村上清治
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村上 清治(むらかみ せいじ、1895年(明治28年)3月19日[1] - 1955年(昭和30年)10月13日[1][2])は、大正から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡上郷村長。
経歴
[編集]秋田県由利郡上郷村横岡[1](象潟町[1]を経て現にかほ市)で、素封家の家に生まれる[1]。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て[1]、1916年(大正5年)東北帝国大学農科大学農学実科(現北海道大学農学部)を卒業[1][2]。農業に従事した[1][2]。
不動建物取締役社長、上郷村農業会長、同農会評議員、同信用組合理事、同森林組合長、上郷文化協会長、由利郡農業会長会副会長、象潟上郷上浜信用購買販売利用組合監事などを務めた[1][2]。
政界では、上郷村会議員(3期)、秋田県会議員(1期)、上郷村長、由利郡仁賀保町村長会長、秋田県町村長会評議員などを務めた[1][2]。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に秋田県第2区から日本自由党公認で出馬して当選[3]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して再選され[4]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、民主自由党政調会庶務部長、同幹事などを務めた[2]。その後、第25回総選挙に立候補したが落選した[5]。