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舞鶴市

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まいづるし ウィキデータを編集
舞鶴市
舞鶴市旗 舞鶴市章
舞鶴市旗
1944年1月20日制定
舞鶴市章
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
市町村コード 26202-1
法人番号 4000020262021 ウィキデータを編集
面積 342.13km2
総人口 75,133[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 220人/km2
隣接自治体 綾部市宮津市福知山市
福井県大飯郡高浜町
市の木 ケヤキ
市の花 ツツジ
市制記念日 5月27日
舞鶴市役所
市長 鴨田秋津
所在地 625-8555
京都府舞鶴市字北吸1044番地
北緯35度28分29秒 東経135度23分09秒 / 北緯35.47475度 東経135.38597度 / 35.47475; 135.38597座標: 北緯35度28分29秒 東経135度23分09秒 / 北緯35.47475度 東経135.38597度 / 35.47475; 135.38597
地図
市庁舎位置

舞鶴市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

舞鶴市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

舞鶴市(まいづるし)は、京都府北部の中丹地域に位置し、若狭湾の支湾である舞鶴湾に面する。もと京極氏牧野氏3万5000石の城下町。旧称、田辺。人口7万7千人。 舞鶴港の東港は、かつては旧日本海軍軍港で、舞鶴鎮守府の所在地であった。現在は海上自衛隊の基地港であり総監部(舞鶴地方隊)が置かれる。西港は、北前船の時代から現在に至るまで商港として利用されている。地域おこしとして、広島県呉市と共に肉じゃが発祥の地を名乗っている。

地理

地名の由来

元来この地域は「田辺」と呼ばれていたが、明治時代に山城(現・京田辺市)や紀伊(現・和歌山県田辺市)にある同名の地名との重複を避けるため、田辺城の雅称である「舞鶴城」より「舞鶴」の名称が取られた[1]。田辺城が「舞鶴城」の別名を得たのは、城型が南北に長く、東の白鳥峠から眺めるとあたかも鶴が舞っている姿のように見えるからであるとされている[2]

地形

山地

舞鶴市の周辺は丹波高地が広がり、代表する山岳には、福井県との県境部に位置する青葉山があり、「若狭富士」の異名をもつ。市域にはほかにも宇野ヶ岳赤岩山など600メートル級の山々が連なっている[3]

河川

市域の大半を山林地域が占めているが、1級河川の由良川や西舞鶴の高野川伊佐津川、東舞鶴の与保呂川志楽川流域などでは沖積地が発達している[3][4]

海岸

北は日本海若狭湾に面し、その最も深く湾入したところが舞鶴湾である。リアス式海岸など景勝地に富んでおり、オオミズナギドリ繁殖地として国の天然記念物に指定されている冠島沓島といった島々も舞鶴市に属している[5][3]

島嶼

気候

舞鶴市は日本海側気候の山陰区に属しており、春は山地より乾燥した南風が吹き下ろすフェーン現象が起こりやすく、夏は高温多湿で晴天の日が続く。冬は北西の季節風が吹き、雨や雪の日が多い。年平均気温は摂氏14.8度程度と比較的冷涼に見えるが夏季は最高気温が30度を超え、冬期は最低気温が0度以下になることもある。なお、12月から2月にかけては積雪がみられ、豪雪地帯にも指定されている[6]

舞鶴市の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 19.4
(66.9)
22.9
(73.2)
25.3
(77.5)
32.6
(90.7)
34.6
(94.3)
37.1
(98.8)
38.8
(101.8)
39.0
(102.2)
38.3
(100.9)
31.4
(88.5)
26.3
(79.3)
22.9
(73.2)
39.0
(102.2)
平均最高気温 °C°F 7.6
(45.7)
8.5
(47.3)
12.7
(54.9)
18.6
(65.5)
23.6
(74.5)
26.6
(79.9)
30.7
(87.3)
32.4
(90.3)
27.6
(81.7)
22.0
(71.6)
16.2
(61.2)
10.4
(50.7)
19.8
(67.6)
日平均気温 °C°F 3.7
(38.7)
4.1
(39.4)
7.4
(45.3)
12.7
(54.9)
17.8
(64)
21.6
(70.9)
25.9
(78.6)
27.1
(80.8)
22.9
(73.2)
17.0
(62.6)
11.3
(52.3)
6.2
(43.2)
14.8
(58.6)
平均最低気温 °C°F 0.7
(33.3)
0.5
(32.9)
2.8
(37)
7.4
(45.3)
12.7
(54.9)
17.7
(63.9)
22.4
(72.3)
23.3
(73.9)
19.3
(66.7)
13.2
(55.8)
7.5
(45.5)
2.8
(37)
10.9
(51.6)
最低気温記録 °C°F −8.0
(17.6)
−8.8
(16.2)
−6.2
(20.8)
−3.2
(26.2)
0.9
(33.6)
7.0
(44.6)
13.0
(55.4)
14.4
(57.9)
7.9
(46.2)
2.5
(36.5)
−1.7
(28.9)
−6.7
(19.9)
−8.8
(16.2)
降水量 mm (inch) 183.4
(7.22)
146.6
(5.772)
140.5
(5.531)
116.6
(4.591)
142.8
(5.622)
154.9
(6.098)
192.6
(7.583)
149.6
(5.89)
238.3
(9.382)
179.9
(7.083)
132.5
(5.217)
163.6
(6.441)
1,941.2
(76.425)
降雪量 cm (inch) 54
(21.3)
49
(19.3)
9
(3.5)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
24
(9.4)
135
(53.1)
平均降水日数 (≥0.5mm) 20.8 18.1 17.1 12.7 11.6 12.5 14.1 10.7 13.6 12.6 14.5 18.9 177.0
平均降雪日数 (≥0cm) 15.7 13.7 6.3 0.5 0 0 0 0 0 0 0.2 7.5 43.3
湿度 82 79 74 71 71 77 78 76 79 79 80 82 77
平均月間日照時間 72.1 82.5 123.0 165.3 182.9 136.0 151.2 194.7 134.5 128.6 101.3 80.4 1,552.4
出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、気温極値:1947年 - 現在)[7][8]


