期になると、「宮崎文書」の中に「西平鹿郡」という名称が使用されているのが確認できる[49]。この史料は、中坊村(現在の大森町八沢木字中房の位置と推測される。)の地頭代官職の補佐に関するもので[49]、この時期になると平賀氏の他にも平鹿郡を支配する一族がいて、平鹿郡が東西に分けられて支配されていたことが推測される[49][50]

室町・戦国時代

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沼柵跡碑(雄勝山蔵光院、横手市雄物川町沼館

横手市域への小野寺氏の進出は、大永年間(1521年1528年)に小野寺稙道稲庭城(雄勝郡)を弟である晴道に譲り、沼館城へと本拠地を移したことに始まる[51]。沼館城は戦国時代に起こった後三年の役にて戦場となった「沼柵」を改修したものだとされており[52]雄物川右岸の段丘上に位置する[53]平城であった[51]。ただ、稙道はわずか数年で本拠地を湯沢城へと移した[54]。役内方面への警戒が高まり、沼館は軍事的要素が不足していたことが移転の理由と考えられる[54]

本拠地を湯沢へと移した稙道は、天文21年(1552年)に横手で起こった平城の乱にて敗死した[55]。平城の乱は、横手佐渡守光盛と金沢金乗坊が逆心を企てたことで発したもので、これに気づいた稙道は平城を攻撃したが、逆に湯沢城へ攻め立てられて敗死した[55]。また平城(ひらじょう)とは、現在の平城町から大水戸町の一帯に広がっていたとされる平城のことで、横手城(朝倉城)の前身となっている[5]

横手城の本丸跡に建つ秋田神社(横手公園、横手市城山町

稙道の息子である輝道(後に景道と改名)は、本拠地を平城ではなく、これより北東約800m離れた丘陵上に新たに城を築いた[5]。ここが市民から通称「お城山」と呼ばれる場所で、このときに横手城が築かれた[5]。築城年については諸説あるが、天正7年(1579年)と言われている[52]。また、小野寺氏は横手城の他に金沢城、増田城、浅舞城、大森城などに一族や重臣を置くなどし、支城支配を拡大していった[52]。横手城をはじめ、これら各支城が置かれた集落は地域の中心集落、在郷町として発展し、現在の都市形成の基盤となった[52]

豊臣秀吉による奥州仕置に際し、小野寺氏は太閤検地に反対する仙北一揆が領内で起きたことを咎められ、天正19年(1591年)に自領の3分の1(湯沢・増田を中心とする地域)を没収されることになり、代わりに最上氏の支配下に入った[56][57]

近世

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安土桃山時代

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関ヶ原の戦いが行われた慶長5年(1600年)には、出羽国においても合戦が勃発し、この合戦において小野寺氏は最上氏に降伏し、横手城を開城することになった[58]慶長6年(1601年)に小野寺氏は改易となり、横手盆地から小野寺氏が去ることになった。

江戸時代

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横手城模擬天守(横手公園)
旭岡山神社の梵天奉納祭

小野寺氏が改易された後、秋田には慶長7年(1602年)に佐竹義宣が入封し[59]、それまで秋田実季が居城としていた土崎湊城(現在の秋田市内)に入城した[60]。横手には城代が置かれ、5代からは戸村氏一族が明治まで城代を継続することになる[61]。なお、平鹿郡内においては、豊臣仕置軍により支城の大半が破却されており、小野寺氏が改易された際には横手城・浅舞城・大森城などが残されるのみだった[62]元和6年(1620年)には一国一城令が秋田に適用された際、ほとんどの城が破却されるも、秋田の場合は例外として久保田城のほかに横手城、大館城の存続が認められた[6]

これ以降、現在の横手市中心市街地に当たる横手城下は城下町として整備されることになる。佐竹家家臣は人為的な土木工事を行い、蛇行する横手川を付け替えたり、土地の高低差を均すなどした[63]。これにより、横手川右岸(横手城側)には武士足軽の住む「内町(うちまち)」、横手川左岸には商人や職人が住む「外町(とまち)」が形成されていった[63]。また、横手城下には羽州街道をはじめとする街道が各方面へと伸びており、横手は平鹿郡における中心都市として位置づけられていた[4]

