浜田幸雄
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浜田 幸雄 はまだ たかお | |
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生年月日 | 1898年8月1日 |
出生地 | 高知県高知市浦戸町 |
没年月日 | 1974年3月23日(75歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
前職 |
国家公務員(大蔵省) 南満洲鉄道株式会社理事 |
所属政党 |
(無所属→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲二等旭日重光章 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 高知県地方区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1971年7月2日 - 1974年3月23日 |
選挙区 | 高知県全県区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1952年10月1日 - 1955年1月24日 1958年5月22日 - 1966年12月27日 |
浜田 幸雄(濱田 幸雄[1]、はまだ たかお、1898年8月1日 - 1974年3月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、参議院議員(1期)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問 [2]。位階は従三位、勲等は勲二等。
来歴
[編集]- 1898年(明治31年)- 高知市浦戸町に生まれる。
- 高知県立第一中学校、第三高等学校卒業。
- 1922年(大正11年)- 東京帝国大学法学部を卒業後、大蔵省専売局入局。
- 1941年(昭和16年)- 広島税務監督局長・財務局長
- 1942年(昭和17年)- 大蔵省営繕管財局長
- 1943年(昭和18年)- 大蔵省専売局長官
- 1945年(昭和20年)4月- 退官
- 6月- 南満洲鉄道株式会社理事
- 1946年(昭和21年)- 公職追放
- 1949年(昭和24年)- 第24回衆議院議員総選挙高知県全県区落選(無所属)
- 1952年(昭和27年)- 第25回衆議院議員総選挙当選(自由党)
- 1953年(昭和28年)- 第26回衆議院議員総選挙当選(吉田自由党)
- 1955年(昭和30年)- 第27回衆議院議員総選挙落選(自由党)
- 1958年(昭和33年)- 第28回衆議院議員総選挙当選(自由民主党)
- 1960年(昭和35年)- 第29回衆議院議員総選挙当選
- 1963年(昭和38年)- 第30回衆議院議員総選挙当選
- 1965年(昭和40年)- 衆議院法務委員長
- 1967年(昭和42年)- 第31回衆議院議員総選挙落選
- 1968年(昭和43年)- 秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲三等からの昇叙)[3]
- 1969年(昭和44年)- 第32回衆議院議員総選挙落選
- 1971年(昭和46年)- 第9回参議院議員通常選挙高知県選挙区当選
- 1974年(昭和49年)- 参議院議員在任中に脳溢血のため死去、75歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位から従三位に叙される[1]。
その他
[編集]- 高知市の潮江天満宮に、銅像が建っている。
脚注
[編集]- ^ a b 『官報』第14173号16-17頁 昭和49年3月29日号
- ^ “『板垣精神 -明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念-』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2020年9月1日閲覧。
- ^ 『官報』第12568号12頁 昭和43年11月4号
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)
議会 | ||
---|---|---|
先代 加藤精三 |
衆議院法務委員長 1965年 - 1966年 |
次代 大久保武雄 |
先代 西村英一 |
衆議院地方行政委員長 1960年 - 1961年 |
次代 園田直 |
官職 | ||
先代 木内四郎 |
大蔵省専売局長官 第15代:1943年 - 1945年 |
次代 植木庚子郎 |