地域

舞鶴市の市街地は田辺藩城下町・商港から発展した西舞鶴と、海軍軍港から発展した東舞鶴のふたつに分かれており、両地区とも特徴的な市街地を形成している。舞鶴市にはほかに中舞鶴・加佐・大浦の3地区が存在する[3]

人口

人口は79831人と減少傾向にあるものの、京都府で5番目に大きい自治体であり、北部地域の中心的地位を保っている[9]

舞鶴市と全国の年齢別人口分布(2005年) 舞鶴市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 舞鶴市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
舞鶴市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 95,895人
1975年(昭和50年) 97,780人
1980年(昭和55年) 97,578人
1985年(昭和60年) 98,775人
1990年(平成2年) 96,333人
1995年(平成7年) 94,784人
2000年(平成12年) 94,050人
2005年(平成17年) 91,733人
2010年(平成22年) 88,669人
2015年(平成27年) 83,990人
2020年(令和2年) 80,336人
総務省統計局 国勢調査より

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.33%減の88,681人であり、増減率は府下26市町村中13位、36行政区域中22位。

出生率・高齢化率

京都府全体の高齢化率(19%)に比べ、舞鶴市は若年層の域外流出が多く、高齢化率は比較的高めである。また東西市街地の高齢化率が近年高まっており、府と市では対策に乗り出している。出生率は1.8を超えるなど全国的な傾向からは高いものの、2004年には人口動態が初めて自然減となっている。

  • 舞鶴市の高齢化率:21%(市街地に限定すると28%)
  • 舞鶴市の出生率:1.82(京都府全体では1.28)

隣接自治体

丹波高地北部に位置し、東は福井県高浜町、南は京都府綾部市福知山市、西は宮津市と接している。

京都府の旗京都府
福井県の旗福井県

歴史

先史

市内でもっとも古い遺跡は由良川沿いにある志高(しだか)遺跡で、縄文時代前期初頭の土器が出土している。 市内の縄文時代前期の遺跡としては、同じく由良川沿いに地頭遺跡・和江遺跡があるほか、大浦半島にも浦入(うらにゅう)遺跡がある[10]。 縄文時代中・後期には入植が市内全域に広がったとされ、東舞鶴の朝来(あせく)遺跡や西舞鶴の今田遺跡などが見つかっている。浦入遺跡からは丸木舟の遺構が発見されており、隠岐産の黒曜石北陸産の蛇紋岩製耳飾りなどが見つかっていることから、当時舞鶴に住んでいた人が海を介して遠隔地の人と交流していたことが分かっている[11]

弥生時代には志高遺跡をはじめとして、由良川の自然堤防上に複数の集落が形成され、水田の開発も市域の周辺部にまで広がっていった[11]。志高遺跡からは銅鐸や銅剣形石剣が発見されており、当時豊作祈願や、収穫を祝う祭礼が執りおこなわれていたと想像されている。また、当地では方形周溝墓や貼石墓、弥生時代末期になると方形台状墓が作られるようになった[12]

古代

観音菩薩立像。加佐郡についての最古の記述が彫られている。

弥生時代以降、由良川下流域を見渡す山の上に墳墓が築かれるようになり、その立地から由良川の水運を掌握した首長らの墓であると考えられている。鉄製農具の普及や灌漑設備によって農業生産力が向上したことにより各地の豪族が力をつけ、舞鶴地域には300基を越す古墳が作られた。その多くは6世紀後半に作られた横穴式石室を備えるものであり、これは大和朝廷の支配の影響であると見られている[12]。また、東舞鶴の妙見山古墳のように、農民の有力者が作ったと考えられる古墳も現れるようになった[13]

651年白雉2年)に作られたとされる、法隆寺旧蔵・東京国立博物館所蔵の銅造観音菩薩立像には「辛亥年七月十日に崩去した笠君のため、その日、遺児と伯父の二人が造像を発願した」との銘が彫られており、これは同地域についての記述としては最も古いものであると考えられている[14][15]。ほか、藤原京からは「丹波国加佐郡白薬里[注 1]大贄久己利魚腊[注 2]一斗五升和銅二年四月」と書かれたものなど、あわせて5枚の木簡が見つかっている[15]713年(和銅6年)には丹波国から加佐郡を含む5郡が割かれて、丹後国が成立した[15]

奈良時代の初期、志高遺跡では里長などの一部階級をのぞいては、ほとんどの人が竪穴建物に住んでいたが、奈良後期から平安時代初頭には村人の家も掘立柱建物となった。浦入遺跡では奈良時代後半から製塩鍛冶が盛んになり、生産活動の拠点として人や物資が集まった[16]延喜式神名帳には加佐郡の式内社として11座が掲載されており、うち名神大社に列せられた大川神社は、名神祭の際には朝廷から絹糸真綿といった頒幣にあずかった[17][18]。ほか、古代に建立されたと考えられる寺院には、多禰寺円隆寺松尾寺金剛院などがある。平安時代中期より末法思想が流行すると舞鶴地域でも油江(ゆご)、天台などで経塚が造営された[16]

中世・近世

(左)田辺城。田辺藩の主城であり、その雅称「舞鶴城」が市名の由来となった。(右)細川藤孝(幽斎)。初代舞鶴城主であり、関ヶ原の戦い時には籠城戦を耐え抜いた。

村上天皇女御が寄進したとされる志高荘を皮切れに、舞鶴地域でも荘園の成立が進み、『丹後国諸荘園郷保惣田数帳』によると1288年正応元年)にはすでに市域全域で中世的な荘園や郷が成立していた[16]。『吾妻鏡』によれば、1195年建久6年)に志楽荘の住民が地頭後藤基清の乱暴狼藉を鎌倉幕府に訴えている[19]南北朝時代において、丹後国はおおかた北朝勢力下にあったとされるが、1337年建武4年)には岡田荒張城(現舞鶴市)の南朝勢力と北朝の吉川経久が戦争を行っているなど、時勢は単純ではなかった[19][20]