この頃になると、飢饉による死者を弔う送り盆まつり左義長水神祭りが融合したかまくら旭岡山神社の梵天奉納祭などが行われるようになり、これらの行事は現代にも受け継がれている[64]。横手城下に限らず、佐竹氏の安定した治世の元、各地で独自の祭りや芸能が発展した[64]

江戸時代末期、慶応4年(1868年)に起こった戊辰戦争において、戸村義得(大学)の籠城する横手城は庄内藩を中心とする旧幕府軍に制圧され、慶応4年8月11日に落城した[65][7]

近・現代の年表

[編集]

以降、平成の大合併に至るまでの旧横手市外の平鹿郡内町村に関する事項は、各旧町村の記事や平鹿郡#歴史を参照のこと。

明治・大正

[編集]

昭和

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平成

[編集]

令和

[編集]

行政区画の変遷

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平成の大合併

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大合併への第一歩となったのは、1959年(昭和34年)に旧横手市と旧平鹿町が合併に向けた協議を始めたことにある。この際、将来の大合併に期待することとして合併は行われなかったが、後に大合併は実現することになる。

2002年(平成14年)に、旧横手市と平鹿郡(7町村)の合併に関する研究会が発足。旧横手市は平鹿郡の各町村に対して合併協議会への参加を求め、翌年2月28日に旧平鹿町、旧大森町、旧大雄村が参加を表明した。3月13日には旧山内村、3月17日には旧雄物川町も参加を表明し、3月31日には合併協議会(任意)が設置された。だが、8月11日に旧山内村が脱会。これにより、旧横手市を含む5市町村で構成される合併協議会(決定)が設置された。

同年12月24日には旧山内村議会で住民発議に伴う合併協議会設置を可決。12月26日には他4市町村議会でも住民発議に伴う合併協議会設置を可決(平鹿町は翌年1月9日に可決)。2003年(平成15年)1月13日には横手平鹿合併協議会が設立された。4月28日には旧十文字町から協議会加入への申し入れがあり、5月11日に加入。5月19日には旧増田町から加入の申し入れがあり、6月8日に加入。これにより、11月4日に合併協定調印式を挙行。8市町村長が合併協定書に調印をした。

合併に関する議案は旧横手市議会、旧十文字町議会、旧平鹿町議会、旧大雄村議会、旧山内村議会で可決したが、旧雄物川町議会、旧増田町議会では否決。旧大森町議会では継続審議となった。その後、12月20日には旧増田町から協議会脱退の申し入れがあり、翌年である2005年(平成17年)1月11日に脱退した。3月24日には横手平鹿合併協議会は廃止された。

1月31日、旧増田町が再び協議会へ参加することを申し入れ、2月16日には旧横手市を含む8市町村で構成される横手平鹿8市町村合併協議会を設置。3月14日には調印式を挙行、8市町村長が合併協定書に調印をした。その後、8市町村すべての議会で合併に関する議案が可決され、3月25日に県へ市町村の廃置分合を申請した。

(出典:[178][179]

合併後の新しい市の名称は公募され、2,324件の応募の中から選考された。最終選考には「秋南市(しゅうなんし)」「平鹿市」「横手市」が残り、最終的には横手市に決定した[180]

行政

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よこてし
横手市
横手市旗 横手市章
廃止日 2005年10月1日
廃止理由 新設合併
横手市平鹿郡増田町平鹿町雄物川町大森町十文字町山内村大雄村横手市
現在の自治体 横手市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 秋田県
隣接自治体 大仙市、平鹿郡平鹿町、山内村、大雄村、仙北郡美郷町
市の木
市の花
市の鳥 ヤマドリ
横手市役所
所在地 秋田県
外部リンク 横手市(2005年8月14日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
ウィキプロジェクト

※右記は合併前の旧・横手市のデータ。

市長

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旧・横手市

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現・横手市

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氏名 就任 退任 備考
職務代行者 備前雄一 2005年(平成17年)10月1日 2005年(平成17年)10月23日 旧・大森町町長
1 1 五十嵐忠悦 2005年(平成17年)10月23日 2013年(平成25年)10月22日
2
2 3 髙橋大 2013年(平成25年)10月22日 現職
4

