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安孫子藤吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安孫子 藤吉
あびこ とうきち
1955年
生年月日 (1904-02-22) 1904年2月22日
出生地 山形県寒河江市
没年月日 (1992-04-06) 1992年4月6日(88歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
前職 食糧庁長官
称号 勲一等瑞宝章・旭日大綬章・寒河江市名誉市民

内閣 鈴木善幸内閣
在任期間 1980年12月17日 - 1981年11月30日

選挙区 山形県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1974年 - 1986年

山形県の旗 公選第3-7代 山形県知事
当選回数 5回
在任期間 1955年 - 1973年
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安孫子 藤吉(あびこ とうきち、1904年2月22日 - 1992年4月6日)は、日本農林官僚政治家山形県知事自由民主党参議院議員を務めた。栄典正三位勲一等瑞宝章旭日大綬章

来歴・人物

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1962年5月21日、ホワイトハウスにて(左)。右はジョン・F・ケネディ大統領。

山形県寒河江市出身。旧制鎌倉中学(現:鎌倉学園)、旧制山形高校を経て、1929年 東京帝国大学法学部法律学科卒業後、農林省に入省(畜産局嘱託[1])。米穀局外地・内地課長、大臣官房会計課長、食糧管理局次長等を歴任[2]

1949年に初代食糧庁長官に就任。長官在任時にコメの統制撤廃を打ち出した吉田内閣の方針に強く反対して退官した[2]

退官後の1955年、三選を目指した村山道雄知事が繰り上げ辞任で選挙にのぞむことに県政界が反発。反村山陣営から出馬を要請され、山形県知事選挙に立候補し初当選。連続5期務めた。任期中はまず、県財政の再建に取り組み、その後、後進県からの脱却を目指し、産業構造の高度化や福祉、人づくりの施策を進め、県民会館の建設、山形空港の開港、酒田北港や新県庁舎の建設、山形大学医学部の設置、米作り日本一の達成等に尽力した[2]

1974年第10回参議院議員通常選挙山形県選挙区から出馬し初当選。2期務める。1980年12月から1981年11月まで病気で途中辞任した石破二朗の後任として鈴木善幸内閣自治大臣国家公安委員長を務め、1986年に政界を引退。その後、エフエム山形の会長などを務めた。

1992年4月6日、呼吸不全で死去[2]享年88。

叙位・叙勲

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  • 1980年11月3日 - 勲一等瑞宝章 叙勲[3]
  • 1982年3月 - 寒河江市名誉市民
  • 1992年4月6日 - 正三位 叙位 旭日大綬章 叙勲[4]
  • 1992年4月14日 - 故正五位 安孫子藤吉 特旨を以て位四級追陞[4]

脚注

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  1. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、270頁
  2. ^ a b c d 『山形県大百科事典』p.17
  3. ^ 『官報』1980年11月13日 本紙 16144 叙位・叙勲
  4. ^ a b 『官報』1992年4月18日 本紙 892 叙位・叙勲

参考文献

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  • 山形放送株式会社山形県大百科事典事務局編『山形県大百科事典』山形放送、1983年。
公職
先代
石破二朗
日本の旗 自治大臣
第29代:1980年 - 1981年
次代
世耕政隆
先代
石破二朗
日本の旗 国家公安委員会委員長
第39代:1980年 - 1981年
次代
世耕政隆
先代
村山道雄
山形県の旗 山形県知事
公設第3 - 7代:1955年 - 1973年
次代
板垣清一郎
議会
先代
寺本広作
日本の旗 参議院外務委員長
1977年 - 1978年
次代
菅野儀作
名誉職
先代
新谷寅三郎
最年長参議院議員
1984年12月 - 1986年7月
次代
八百板正