南北朝期の丹後国守護は目まぐるしく変わったが、1391年明徳2年)に起こった明徳の乱ののちは一色氏の領国となった[19]。この乱で戦功を残した一色満範は足利義満より、もと山名氏の領国であった丹後国を与えられ、八田(現舞鶴市の田辺)に守護所を置いた[21]。一時若狭武田氏が丹後守護に任ぜられた時期はあったが、守護の名実を問わず一色氏が勢力を保ち続けた[19][22]戦国時代には舞鶴地域は一色義清・一色九郎ら一色氏内の各派閥と武田氏が相争う戦場となり、一色九郎方の丹後守護代・延永春信が現在の舞鶴市行永にある倉橋城に立てこもっている[23][24]。1582年(天正10年)より細川藤孝明智光秀の連合軍が織田信長の命を受けて丹後に攻め入り、一色氏は滅亡した[25]。舞鶴市鹿原/小倉を支配する小倉(真迫山)城主・大倉播磨守、同じく但馬谷城主・市村出羽守(大倉氏の一族か)も、細川氏によって滅ばされた。

1580年(天正8年)より丹後国は細川氏所領となった。当主・細川忠興宮津城に、忠興の父藤孝は田辺郷八田村に田辺城を築き、居住した[2]

1600年慶長5年)の関ヶ原の戦いで両人は東軍に属し、藤孝は田辺城にて西軍1万5000人あまりを60日間にわたって引きつける大功を立てた[26]。戦後の論功行賞で細川氏に豊前国豊後国に計39万9000石が与えられ、忠興が豊前中津城に移ったのち丹後には京極高知が入国、田辺城に住した[27][23]

1622年元和8年)高知の遺訓により遺領は3人の息子に分与され、次男の高三丹後田辺藩3万5000石を立てた[23]。上方全域を譜代大名領にする幕府の政策により、

1668年寛文8年)に京極高盛但馬国豊岡藩に移封されたのち牧野親成が入封、幕末まで牧野氏の領国となった[28][29]

近代・現代

(左)市街地が広がる東舞鶴の全景。昭和初期に撮影。(右)1945年7月、米軍機が撮影した舞鶴空襲時の舞鶴湾。

1872年(明治2年)の版籍奉還後、田辺藩は紀伊田辺藩との混同を避けるために田辺城の雅称「舞鶴城」より「舞鶴藩」に改名された[30][23]。舞鶴藩は廃藩置県ののち1876年(明治9年)に京都府に編入、1880年(明治12年)に加佐郡役所が置かれた[23]

1889年(明治22年)には舞鶴湾に日本海軍の基地が設置されることが決定、舞鶴港は軍港になることになった。周辺地域では実測183町(およそ1.81 km2)の土地が買収されたが、対象地域の農民には移転先の問題を含め、多大の犠牲がもたらされることとなった。1901年(明治34年)には正式に舞鶴鎮守府が発足し、日本海側唯一の軍港である舞鶴は重要な軍事基地となった[23]。中舞鶴・東舞鶴はこのときに計画的な都市設計が行われ、海軍の枢要地としての陣容が整えられた[31]。舞鶴鎮守府はロシアの日本侵入を防ぐために作られたものであり、1905年(明治38年)の日露戦争終戦を受けて同港の最重要目的は達成されたものの、1904年(明治37年)の鉄道開通により同市が陸海上交通の結節点となっていたこともあり、市の人口は増え続けた[31]ワシントン海軍軍縮条約にともなう軍縮により、1923年(大正12年)に舞鶴鎮守府は一時廃止され、規模も縮小されたが、1939年(昭和14年)には太平洋戦争にともなう軍備拡張のため再指定されている[5]。戦争末期の1945年(昭和20年)7月29日にはアメリカ軍により模擬原爆が投下され97人が死亡、翌日には舞鶴港に停泊していた艦船が攻撃を受け、83人が死亡した[32]

戦後舞鶴は引き揚げ港に指定され、1958年(昭和33年)の引揚援護局閉局までにソ連満州、朝鮮などから帰還した邦人66万4531人、遺骨1万6269柱を受け入れたほか、中国に3936人、朝鮮に2万9061人を送還している[5][33]。鎮守府の解体により多くの市民が生活基盤を失ったが、1950年(昭和25年)の旧軍港市転換法が制定され、新たな産業の創出が押し進められた。具体的には、旧海軍工廠の施設を利用した造船業鉄道車両の製造などが行われたほか、軍需工場であった繊維工場が再開され、くわえて化学肥料工場とガラス工場の誘致が行われた。また、木材を輸入して木製品・家具を作る産業が発展した。しかし高度経済成長期の終焉とともに造船業・繊維業などが構造的不況に陥り、企業城下町的経済体制のもとにあった舞鶴市は特定不況地域中小企業対策臨時措置法・特定業種関連地域中小企業臨時措置法・特定地域中小企業対策臨時措置法などの下でこうした構造的不況に取り組んでいくこととなった[34]

雪の海上自衛隊舞鶴基地、北吸岸壁

1950年(昭和25年)に警察予備隊が創設されると舞鶴にも駐屯が始まり、1952年(昭和27年)には警備隊舞鶴地方隊が編成され、舞鶴地方総監部・舞鶴航路啓開隊などが発足した。その後1954年(昭和29年)には自衛隊が発足し、警備隊舞鶴地方隊は海上自衛隊舞鶴地方隊に改称された[35]

海上自衛隊は、旧軍の用地をほぼそのまま利用しているが、旧軍用地の一部は公共施設や宅地、国道になっている。東舞鶴西部に所在する赤レンガ倉庫は、いずれも旧軍が建設したものであるが12棟が現存、8棟は国や市の文化財となり、博物館や観光施設に改装されている棟もあり、自衛隊基地と併せ貴重な観光資源となっている。なお、残る4棟は現在も海上自衛隊が倉庫として使用中である。

1951年(昭和26年)11月13日昭和天皇が市内を行幸(昭和天皇の戦後巡幸)。東舞鶴駅に到着した際に駅前奉迎が行われた後、市役所、飯野産業舞鶴製作所、明倫小学校を訪問した[36]

1953年(昭和28年)9月25日には台風13号の接近に伴い集中豪雨が発生。市内の河川が氾濫が発生して1934年の室戸台風以来の大水害となった。死者・行方不明者45人、負傷者80人[37]