議会

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市庁舎

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  • 本庁舎(横手庁舎、旧横手市役所)
  • 条里北庁舎
  • 条里南庁舎
  • 水道庁舎
  • 増田庁舎(増田地域局、旧増田町役場)
  • 平鹿庁舎(平鹿地域局)
  • 雄物川庁舎(雄物川地域局)
  • 大森庁舎(大森地域局、旧大森町役場)
  • 十文字庁舎(十文字地域局)
  • 山内庁舎(山内地域局)
  • 大雄庁舎(大雄地域局、旧大雄村役場)
これらの他、横手市では2010年(平成22年)12月に、秋田県の出先機関で当市域を管轄する秋田県平鹿地域振興局と、双方が実施する事務事業を共同化・一体化して処理することによる住民サービスの向上、事務事業の効果的・効率的な実施、行政コストの縮減等を目的として機能を合体することで合意し、2011年度(平成23年度)から順次開始している。これにより、平鹿地域振興局の局舎内にも市職員が配置されている[181]
また、合併以来、南北の本庁舎と旧市町村の役場庁舎を流用し分庁方式が取られていたが、2011年(平成23年)5月に平鹿地域振興局を含む旧・横手市市街地の6庁舎に集約するべく引越し作業が行なわれ、業務を開始した[182]
2013年(平成25年)に就任した高橋大市長の方針により、2014年(平成26年)3月には市長室をはじめとする市役所の主要機能を横手庁舎に移転、横手庁舎を本庁舎と改名、本庁北庁舎・本庁南庁舎がそれぞれ条里北庁舎・条里南庁舎と改名され、市役所の再編・配置換えが行われた[183]

市のシンボル

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市章

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横手市章

2005年平成17年)10月1日の市町村合併の際に制定された。横手市の「よ」と「Y」、旧平鹿郡の「ひ」をモチーフにデザインされている。市章は3色で構成されており、シンボルカラーである「横手美の里色(よこてみのりいろ)」「横手萌木色(よこてもえぎいろ)」「横手花浅葱色(よこてはなあさぎいろ)」がそれぞれ使用されている[184]

市の木・花・鳥・歌

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2010年(平成22年)10月1日に市政5年を記念し、市の木・花・鳥・歌が制定された。市の木は「リンゴ」、市の花は「」、市の鳥は「白鳥」がそれぞれ制定されている[185]

市の歌は『横手市民歌』として制定されている[186][187]作詞は安倍幸一、作曲泉谷閑示、補作詞を横手市民歌制定検討委員会が行った。市町村合併前の旧横手市にも市民歌が存在したため、現行の市民歌は2代目となる(市町村合併前の旧横手市を含めない場合は初代)。

都市宣言

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  • 非核平和都市宣言(2008年10月4日宣言)
  • 「スポーツ立市よこて」宣言(2013年4月20日宣言)

不祥事

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コロナウイルス感染者情報、不正閲覧

2021年9月、市は2020年度中に、職員7名(4地域局、男4名、女3名)が新型コロナウイルス感染症患者の個人情報を住基ネット上で不正に閲覧。外部への情報提供の疑いがあるとの指摘により発覚。7名を訓告、その上司4名を厳重注意処分とした[188][189][190][191]

国家機関

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施設

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横手市内の主要な施設な施設を記載する。

警察

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横手警察署

横手警察署が横手市内全域と東成瀬村全域を管轄する。

交番・駐在所

消防

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横手市消防署
消防署

医療

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救急告示病院
その他

清掃事業

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市内の清掃事業は、合併前より使用している各3か所の施設(東・南・西部環境保全センター)で行われていたが、2016年にクリーンプラザよこてへと統合された。

文化施設

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交流施設

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スポーツ施設

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公園

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都市公園

姉妹都市・提携都市

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国内

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2022年2月現在、横手市には日本国内に2つの友好都市がある。

友好都市

地域

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人口

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横手市は、秋田県の県庁所在地である秋田市に次いで2番目に多い人口となっている。2005年10月1日の合併当初に発表された国勢調査結果では、約10万3,000人、2020年10月1日の発表では約8万8,000人の人口となった。昼夜間人口比率は約101%[195]

横手市の人口は第二次世界大戦中から戦後にかけて急増し、1955年にピークである14万8,648人に達した。しかし、高度経済成長期に入り、多くの若者が都市圏に流失したことにより人口が激減。一度は歯止めがかかるものの、1982年から再度減少に転じた。減少は現在まで続いており、今後も減少が続くとの推計がなされている[196]

