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左藤恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
左藤 恵
(左藤 惠)
さとう めぐむ
生年月日 (1924-02-28) 1924年2月28日
出生地 日本の旗 日本大阪府大阪市
没年月日 (2021-01-09) 2021年1月9日(96歳没)
死没地 日本の旗 日本、大阪府大阪市天王寺区
出身校 京都帝国大学法学部
所属政党自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
国民の声→)
民政党→)
無所属→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
親族 左藤章(娘婿)

日本の旗 第25代 国土庁長官
内閣 羽田内閣
在任期間 1994年4月28日 - 1994年6月30日

日本の旗 第53代 法務大臣
内閣 第2次海部改造内閣
在任期間 1990年12月29日 - 1991年11月5日

日本の旗 第45代 郵政大臣
内閣 第2次中曽根第1次改造内閣
在任期間 1984年11月1日 - 1985年12月28日

選挙区旧大阪6区→)
大阪2区
当選回数 10回
在任期間 1969年 - 2000年
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左藤 恵(左藤 惠[1]、さとう めぐむ、1924年2月28日 - 2021年1月9日)は、日本政治家弁護士大阪弁護士会所属)。位階正三位

衆議院議員(10期)、国土庁長官郵政大臣法務大臣を歴任した。

来歴・人物

[編集]

大阪府大阪市出身[2]。旧制大阪府立住吉中学校(現:大阪府立住吉高等学校)卒業。旧制高知高等学校を経て、1945年9月京都帝国大学法学部卒業。同年10月、逓信院入省。郵政省に所属し、大臣官房文書課長補佐、外務省出向(ジュネーブ領事)、貯金局国際業務部長、電波監理局放送部長、松山郵政局長などを歴任。

1969年大阪府知事であった父・左藤義詮の在任中に旧大阪6区から自民党公認で立候補し初当選。衆議院議員連続当選10回(当選同期に小沢一郎羽田孜梶山静六奥田敬和渡部恒三綿貫民輔塩崎潤森喜朗村田敬次郎松永光江藤隆美中山正暉浜田幸一など)。自民党内の派閥では佐藤栄作田中角栄竹下登派に所属した。

自治政務次官、郵政政務次官、衆議院地方行政委員長などを経て郵政大臣法務大臣を歴任。

1990年-1991年、法相在任中には、死刑執行命令書に署名しなかったことで取り沙汰された。本人が真宗大谷派寺院の住職であったことから、宗教的信条から署名をしないとする報道もあったが、後の本人の述懐によると、宗教的信条よりもむしろ京都帝大時代に師事した刑法学佐伯千仭の教えによるものだとされる[3]。法相が死刑執行命令書に署名をしないことについては賛否両論があったが、左藤の場合は本人の宗教的信条が関係していた点も議論となった。

1993年、同期当選の羽田孜、小沢一郎らと行動を共にし自民党離党、新生党結成に参加。1994年羽田内閣国土庁長官を務めた。

1994年12月、新進党の結成に参加。1998年1月には国民の声民政党に参加し、統一会派「民主友愛太陽国民連合(のち:民友連)」の代表も務めた。

1998年4月の民主党結成には参加せず無所属となり、その後、自民党に復党。

2000年6月、娘婿の左藤章に地盤を譲り政界から引退

2006年4月、大阪弁護士会に弁護士登録。久保井総合法律事務所客員弁護士。

また、学校法人大谷学園(大谷幼稚園、大谷中学・高等学校東大谷高等学校大阪大谷大学)理事長[4](1969年11月~2009年10月)。大谷学園学園長(2003年4月~2009年)

2021年1月9日慢性心不全のため大阪市天王寺区の病院で死去[2]。96歳没。死没日をもって正三位に叙される[1]

家系

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左藤了秀
[* 1]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左藤義詮
[* 2]
 
行子
[* 3]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左藤恵
[* 4]
 
定子
[* 5]
 
河野弘
 
左藤孜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左藤一義
[* 6]
 
左藤章
[* 7]
 
浩子
 
 
 
 
 
 

系譜脚注
  1. ^ 左藤了秀:大谷学園創設者。
  2. ^ 左藤義詮:2代大谷学園理事長。2代大阪府知事、9代防衛庁長官。
  3. ^ 左藤行子:3代大谷学園理事長。
  4. ^ 左藤 恵:4代大谷学園理事長。45代郵政大臣、53代法務大臣、25代国土庁長官。
  5. ^ 左藤定子:2016年3月5日死去。85歳。
  6. ^ 左藤一義:5代大谷学園理事長。
  7. ^ 左藤 章:衆議院議員。伊戸薫次男、婿養子。
出典
  • 日外アソシエーツ編『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』、2003年10月、ISBN 978-4-8169-1805-6

著作

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  • 『欧洲雑記 : 国際会議のあらまし』(官業労働研究所、1962年)
  • 『世界の旅から』(左藤恵事務所、1979年)
  • 『通信は時代を創る : 距離と時間を超えて』(ビジネス社、1985年)
  • 『七転び八起きで、九十まで』(出版樹々、2015年)
  • 『七転び八起きで、九十まで : 雑記』(出版樹々、2015年)
  • 『人生 山あり谷あり』(出版樹々、2017年)
  • 『七転び八起きで、九十まで--番外編』(出版樹々、2020年)

脚注

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  1. ^ a b 『官報』第431号10頁 令和3年2月12日号
  2. ^ a b “左藤恵元法相が死去 在任中に死刑執行拒否”. 東京新聞社. (2021年1月10日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/79094 2021年1月10日閲覧。 
  3. ^ 『七転び八起きで、九十まで』出版樹々、2015年10月、156-157頁。 
  4. ^ 左藤恵『出身県別 現代人物事典 西日本版』p888 サン・データ・システム 1980年

関連項目

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公職
先代
奥田敬和
日本の旗 郵政大臣
第45代 :1984年 - 1985年
次代
佐藤文生
先代
梶山静六
日本の旗 法務大臣
第53代 :1990年 - 1991年
次代
田原隆
先代
上原康助
日本の旗 国土庁長官
第25代 :1994年
次代
小沢潔
議会
先代
奥田敬和
日本の旗 衆議院懲罰委員長
1997年
次代
小沢辰男
先代
牧野隆守
日本の旗 衆議院内閣委員長
1993年 - 1994年
次代
田中恒利
先代
塩谷一夫
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1980年 - 1981年
次代
中山利生
先代
福島譲二
日本の旗 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 次代
中山利生
学職
先代
左藤行子
日本の旗 学校法人大谷学園理事長
1969年 - 2009年
次代
左藤一義