市域の変遷

旧加佐郡の位置。
加佐郡の地図。桃色部分が現在の舞鶴市。7.岡田上村 8.岡田中村 9.岡田下村 10.丸八江村 11.東雲村 13.神崎村 14.四所村 15.舞鶴町 16.高野村 17.中筋村 18.池内村 19.余内村 20.倉梯村 21.与保呂村 22.志楽村 23.朝来村 24.東大浦村 25.西大浦村

舞鶴市は1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により誕生した、加佐郡舞鶴町を前身とする自治体である。舞鶴町は旧田辺藩(舞鶴藩)の城下町であり、町村制施行時点では同郡唯一の町であった。その後、舞鶴鎮守府の誕生とそれに伴う軍港都市の整備により、1902年(明治35年)には余部町[注 3]、1906年(明治39年)には新舞鶴町が誕生した。

軍港誕生による人口急増は、旧来の中心地であった舞鶴町にも影響を及ぼし、1936年(昭和11年)8月1日には貿易促進とそれによる工場誘致のため舞鶴町が周辺5ヶ村と合併し、2年後に市制施行により舞鶴市となった。同日には海軍の強い要望により、軍港周辺の自治体であった新舞鶴町・中舞鶴町と周辺3ヶ村が合併し、東舞鶴市が誕生した。1939年(昭和14年)に、軍縮により一時要港部となっていた舞鶴鎮守府が復活し、東舞鶴市外にも軍事施設が建設されるようになったため、1942年には新たに3ヶ村が東舞鶴市に併合された[38]

戦時にともない舞鶴港の重要性が上がっていくにつれ、海軍は両舞鶴市の合併を強く要請するようになった。旧城下町の舞鶴市と軍港都市の東舞鶴市は全く気質の異なる都市であり、合併は困難であるとみられていたが、舞鶴市に軍施設が拡大していったこともあり、鎮守府に押し切られる形で両市は1943年(昭和18年)5月27日をもって合併した[注 4]。終戦後、西舞鶴(旧舞鶴市)側から市の再分離が提案され、1950年(昭和25年)の住民投票では過半数の賛同を得たものの、実際に市町村区域の変更権を持つ京都府議会にて提案が否決されたため、分離はかなわなかった。1955年(昭和30年)には当時国と府が進めていた町村合併政策にしたがい5村が合併、加佐町が誕生し、1957年(昭和33年)には舞鶴の分離問題が下火となり、雪解けの雰囲気が広がる中で舞鶴市への編入を実現させた[39]

行政

市長

歴代市長
氏名 就任年月日 退任年月日 前職 出身
初代 立花 一 1943年7月27日[40] 1945年12月10日[40] 東舞鶴市長 海軍少将 鹿児島市
2 川北 正太郎 1946年1月15日[40] 1946年11月14日[40] 旧舞鶴市長[40] 西舞鶴
3 柳田 秀一 1947年4月5日[40] 1950年7月26日[40] 医師 西舞鶴
4 嵯峨根 達雄 1950年8月20日[40] 1954年7月24日[40] 舞鶴市助役 東舞鶴
5-10 佐谷 靖 1954年8月5日[40] 1977年4月4日[40] 医師 西舞鶴
11 立道 團造 1977年4月24日[40] 1978年12月31日[40] 舞鶴市助役 福知山市
12-15 町井 正登 1979年2月18日[40] 1995年2月17日 舞鶴市助役 綾部市
16-18 江守 光起 1995年2月18日 2007年2月17日 京都府議会議員 東舞鶴
19 齋藤 彰 2007年2月18日 2011年2月17日 京都府議会議員 西舞鶴
20-23 多々見 良三 2011年2月18日 2023年2月17日 医師 石川県
24 鴨田 秋津 2023年2月18日 現職[41] 舞鶴市議会議員 西舞鶴

市の機関

国の機関

舞鶴港湾合同庁舎

舞鶴市は、京都府北部の経済・行政の中心の1つとして、また舞鶴港を有することから国の出先機関が置かれている。

京都地方裁判所舞鶴支部は、北部の4支部のなかで、地裁の合議事件、家裁の少年事件を受け持っている他、法務省管轄施設である拘置所も北部では、舞鶴拘置支所のみである。

府の機関

中丹広域振興局(京都府の出先機関)

姉妹都市・提携都市

2015年時点の姉妹都市は3都市。なお、日本国内に姉妹都市・友好都市はない。

日本国外

議会

市議会

舞鶴市議会
  • 定数:26人[42]
  • 任期:2018年12月5日 - 2022年12月4日[43]
  • 議長:上羽和幸(公明党議員団)
  • 副議長:谷川眞司(創政クラブ議員団)
会派名 議席数 幹事長
創政クラブ議員団 8 高橋秀策
新政クラブ議員団 8 岸田圭一郎
公明党議員団 4 松田弘幸
日本共産党議員団 4 小杉悦子
鶴翔会議員団 3 亀井敏郎
会派に所属しない議員 1
常任委員会
  • 総務文教委員会(7名)
  • 経済消防委員会(7名)
  • 民生環境委員会(7名)
  • 建設委員会(7名)
  • 議会運営委員会(9名)
  • 予算決算委員会(3名)
特別委員会
  • 原子力防災・安全等調査特別委員会(9名)
  • 山陰新幹線京都府北部ルート誘致特別委員会(9名)

府議会

京都府議会
  • 選挙区:舞鶴市選挙区
  • 定数:2人
  • 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:67,237人
  • 投票率:42.98%
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数
池田正義 64 自由民主党 12,530票
小原舞 44 無所属 10,836票
後野和史 67 日本共産党 5,191票

衆議院

時の内閣:第1次岸田内閣 解散日:2021年10月14日 公示日:2021年10月19日 最終投票率:58.43% (全国投票率:55.93%(増加2.25%))

当落候補者名年齢所属党派新旧得票数得票率惜敗率推薦・支持重複
本田太郎47自由民主党17,966票
46.71%
――公明党推薦
山本和嘉子53立憲民主党6,816票
17.72%
37.94%
井上一徳59無所属9,837票
25.58%
54.75%国民民主党京都府連推薦×
山内健53日本共産党3,840票
9.98%
21.37%