町・字

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メディア

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町おこし

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Yokotter

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2009年12月22日より横手市内外の有志数名がTwitterを用いた街おこし活動[197]を開始、翌年7月にはNPO法人Yokotterを設立した[198]

2015年にはみんなの経済新聞ネットワークに加盟する「横手経済新聞」の運営を開始[198]。県内では秋田経済新聞につぎ2媒体目で、横手市を中心に県南地区のローカルニュースを発信していくこととしている[198]。また同時に「MINEBA」と呼ばれる、横手市内外へ情報を発信する「横手市情報センター[199]」の一角をなすローカルメディアを開始。2020年2月にはアプリ版をリリースし、同年9月25日に横手市推奨アプリに認定された[200]

再開発

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よこてイースト
  • 横手駅東口第一地区第一種市街地再開発事業[201]2006年組合設立、2011年完了[202]
    • ジャスコ横手店が入居していた羽後交通ビルや、旧平鹿総合病院などを解体の上で事業が行われ[201]、事業区域は「よこてイースト」と名付けられた[203]。平鹿総合病院などがあった第1区画は市の公共施設として「Y2(わいわい)ぷらざ」や、民間の商業施設が整備され、羽後交通ビルがあった第2区画にはバスターミナルや集合住宅、高齢者施設が整備された[202]。また、これと同時期に横手駅舎も橋上駅舎へと建て替えられ、西口の新設とともに東西連絡通路が整備された[204]
よこてシャイニーパレス (民間ビル棟)
  • 横手駅東口第二地区第一種市街地再開発事業[205]2020年組合設立、2025年完了予定[205]
    • ユニオンビルやJA秋田ふるさと本店ビル(よこてシャイニーパレス)などを解体の上で事業が行われており、跡地に横手市立横手図書館などが入居する市の生涯学習施設「Ao-na(あおーな)」や、JA秋田ふるさと本店やホテル、商工会議所が入居する民間ビル、商業施設、マンションなどの整備が進んでいる。

市外局番

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横手市の市外局番0182(横手MA)が用いられる。なお、隣接する東成瀬村と美郷町でも同じく0182が用いられる。

経済

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産業別の構成比は、第1次産業が16.2%、第2次産業が24.8%、第3次産業が58.6%(平成27年国勢調査より)。

主な商業施設

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工業団地

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特産物・名産品

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横手やきそば
日の丸醸造 (横手市増田

金融機関

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指定金融機関

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北都銀行指定金融機関秋田銀行北日本銀行指定代理金融機関である。

北都銀の前身の羽後銀行は、増田銀行としての発足当時、増田村(旧・増田町)に本店を置いた。その後、横手町(旧・横手市)に本店を移転した経緯から、合併市のほぼ全域が同行の地盤中の地盤であり、旧大雄村以外の市町村が、合併前から北都銀を指定していた。合併に伴い旧大雄村側はそれまで指定金融機関であった秋田ふるさと農業協同組合を指定代理金融機関とするように求めていた。そこで北都銀は、横手市役所大雄庁舎(旧大雄村役場)敷地内へ「横手支店横手市大雄庁舎出張所」として新市発足と同時にATMを設置し、また収納代理金融機関を全ての市内金融機関に拡張することで決着した。また、指定代理金融機関の2行は、旧市の指定を継承した。

郵便

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郵便局

  • 横手郵便局(集配局、ゆうゆう窓口設置局)
  • 大森郵便局(集配局)
  • 雄物川郵便局(集配局)
  • 十文字郵便局(集配局)
  • 館合郵便局(集配局)
  • 平鹿郵便局(集配局)
  • 山内郵便局
  • 増田郵便局
  • 羽後金沢郵便局
  • 横手平城郵便局
  • 横手駅前郵便局
  • 横手鍛冶町郵便局
  • 横手旭川郵便局
  • 横手幸町郵便局
  • 横手栄郵便局
  • 旭郵便局
  • 横手黒川郵便局
  • 田根森郵便局
  • 阿気郵便局
  • 川西郵便局
  • 八沢木郵便局
  • 雄物川大沢郵便局
  • 里見郵便局
  • 羽後植田郵便局
  • 羽後吉田郵便局
  • 醍醐郵便局
  • 真人郵便局

