秋田あけぼの銀行
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旧秋田あけぼの銀行本店ビル (現・北都ビルディング) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
機関設計 | 取締役会設置会社 |
市場情報 | 非上場 |
略称 | あけぼの銀 |
本店所在地 |
日本 〒010 秋田県秋田市中通五丁目1番51号 |
設立 |
1949年4月23日 (秋田無尽株式会社) |
業種 | 銀行業 |
金融機関コード | 0505 |
事業内容 | 銀行業 |
代表者 | 本山剛(取締役頭取) |
主要子会社 | あけぼのミリオンカード |
特記事項:1993年4月、羽後銀行に吸収合併され、解散。同時に羽後銀行は北都銀行に改称。 |
株式会社秋田あけぼの銀行(あきたあけぼのぎんこう、Akita Akebono Bank Ltd.)は、かつて秋田県秋田市に本店をおいていた、第二地方銀行。
概要
[編集]終戦後、秋田県に唯一設立された無尽会社として、秋田無尽株式会社が設立されたのを起源とする。
その後、相互銀行に転換し、株式会社秋田相互銀行として中小企業や個人を中心とした営業展開をしていく。
秋田県外では、青森市(当時)[1]、弘前市(当時)[2]、盛岡市、仙台市、山形市、酒田市(当時)[3]、大宮市(当時)[4]、東京都台東区に店舗を進出させていた。県外店では、北都銀行盛岡支店の廃止[5]を最後に、秋田相互銀行および秋田あけぼの銀行を由来とする現存している店舗はないが、当行の仙台支店の跡地に、北都銀行仙台支店[6]が設置されている。
1980年代ごろから、池田修三の版画をデザインしたカレンダーを配布していたことがあった。北都銀行になってからは取り止めになっていたが、2010年代になってから、池田作品に注目が集まったこともあって、北都銀行でノベルティを製作したこともある。
1989年に、第二地方銀行協会加盟の普通銀行に転換し、株式会社秋田あけぼの銀行に改称。
県内でのシェア拡大を狙い、羽後銀行と合併する選択をとることになり、1993年に解散。
旧本店ビルは、北都銀行別館を経て、2011年に改装工事が実施され、北都ビルディングに改称[7]。2012年3月、北都銀系の秋田不動産サービスがビルを取得し、管理運営を行っている。
沿革
[編集]- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)
- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年)12月24日 - 本店営業部手形出張所開設[11]。
- 1965年(昭和40年)10月4日 - 青森支店開設[12]。
- 1982年(昭和57年)10月 - 本店(現在の北都ビルディング)を新築。同年、秋田市より「市民が選ぶ都市景観賞」の11施設の中に選ばれる。
- 1989年(平成元年)4月1日 - 相互銀行から第二地方銀行に転換し、株式会社秋田あけぼの銀行に改称。
- 1993年(平成5年)
歴代頭取・社長
[編集]- 片野重脩(1949年~1973年)秋田無尽(1949年~1950年)→秋田相互銀行(1950年~1973年)の各代表取締役社長。事実上の創業者。
- 片野饗一(1973年~1990年)1973年~1989年3月31日間は秋田相互銀行社長。1989年4月1日付で秋田あけぼの銀行頭取。片野重脩の長男。
- 本山剛(1990年~1993年3月31日)秋田あけぼの銀行代表取締役頭取。日本銀行出身。
スポーツ活動
[編集]- 秋田あけぼの銀行硬式野球部(社会人野球) - 秋田相互銀行時代に創部し、1964年から1991年にかけて活動していた。
脚注
[編集]- ^ 後に、新設合併により、現在の青森市の一部となっている。
- ^ 後に、新設合併により、現在の弘前市の一部となっている。
- ^ 後に、新設合併により、現在の酒田市の一部となっている。
- ^ 当該店舗は、現在のさいたま市大宮区となった地域に所在していた。
- ^ 廃止時の位置は、羽後銀行の跡地に移転していた。
- ^ 羽後銀行仙台支店が前身の店舗。
- ^ “北都ビルディング(旧北都銀行別館)への呼称変更とリニューアルの実施について”. 北都銀行. (2011年5月30日) 2020年3月7日閲覧。
- ^ 『相互銀行』全国相互銀行協会、1960年2月、79頁。
- ^ 『相互銀行』全国相互銀行協会、1960年5月、72頁。
- ^ 『相互銀行』全国相互銀行協会、1960年9月、73頁。
- ^ 『相互銀行』全国相互銀行協会、1963年1月、77頁。
- ^ 『相互銀行』全国相互銀行協会、1965年11月、64頁。
参考文献
[編集]- 『秋田相互銀行 十年誌』秋田相互銀行 1960年。
- 『秋田相互銀行 三十年史』秋田相互銀行 1980年。