経済

2010年(平成22年)の国勢調査によれば、第1次産業の従事者4.2パーセント、第2次産業の従事者23.4パーセント、第3次産業の従事者72.4パーセントである。産業別に見ると卸売業ないし小売業に就業しているものが最も多く(14パーセント)、ついで公務(13パーセント)、製造業(12パーセント)、医療・福祉(11パーセント)となっている[44]。男性に限って言えば公務従事者は全体の18パーセントを占め、これには海上自衛隊関連施設の存在が影響している[44][45]

舞鶴港は日本海側の重要港湾であり、船舶の大型化や荷役のコンテナ化に対応する港湾にするべく舞鶴国際埠頭が整備された。

中心市街地の人口は1985年度の約8,400人から2000年度には約6,300人に減少、実質商品販売額も約170億円から約110億円と35%も減少している。

東舞鶴駅前を中心に高層マンションが建設され、駅北口には北近畿最大級の家電量販店ケーズデンキ東舞鶴店が入る、JR東舞鶴駅NKビルが建っている。

第一次産業

舞鶴の郷土野菜である万願寺とうがらし

農業

舞鶴の水源地・与保呂川の上流

農林業就業者数は全体の約2.7パーセント(1178人)であり[44]、耕地面積は舞鶴市全体の4.2パーセント(1270ヘクタール)である。2015年のデータによると市内には2041世帯の農業経営者がいるものの、そのうち販売農家は714世帯、そのなかでも専業農家は245世帯のみである。最も多く育てられているのは米(548経営体・316ヘクタール)で、ほかには小豆(78経営体・25ヘクタール)、(19経営体・10ヘクタール)、ダイコン(162経営体・11ヘクタール)なども栽培されている[46]京野菜万願寺とうがらしは舞鶴発祥であり、「万願寺甘とう」の名称で2017年(平成29年)、京都府内でははじめてGI登録を受けた[47]

舞鶴市は由良川水源地と与保呂川水源地をもち、市の耕作に用いられる土地は全体の4.7%の1,620haである。そのうち水田率は77.8%であり、主にコシヒカリを生産している。また畑に用いられる土地は368haで、主に普通畑である。総人口に占める農家人口は、1990年には15%強あったが、2000年には11.9%、2,831戸まで低下している。全国と同じく農業就労者の高齢化も進んでいる。

林業

林業については、市内に2万6957ヘクタールの林野があり、主にスギヒノキ材を生産している[46][48]。中丹地域(福知山市・綾部市・舞鶴市)の由良川流域で育った木材は品質がいいということから、「丹州材」のブランド名がついている[49]

市全体の林野率は79.0%で27,015ha、人工林率は34.0%で8,597haである。国有林率は民間林の26,261haに比べ、754haで全体で2.8%になっている。林家数は1,239戸で、総世帯数に占める林家数の割合はわずか3.6%でしかない。ちなみに保安林は4,322haで全体の16.0%にあたる。

水産業

若狭湾に面する舞鶴市では漁業も営まれており、イワシサワラブリなど2493トンが水揚げされている[46]。舞鶴市内に属する漁港には、舞鶴漁港のほか田井漁港野原漁港竜宮浜漁港水ヶ浦漁港成生漁港瀬崎漁港西大浦漁港神崎漁港などがある。

2000年現在で387世帯が漁業に携わっており、個人漁業経営体332世帯で、 漁業従事者世帯は55世帯である。舞鶴市でも就労者の高齢化が進んでおり、漁業就業者数に占める65歳未満の割合は59.3%まで低下している。なお舞鶴漁港ではいわし類やあじ類が多く水揚げされており、近年では舞鶴近海でとれる岩牡蛎を「舞鶴牡蛎」としてブランド化しようとする動きがある。

傘下に、舞鶴・田井・成生・小橋・三浜・野原の各漁協がある。
漁港

市内に所在する漁港は以下のとおり。

畜産業

畜産業も行われており、市全体で乳牛が190頭、採卵が13万9100羽飼育されている[46]

第二次産業

舞鶴市の産業別工業の状況(2017年)[50]
産業名 事業所数 従業者数(人) 製造品出荷額(万円)
食料品 26 503 891974
飲料・たばこ・飼料 2 33
繊維 6 146 45997
木材・木製品 6 429 2601507
家具・装備品 1 41
印刷 4 40 32811
化学 2 58
石油・石炭 1 16
プラスチック製品 5 100 119365
窯業・土石 8 1108 8808392
非鉄金属 2 39
金属製品 11 151 235100
汎用機械 2 26
生産用機械 5 243 270626
電子部品 2 28
電子機械 2 50
輸送用機械 13 780 4047746
その他 4 27 20390

工業

終戦後、日本海軍の解体により大きな経済基盤を失った舞鶴市は、旧海軍の工場施設を活用することによって復興の道を歩んだ[51]。舞鶴海軍工廠を前身とするジャパン マリンユナイテッド舞鶴事業所は、日本海側にある造船所としては唯一8万トン級の船舶が建造できる施設であったが、中国や韓国との競争激化を理由に2021年には造船事業を撤退、以後は艦船・船舶修理専従事業所として操業している[52]。同様に、肥料メーカーの日之出化学工業・繊維メーカーの大和紡績舞鶴工場も戦中軍需施設として使われていた施設を活用したものである[53]

市内の工業のなかで重要な位置を占めるものとしては、ほかにガラス工業と木製品加工業があり、特に前者は市内の工業生産額の約半分を占めている。ガラス工業については、1952年(昭和27年)に日本板硝子が舞鶴工場を設置しており、1991年(平成3年)時点で1021人を雇用していた[54]。木製品加工業については、1968年(昭和43年)に丸甚合板工業・林ベニヤ産業丸玉木材が工場を建設し、平工業団地を形成している[55]

ジャパン マリンユナイテッド舞鶴事業所

鉱山

かつては硫化鉄を産出する舞鶴鉱山や、銅・を産出する大俣鉱山などがあったが、現在はいずれも閉山している[56]