簡易郵便局

  • 中杉沢簡易郵便局
  • 安田簡易郵便局
  • 横手赤坂簡易郵便局
  • 大橋簡易郵便局
  • 福地簡易郵便局
  • 境町簡易郵便局
  • 三重簡易郵便局
  • 睦合簡易郵便局
  • 吉野簡易郵便局
  • 狙半内簡易郵便局
  • 羽後南郷簡易郵便局

交通

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鉄道

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横手駅 東口
東日本旅客鉄道

中心市街地は横手駅周辺となる。秋田新幹線は市内を通っておらず、奥羽本線の大曲駅で乗り換えることになる。

かつて存在した鉄道

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羽後交通

バス

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道路

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高速道路
  • E46 秋田自動車道
  • E13 東北中央自動車道国道13号湯沢横手道路
一般国道
主要地方道
一般県道
道の駅

教育

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専門学校

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高等学校

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中等教育学校(中高一貫校)「併設型」

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中学校

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小学校

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特別支援学校

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幼稚園・保育園

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認定こども園
  • 上宮第一幼稚園
  • 上宮第二幼稚園
  • 土屋幼稚園
  • こひつじ幼稚園
  • むつみ幼稚園
  • 沼館保育園
  • 相愛こども園
  • 和光こども園
保育園
  • 横手幼児園
  • 横手マリア園
  • アソカ保育園
  • 明照保育園
  • 白梅保育園
  • 常盤保育園
  • ときわベビーハウス
  • むつみ乳児保育園
  • 旭保育園
  • 金沢保育園
  • みいりの保育園
  • 浅舞感恩講保育園
  • 下鍋倉保育所
  • 樽見内保育園
  • 吉田保育所
  • 醍醐保育園
  • 雄物川保育園
  • 大森保育園
  • 川西保育園
  • 十文字保育園
  • にしの杜保育園
  • たいゆう保育園
  • ますだ保育園(公立)
  • 三重保育所(公立)
  • さんない保育園(公立)

その他

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観光

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名所・旧跡

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温泉

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  • 横手駅前温泉 ゆうゆうプラザ
  • おものがわ温泉 雄川荘(雄物川地域)
  • 金峰山温泉 ときめき交流センター ゆっぷる(平鹿地域)
  • 戸波鉱泉(増田地域)
  • おおもり温泉 さくら荘(大森地域)
  • ゆとりおん大雄(大雄地域)
  • あいのの温泉 鶴ヶ池荘(山内地域、休館中)
  • 南郷温泉 共林荘(山内地域)

文化

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祭事

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イベント

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  • 銀河系宇宙ほらふき決勝大会(雄物川地域、1月中旬)
  • 光頭会(雄物川地域、2月)
  • あきた十文字映画祭(十文字地域、2月)
  • 横手の雪まつり(横手地域、2月15日 - 17日)
  • たらいこぎ競争(真人公園4月29日8月16日
  • よこて桜まつり(横手公園金沢公園、4月下旬)
  • 秋田スカイフェスタ(平鹿地域、5月3日 - 5日)
  • 大森リゾート村芝桜フェスタ(大森地域、5月中旬 - 下旬)
  • 浅舞公園あやめまつり(平鹿地域、6月下旬 - 7月上旬)
  • 十文字さくらんぼまつり(十文字地域、6月15日 - 7月15日
  • おもフェス(雄物川中央公園、7月中旬)
  • よこての全国線香花火大会(蛇の崎川原、7月下旬)
  • ラッキー祭り(十文字地域、7月)
  • 猩々まつり(十文字地域、7月下旬)
  • 大雄サマーフェスティバル(大雄地域、7月の最終土曜日)
  • 送り盆まつり(横手地域、8月)
  • は・は・は祭り(雄物川地域、8月8日
  • YOKOTE音FESTIVAL(横手地域、8月下旬)
  • いものこまつり in 鶴ヶ池(山内地域、9月の第3日曜日)
  • 増田の花火(増田地域、9月14日
  • 増田蔵の日(増田地域、10月)
  • 真人公園りんごまつり(真人公園、10月中旬)
  • よこて菊人形まつり(秋田ふるさと村、10月下旬 - 11月上旬)
  • イルミネーションイベント
    • よこてイーストイルミネーション(11月中旬 - 2月中旬)
    • 大雄イルミネーション(大雄地域局前、12月上旬 - 12月下旬)
    • JR十文字駅イルミネーション(12月上旬 - 1月上旬)
    • 槻の木光のファンタジー(平鹿地域、12月中旬 - 1月中旬)

