1602年
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千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1580年代 1590年代 1600年代 1610年代 1620年代 |
年: | 1599年 1600年 1601年 1602年 1603年 1604年 1605年 |
1602年(1602 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]- 干支 : 壬寅
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2144年 - 2145年
- イスラム暦 : 1010年 - 1011年
- ユダヤ暦 : 5362年 - 5363年
- ユリウス暦 : 1601年12月22日 - 1602年12月21日
カレンダー
[編集]できごと
[編集]- 3月20日 - オランダ東インド会社(世界初の株式会社)設立[要出典]
- 『坤輿万国全図』が北京で刊行
- シェイクスピアの『ハムレット』初演(推定)
- 教如が東本願寺を建立し、本願寺が東西に分裂
- 4月11日 - 徳川家康が関ヶ原の戦いに関する薩摩国の島津氏に関する処分を発表する。
- 12月28日 - 島津忠恒が、伏見城において家康に謁する。
誕生
[編集]→「Category:1602年生」も参照
- 1月4日(慶長6年閏11月11日) - 藤堂高次、伊勢津藩第2代藩主。藤堂高虎の嫡男(+ 1676年)
- 3月7日(慶長7年1月14日)- 狩野探幽、狩野派絵師(+ 1674年)
- 4月28日(慶長7年3月7日) - 徳川頼宣、紀州藩初代藩主(+ 1671年)
- 5月2日 - アタナシウス・キルヒャー、ドイツの学者、イエズス会司祭(+ 1680年)
- 5月26日 - フィリップ・ド・シャンパーニュ[1]、画家(+ 1674年)
- 7月14日 - マザラン、フランス王国首席大臣・枢機卿(+ 1661年)
- 9月4日(慶長7年7月19日)- 阿部忠秋、老中(+ 1675年)
- 11月30日 - オットー・フォン・ゲーリケ、科学者。マクデブルクの半球で有名(+ 1686年)
- ジュゼッペ・キアラ、イエズス会宣教師(+ 1685年)
死去
[編集]→「Category:1602年没」も参照
- 3月11日 - エミリオ・デ・カヴァリエーリ、作曲家(* 1550年頃)
- 3月22日 - アゴスティーノ・カラッチ、画家(* 1557年)
- 3月24日(慶長7年2月1日) - 井伊直政、戦国武将、近江佐和山藩初代藩主(* 1561年)
- 5月7日(万暦30年3月16日) - 李贄、明末の思想家(* 1527年)
- 5月22日 - レナータ・フォン・ロートリンゲン、バイエルン公ヴィルヘルム5世の妃(* 1544年)
- 6月2日(慶長7年4月14日) - 里村紹巴、連歌師(* 1525年)
- 6月2日(慶長7年4月14日)- 内藤正成、戦国武将(* 1528年)
- 6月25日(慶長7年5月6日) - 相馬治胤、戦国武将(* 1541年)
- 7月9日(慶長7年5月20日) - 前田玄以、豊臣政権五奉行(* 1539年)
- 8月12日 - アブル・ファズル、ムガル帝国(インド)の思想家・歴史家(* 1551年)
- 10月2日(慶長7年8月17日) - 伊集院忠真、戦国武将(* 1576年)
- 10月13日(慶長7年8月28日) - 於大の方、松平広忠・久松俊勝の正室、徳川家康の母(* 1528年)
- 10月 - トマス・モーリー、作曲家(* 1557年)
- 11月29日 - アントニー・ホルボーン、作曲家(* 1545年頃)
- 11月29日(慶長7年10月16日) - 卜半斎了珍、和泉国の地頭(* 1526年)
- 11月30日(慶長7年10月17日) - 立花誾千代、立花氏の女性当主(* 1569年)
- 12月1日(慶長7年10月18日) - 小早川秀秋、備前岡山藩主(* 1582年)
脚注
[編集]注釈
出典