  • 舞鶴鉱山
    • 別所暮谷鉱山:大正時代に廃坑:銅、硫化鉄
      • 別所から上根、白滝、寺田にかけて鉱脈があり、かつては、銀、銅、硫化鉄を産出した。
      • 池内銀山:1744年延享元年)4月採掘開始
      • 暮谷抗:
    • 横山別所鉱山:1927年廃坑
      • 高由里抗:廃坑
  • 舞鶴炭田:石炭:志高、吉坂、八戸:中生代(約2億3千万年前)の石炭。
    • 志高炭鉱:1948年閉山。無煙炭を産出した。舞鶴帯の志高層郡に存在する。
    • 松尾寺炭鉱:無煙炭を産出した。舞鶴帯の難波江層郡に存在する。
  • 白杉鉱山:褐鉄鉱、
  • 大俣鉱山:銅、廃止
  • 硫化水銀/、辰砂、朱沙(朱砂)、丹砂
    • 大丹生
    • 浦入
    • 女布
    • 紀ノ川・吉野川流域
  • 舞鶴要塞地帯内加佐郡
    • クローム鉱、ニッケル鉱

第三次産業

舞鶴港(舞鶴西港)の写真。国土交通省撮影。

商業

舞鶴市の商業は細川氏により、田辺城とその城下町が建設されて以降発達した。江戸時代に西廻り航路が開かれて以降は、藩内の由良湊が航路中の要津となった。また、城下町を流れる高野川筋にある竹屋町は商業の中心地となり、廻船問屋や商家、川の両岸には舟小屋や細工場が立ち並んだ[5]。終戦後まもない1958年(昭和28年)、舞鶴市は産業貿易館を設け、輸出産品の陳列を行い、貿易商の斡旋などにも力を入れた[57]

商圏・都市圏
バザールタウン舞鶴

舞鶴都市圏は舞鶴市全域を含め福井県大飯郡高浜町の全域とおおい町の一部、綾部市・宮津市の一部を含んでおり、商圏人口は約12万人である。

近年では東舞鶴駅前に平和堂系列の「らぽーる」(本社:舞鶴市、1995年開業)が進出し、西舞鶴にも駅東側にさとう系列の「バザールタウン舞鶴」(2000年開業)、駅前に「さとう舞鶴店」が出店しており、また東西両舞鶴市街地を結ぶ白鳥街道(京都府道28号小倉西舞鶴線)沿いや、西舞鶴の国道27号国道175号沿いには郊外型飲食店や娯楽施設、大規模小売店などが立地するなど、北近畿の商業地域として近隣市町村にその商圏を広げている。

なお、前述した白鳥街道にはバイパス計画や4車線化計画があるものの、既に市街地が形成されていることなどから事業が進んでおらず、白鳥街道の旧道を拡張しバイパスとする新たな道路計画がある。

卸売業

卸売業については2016年(平成28年)現在で168事業所1213事業者、小売業については644事業所4154事業者存在するが、事業所数・販売額ともに減少し続けている[58]。また、巨大な港湾を持つ舞鶴市では貿易も盛んであり、2018年(平成30年)で輸出額4429万2959円、輸入額7140万1949円となっている[59]。輸入品では石炭コークスおよび練炭が(4546万6087円)、輸出品では輸送用機器(2678万3528円)が最も多い[60]

観光業

舞鶴市内には旧海軍施設である舞鶴赤レンガ倉庫群や田辺城、古社・古刹といった様々な観光資源が存在するが、同市はその中でも「赤れんが」と「海・港」を活かした魅力づくりを推進している[61]。2016年(平成28年)次の推計観光客数は240万人を超えており、統計を取り始めた平成23年以降で過去最高を記録した[62]

拠点を置く主な企業

製造業

金属製造業
ガラス製造業
食品製造業
化学製造業
繊維製造業
  • 大和紡績 舞鶴工場(衣料・リビング素材・産業資材・土木資材)
近年発生した火災のあと、工場は解体され更地となっている。
木材加工

運輸・物流

小売店

トマトアンドアソシエイツ(外食、トマトアンドオニオンなどを運営)の創業地であり市内に本店があったが、2006年のすかいらーくグループ入りの後に、実質的な本社機能がある大阪府吹田市に本店を移動した。

金融機関

以前には舞鶴市内に本店を置く金融機関は東舞鶴信用金庫舞鶴信用金庫などがあったが、いずれも2002年(平成14年)の京都北都信用金庫との合併により消滅しており、市内に本店機能を有するところはJFのみ。

なお、福井県を地盤とする福井銀行福邦銀行が支店を有する他、小浜信用金庫も舞鶴市を営業エリアとしている。

京都北都信用金庫 舞鶴中央支店(旧 舞鶴信用金庫本店)

市の指定金融機関は、京都銀行である。

市内に本店・支店・出張所等の窓口を置く金融機関一覧は以下のとおり(2010年〈平成22年〉8月現在)。

金融機関種別 金融機関名称
地方銀行 京都銀行(2), 福井銀行
第二地方銀行 福邦銀行(2)
信用金庫 京都北都信用金庫(8)
信用組合 近畿産業信用組合京滋信用組合
労働金庫 近畿労働金庫
公庫 日本政策金融公庫
JAJF 京都丹の国農業協同組合(4), 京都府信用漁業協同組合連合会(2)
証券会社 みずほ証券六和証券
生命保険 日本生命住友生命大樹生命富国生命ジブラルタ生命など
損害保険 三井住友海上損保ジャパン東京海上日動共栄火災など
※カッコ内は窓口を置く事業所(支店など)の数。

情報・生活

マスメディア

新聞社

放送局

ライフライン

電力

ガス

上下水道

電信

市外局番は、市内全域が「0773」である。

医療・福祉

舞鶴赤十字病院

舞鶴市には国立病院機構舞鶴医療センター市立舞鶴市民病院舞鶴赤十字病院舞鶴共済病院と大型総合病院が4つあり、他にも9つの大型病院が集積している(この大型総合4病院は再編に向けて市議会で協議中)。また、中小規模の病院を加えると約75もの病院が市内各地に点在している。市内に拠点をおく医師は211人。宮津市や与謝郡、福井県大飯郡からの通院者も多い。