著名な出身者

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貴族・武士

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政治家

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学者

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実業家

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文化人

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芸能人

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スポーツ選手

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その他

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ゆかりのある人物

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脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の所在地は南秋田郡八郎潟町であるが、古社地は現在の嶽六所神社であったとされる[22]。(詳細は副川神社#最北の式内社を参照)
  2. ^ 当時、醍醐駅は未開業。
  3. ^ ツルハドラッグフレスポ横手店は2023年9月2日に閉店[150]、TSUTAYA横手店は同年9月10日に閉店している[151]
  4. ^ 横手大町上丁、横手大町中丁、横手大町下丁、横手四日町上丁、横手四日町中丁、横手四日町下丁、横手栄通町、横手鍛冶町、横手本町、横手根岸下町、横手横町、横手馬場崎町、横手裏町、横手新町、横手新町下丁、横手古川町、横手下タ町、横手羽黒上町、横手羽黒中町、横手羽黒末町、横手上根岸町、横手下根岸町、横手上野台町、横手島崎町、横手上島崎町、横手羽黒新町、横手御免町、横手野御扶持町、横手沼田町、横手山ノ手新町、横手横手町。
  5. ^ 1876年(明治9年)、旧平鹿郡醍醐村で栽培されたものがルーツ。
  6. ^ 平成17酒造年度全国新酒鑑評会で『雪の音』が金賞を受賞。
  7. ^ 第14回 国際酒まつり「純米大吟醸・純米吟醸部門」第1位。NHK連続テレビ小説のまんさくの花にちなむ。
  8. ^ 旧・増田町の地域では、岩手県の水沢(奥州市)へ通ずることから、国道397号線のことを「水沢線」と呼ぶ。旧・増田町から岩手県側へ距離的には最短ルートであるが、毎年11月から5月まで県境部分が冬季閉鎖になることと、急カーブ・急坂が連続するワインディングロードが災いして、使い勝手が良くない。秋田自動車道の全面開通や鬼首道路の供用開始で、水沢線は忘れられつつある。
  9. ^ 秋田県道12号花巻大曲線は平鹿地域振興局ではなく、便宜上仙北地域振興局が管理する。

出典

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  2. ^ a b c d 横手(市)とは”. コトバンク. 2022年5月3日閲覧。
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  4. ^ a b 横手市 2010, p. 125.
  5. ^ a b c d 横手市 2008, p. 450.
  6. ^ a b 横手市 2010, p. 80.
  7. ^ a b 横手市 2011, p. 22.
  8. ^ a b 横手市 2011, p. 208.
  9. ^ 横手市史編さん 1981, p. 862.
  10. ^ 市町村別農業産出額(推計)”. 農林水産省. 2022年7月18日閲覧。
  11. ^ 横手産ホップとまちづくり”. キリンホールディングス. 2022年6月22日閲覧。
  12. ^ 「次世代ホップ産地作りたい」 秋田・横手市の現場から”. 日本経済新聞 (2021年11月5日). 2022年6月22日閲覧。
  13. ^ 東海理化子会社、秋田県横手市に工場 7月中に着工」『日本経済新聞』2023年7月12日。2024年3月10日閲覧。
  14. ^ 横手市の面積”. 横手市 (2021年9月28日). 2022年5月3日閲覧。
  15. ^ 震度情報や緊急地震速報で用いる区域の名称”. 気象庁 (2019年5月8日). 2022年1月18日閲覧。
  16. ^ 16日の秋田県内、熱中症に警戒を 今年初のアラート発令」『秋田魁新報電子版』秋田魁新報社、2024年8月15日。2024年10月21日閲覧。
  17. ^ a b 横手 平年値(年・月ごとの値)”. 過去の気象データ検索. 気象庁 (2020年). 2022年2月15日閲覧。
  18. ^ 気象庁|過去の気象データ検索”. www.data.jma.go.jp. 2022年6月21日閲覧。
  19. ^ a b 横手(秋田県) 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 過去の気象データ検索. 気象庁. 2023年9月24日閲覧。
  20. ^ 最高気温記録、最低気温記録については1991年 - 2020年の前後の記録も反映する。
  21. ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 681.
  22. ^ a b c d e 平凡社 1980, p. 224.
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関連項目

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外部リンク

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