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田中茂 (参議院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 茂
たなか しげる
エクアドル共和国キトで開催された第23回アジア太平洋議員フォーラム(APPF)にて(2015年1月14日)
生年月日 (1957-11-27) 1957年11月27日(67歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県
出身校 クレイトン大学教養学部政治学科
前職 広告代理店従業員
中曽根康弘衆議院議員秘書
現職 一般社団法人アジア太平洋ネットワークフォーラム理事長
所属政党みんなの党→)
無所属
公式サイト 田中しげる Official Web Site

選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 2014年3月31日 - 2016年7月25日
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田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、日本政治家参議院議員(1期)を務めた。

来歴

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福岡県生まれ[1]佐賀県武雄市出身[2]武雄市立武雄小学校武雄市立武雄中学校佐賀県立武雄高等学校クレイトン大学教養学部政治学科卒業。

広告代理店東急エージェンシー勤務を経て[3]1987年中曽根康弘(第71 - 73代内閣総理大臣)事務所に入所。1993年12月より、中曽根の秘書、公設第一秘書政策秘書を務める[2]

2010年7月の第22回参議院議員通常選挙みんなの党公認で比例区から立候補したが、落選した。2014年3月に同党から当選していた藤巻幸夫が死去したことに伴い、同選挙におけるみんなの党比例区名簿にて、11位となっていた田中を繰り上げ当選とすることが、同年3月28日に行われた中央選挙管理会の選挙会で決定した(みんなの党の獲得議席数は7でその時点までで8位から10位の3人が既に繰り上げ当選していたため11位の田中が当選となった)[4]。同月31日に当選の旨が告示され[5]、参議院議員に就任した。

2014年11月、みんなの党が解党。翌12月、参議院会派日本を元気にする会の設立に参加した[6]2015年1月、日本を元気にする会が政党として届出られたが、これには加わらず[7]無所属議員として参議院会派「日本を元気にする会・無所属会」に所属した[8]

2016年1月6日、元気会が参議院で維新の党との統一会派「維新・元気の会」を結成した際に、会派を離脱した[9]。同年2月3日、参議院の自由民主党会派に入会[10]同年7月の参議院選挙には出馬しなかった。

任期満了後一般社団法人アジア太平洋ネットワークフォーラム理事長に就任[11]

政策

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脚注

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  1. ^ [1]
  2. ^ a b プロフィール田中しげる Official Web Site
  3. ^ “asahi.com(朝日新聞社):候補者 - 2010参院選 - 朝日新聞デジタル”. 朝日新聞. (2010年6月24日). http://www.asahi.com/senkyo2010/carta/C09012.html 2020年7月18日閲覧。 
  4. ^ 参院:みんな・田中氏が当選 藤巻幸夫氏の死去で繰り上げ 毎日新聞 2014年3月28日閲覧
  5. ^ 平成26年(2014年)3月31日中央選挙管理会告示第7号「平成二十二年七月十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件」:『官報』 平成26年3月31日付(本紙 第6259号) p. 3
  6. ^ “旧みんな参院会派が分裂=「元気にする会」と「無所属クラブ」”. 時事ドットコム (時事通信社). (2014年12月18日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201412/2014121800696 2016年6月14日閲覧。 
  7. ^ “=抄録永田町= 田中議員、無所属で精力的”. 佐賀新聞. (2015年5月1日). http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/182528 2015年6月14日閲覧。 
  8. ^ [2]
  9. ^ 「あり得ない」維新と元気の参院統一会派に民主が反発 産経新聞
  10. ^ 本人サイト
  11. ^ APNFについてごあいさつ一般社団法人アジア太平洋ネットワークフォーラム
  12. ^ 毎日新聞2010年参院選アンケート

外部リンク

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