さらに、京都府北部の医療拠点としての位置付けられていて、京都府立の子ども療育センターや盲・聾学校などが置かれている。

子育て

高齢者福祉

  • 高齢者福祉 - 養護老人施設1ヶ所、老人福祉センター2ヶ所
  • 障害者福祉 - 身体障害者福祉センター1ヶ所、聴覚言語障害者支援センター1ヶ所

図書館

郵便局

郵便番号は以下の通り(2006年9月19日時点)。

教育

小学校中学校高等学校工業高等専門学校(高専)、大学の研究所、2005年に建設された府立の養護学校(現特別支援学校)といった学校教育施設のほか、海上保安庁施設等機関である海上保安学校公共職業能力開発施設である職業能力開発短期大学校がある。

2003年(平成15年)より京都精華大学と協同で、舞鶴自然文化園の活用による地域づくりなど様々な分野で連携を深めており、2005年(平成17年)3月3日には市と京都精華大学が「舞鶴サテライト事務所」を設置することで合意、それに先立ち「準備室」が開設された。

大学

専修学校

高等専門学校

国立舞鶴高専

高等学校

3校が設置されている。

中学校

7校が設置されている。

かつて設置されていた中学校

小学校

20校が設置されている。

  • 舞鶴市立新舞鶴小学校
  • 舞鶴市立三笠小学校
  • 舞鶴市立倉梯小学校
  • 舞鶴市立倉梯第二小学校
  • 舞鶴市立与保呂小学校
  • 舞鶴市立吉原小学校
  • 舞鶴市立余内小学校
  • 舞鶴市立池内小学校
  • 舞鶴市立中筋小学校
  • 舞鶴市立福井小学校
  • 舞鶴市立高野小学校
  • 舞鶴市立岡田上小学校
  • 舞鶴市立岡田下小学校
  • 舞鶴市立八雲小学校 ※休校
  • 舞鶴市立神崎小学校 ※休校

特別支援学校

学校教育以外の施設

交通

鉄道

東舞鶴駅

広域的な交通として、西日本旅客鉄道(JR西日本)の特急列車が乗り入れまたは接続している。なお、乗り入れる特急は東舞鶴駅を始終着駅としているほか、西舞鶴駅にも停車する。

なお、北陸新幹線敦賀駅以西のルート検討で、福井県小浜市・舞鶴市を経て京都駅へ繋ぐ「舞鶴・京都ルート」案があり、京都府関係者が強く推していたが、国土交通省の調査結果では費用対効果が得られないこともあり、与党の整備新幹線建設推進プロジェクトチームが小浜市から京都駅へ直行する「小浜・京都ルート」を採用し[63]、実現の可能性はほぼ消滅している。

西日本旅客鉄道(JR西日本)
京都丹後鉄道

バス

京都・大阪・神戸への高速バスがある。

1991年(平成3年)8月11日に舞鶴と東京を結ぶシルフィード号が、京都交通と京浜急行電鉄(現・京浜急行バス)の共同運行で運行開始した[64]が、2019年(令和元年)5月12日の運行をもって運行終了となった[65]

道路

1991年(平成3年)3月26日に舞鶴自動車道(現・舞鶴若狭自動車道)の福知山IC - 舞鶴西IC間が開通し、市内初の高速道路が開通した。また1998年(平成10年)3月8日には京都縦貫自動車道舞鶴大江ICが開通、同年3月18日には舞鶴西IC - 舞鶴東IC間が開通し、ようやく高速道路網が整備された[66]

2006年(平成17年)11月8日に舞鶴市東地区と綾部市上林地区を結ぶ、府道舞鶴和知線の「菅坂バイパス」(延長2.3キロ)が開通した[67]

2018年から国道27号西舞鶴道路の整備が開始された。同道路は通過交通向けの西舞鶴市街地回避バイパスであり、慢性的に交通集中が起こりがちな市街地内国道の渋滞・交通量減少に期待が持たれている[68]。 なお、これは南北に市街地をバイパスするものであり、別計画で東西に市街地をバイパスする臨港道路上安久線・和田下福井線が以前より事業中であるが、こちらは最終区間の工事が遅々として進んでいない[69]

高速道路

国道

府道

主要地方道
一般府道

市道

  • 和泉通線(和泉通)

船舶

新日本海フェリー「はまなす」(大阪港にて撮影)

韓国釜山港東海港、ロシアウラジオストク港、日本の神戸港などと国際貨物を運ぶ定期航路が結ばれている[70]。舞鶴 - 束草(韓国) - ザルビノ(ロシア)航路が検討されたことがある。旅客用には下記のほかに休止中の日韓露フェリー航路がある。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

赤れんが博物館
吉田のしだれ桜(瑠璃寺)
海軍記念館

室町時代から安土桃山時代にわたって丹後国の国府として発展し、数多くの史跡がある。また、かつて舞鶴鎮守府が設置されていた関係で、旧海軍に由来する施設も多い。

「倉庫群と舞鶴湾」を望むコースは、遊歩百選にも選ばれている。

2021年12月18日から2022年2月27日の期間限定で、年末年始除く土・日・祝日には、点在する観光名所を循環する舞鶴ループバスが運行されていた[71]

名所・旧跡

国の文化財・天然記念物など

  • 国宝(絵画)
    • 絹本著色普賢延命像:平安時代:松尾寺
  • 重要文化財(建造物)
    • 金剛院塔婆(三重塔):室町時代:金剛院
    • 行永家住宅(主屋、道具蔵、新蔵、土地):江戸時代
    • 舞鶴旧鎮守府倉庫施設(7棟)
    • 舞鶴旧鎮守府水道施設(桂貯水池施設、与保呂水源地施設、旧・北吸浄水場施設)
  • 重要文化財(絵画)
    • 絹本著色法華曼荼羅図:鎌倉時代:松尾寺
    • 絹本著色孔雀明王像:鎌倉時代:松尾寺
  • 重要文化財(彫刻)
    • 木造阿弥陀如来坐像:鎌倉時代:金剛院
    • 木造増長天・多聞天立像:平安時代:金剛院
    • 木造深沙大将立像:鎌倉時代:金剛院
    • 木造執金剛神立像:鎌倉時代:金剛院
    • 木造金剛力士立像:鎌倉時代:金剛院
    • 木造毘沙門天立像:平安時代:興禅寺
    • 木造阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像・釈迦如来坐像:平安時代:円隆寺
    • 木造不動明王・毘沙門天立像:鎌倉時代:円隆寺
    • 木造阿弥陀如来坐像:鎌倉時代:松尾寺
    • 木造金剛力士立像:鎌倉時代:多禰寺
  • 重要美術品(工芸品)
    • 石燈籠:鎌倉時代:桂林寺
  • 重要美術品(古文書)
    • 制札:元弘3年(1333年):金剛院
  • 天然記念物
    • オオミズナギドリの繁殖地(冠島)

遊覧船

建物

博物館等施設

神社

寺院

  • 松尾寺 - 西国三十三所第29番札所
  • 金剛院
  • 円隆寺
  • 本行寺 - 丹後国主 京極高知の菩提寺
  • 桂林寺
  • 瑞光寺
  • 多禰寺 - 日本第三位の大きさの鎌倉時代作の金剛力士像(重要文化財)がある。
  • 興禅寺
  • 千手院
  • 雲門寺
  • 西徳寺
  • 海臨寺
  • 龍勝寺
  • 報恩寺 - 京都府指定文化財である、幕末の京都の絵師塩川文麟が描いた44面の襖絵がある[72]
  • 満願寺
  • 大聖寺
  • 観音寺

公園・体験型施設

舞鶴自然文化園(アジサイ園)

海水浴場

渡し船によるスキューバダイビングも行われている。

宿泊施設

  • 西地区ホテル
    • 舞鶴グランドホテル
    • アパホテル西舞鶴駅前
    • 舞鶴グリーンホテル
    • ホテルつかさ舞鶴
    • 舞鶴港湾労働者福祉センター
    • 宰嘉庵(ゲストハウス「かなで」併設)
    • ホテルルートイン京都舞鶴 -西舞鶴駅前-
  • 東地区ホテル
    • スーパーホテル東舞鶴
    • シーサイドホテルパルコ
    • よしだ
    • ポートシャインホテル
    • アーバンホテル
    • ベルマーレ
    • アルスタイン
    • ウェーブ舞鶴
    • アマービレ
    • ホテルザ・ロッジ
    • おーべるじゅ・ど・ぼの
    • 舞鶴ふるるファームコテージ
    • オーブ浜
    • シーサイドホテル大波
  • 西地区旅館
    • 銀水閣
    • 霞月
    • 茶又
    • 小幡家
    • 風月
    • 由良川あかつき
    • ふじつ温泉
  • 東地区旅館
    • 五条旅館
    • 舞鶴館

祭事・催事

文化・名物

方言

舞鶴市では近畿方言の一種である舞鶴弁が話される。舞鶴市は旧丹後国であるが、舞鶴弁は宮津市などで話される丹後弁とは違いが大きく、綾部市などで話される丹波方言に近い。

7月下旬に開催される「みなと舞鶴ちゃったまつり」に代表される「ちゃった(~された)」という方言があり、舞鶴弁のことを俗に「ちゃった弁」と呼ぶ。

ローカルヒーロー「舞鶴防衛戦隊チャッタマン」の名称はこれにちなむもの。この「ちゃった」は丹波方言や播州弁などでも使われる軽い敬語で、例えば「あの人が来ちゃった」は、舞鶴では「あの人が来てしまった」ではなく「あの人が来られた」という意味になる。「ちゃった」の現在形は「てや」または「てです」。[要出典]

このほか、舞鶴弁では「しとってん」を「しているの?」という意味で使い、大阪弁のように「していたんだ」という意味では使わず、アクセントも異なる。[要出典]

名産・特産

出身関連著名人

出身著名人

ゆかりのある人物

舞鶴市を舞台・撮影地とした作品

多くの映画の舞台となった赤れんが倉庫群

舞鶴フィルムコミッションがロケのサポートを担っている[74]

映画

テレビ・ドラマ

参考文献

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(26) 京都府 下』平凡社、1982年。ISBN 4040012623 
  • 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』吉川弘文館。 
  • 坂根嘉弘編『軍港都市史研究(1) 舞鶴編』清文堂出版、2010年。ISBN 9784792406936 
    • 山神達也『第五章 近代以降の舞鶴の人口』、299-341頁。 
    • 山神達也『コラム 旧加佐郡における市町村合併』、342-348頁。 
    • 筒井一信『第六章 舞鶴の財政・地域経済と海上自衛隊』、349-389頁。 
  • 日本大百科全書』小学館。 
  • 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系(27) 京都府の地名』平凡社、1985年。ISBN 4582910122 
  • 舞鶴市『舞鶴市史 現代編』1985年。 NCID BN0280481X 
  • 舞鶴のあゆみ”. 舞鶴市 (2018年3月). 2019年5月4日閲覧。
  • 舞鶴市歴史文化基本構想”. 舞鶴市 (2018年). 2019年5月4日閲覧。
  • 舞鶴市統計書 平成30年版”. 舞鶴市 (2018年3月). 2019年5月8日閲覧。
  • 立命館大学経済学部地域経済ゼミナール編『京都府舞鶴市社会経済調査報告書』1994年。 NCID BN1096870X 

脚注

注釈

  1. ^ 現在の志楽地区から大浦半島南西部に比定される地域[15]
  2. ^ 久己利魚は「くこりうお」と読みカワハギの一種のこと。「腊」は「きたい」と読み、干物を意味する[15]
  3. ^ 1919年(大正8年)に中舞鶴町に改称。
  4. ^ この日は海軍記念日である[39]

出典

  1. ^ 舞鶴市 2018, p. 12.
  2. ^ a b 日本歴史地名体系 1985, 『田辺城』.
  3. ^ a b c d 舞鶴市 2018, p. 5.
  4. ^ 日本大百科全書, 『舞鶴市』.
  5. ^ a b c d 角川日本地名大辞典, 『舞鶴市』.
  6. ^ 舞鶴市 2018, p. 9.
  7. ^ 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2023年10月7日閲覧。
  8. ^ 観測史上1 - 10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2023年10月7日閲覧。
  9. ^ 京都府推計人口”. 京都府政策企画部企画統計課社会統計担当 (2019年4月1日). 2019年5月5日閲覧。
  10. ^ 舞鶴市 2017, p. 9.
  11. ^ a b 舞鶴市 2018, p. 20.
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関連項目

外部リンク