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山科区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やましなく ウィキデータを編集
山科区
琵琶湖疏水と桜
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
京都市
市町村コード 26110-6
面積 28.70km2
総人口 130,747[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 4,556人/km2
隣接自治体
隣接行政区
京都市左京区東山区伏見区
滋賀県大津市
山科区役所
所在地 607-8511
京都府京都市山科区椥辻池尻町14番地の2
北緯34度58分21秒 東経135度48分49秒 / 北緯34.97250度 東経135.81361度 / 34.97250; 135.81361座標: 北緯34度58分21秒 東経135度48分49秒 / 北緯34.97250度 東経135.81361度 / 34.97250; 135.81361
山科区総合庁舎
地図
外部リンク 京都市山科区役所
山科区位置図
ウィキプロジェクト

山科区(やましなく)は、京都市を構成する11の行政区の1つ。京都市の東側にある山科盆地の北部と、周辺の山地を区の範囲としている。

本項ではかつて同一地域に存在した宇治郡山科町(やましなちょう)についても述べる。

概要

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滑石道から見た山科盆地

東山により京都盆地から、音羽山や醍醐山(笠取山)などにより近江盆地から隔てられている。古くから京都東国とを結ぶ交通の要衝であった[1]

かつては農村地域だったが、現在はベッドタウンとして他地域からの移入者も多い[2]名神高速道路京都東ICなどもあり、京都市の東の玄関口として発展している。

東側は滋賀県大津市との県境に接しており、大津との結び付きも強い[注 1]

南側は伏見区醍醐地区に接しており、山科区と同一の生活圏や経済圏を形成している[4]。古くより同じ宇治郡であり山科川流域でもある山科区と醍醐地区との繋がりは、伏見区中心部と醍醐地区の繋がりよりも深いとされ[4]、市政や観光案内においても、山科と醍醐は一括りにされることが多い[5][6]

地理

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山科川

地形

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山地

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主な山

河川

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主な川

地域

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区を構成する町:京都市山科区の町名を参照。

人口

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山科区に相当する地域の人口の推移
1975年(昭和50年) 126,124人
1980年(昭和55年) 136,318人
1985年(昭和60年) 136,954人
1990年(平成2年) 136,070人
1995年(平成7年) 137,104人
2000年(平成12年) 137,624人
2005年(平成17年) 136,670人
2010年(平成22年) 136,045人
2015年(平成27年) 135,471人
2020年(令和2年) 135,101人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体・行政区

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京都府の旗京都府
滋賀県の旗滋賀県

歴史

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古代

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中臣遺跡
天智天皇陵

山科の栗栖野台地上にある中臣遺跡からは旧石器時代石器弥生時代方形周溝墓が発見されており、古くから山科には人々が住んでいたいたことが窺える[7]

律令制下において、山科は山城国宇治郡に属していた8郷のうちの1つであり、古くは「山階」「山品」とも表記された[8][9][10]

山科は古代より中央政権との結びつきが深かった。中臣鎌足は山科に邸宅(陶原館)を建てて拠点とし、天智天皇に山科から近い大津宮へ遷都するよう進言した[11]。鎌足は657年に館の一角に仏堂を建て、669年には妻の鏡王女が鎌足の病状を回復を祈願するために仏像を安置して山階寺とした[12][13][14]。山階寺は後に飛鳥を経て奈良に移り、興福寺となった[15][16]672年に天智天皇が崩御すると、は山科に造営された(御廟野古墳[17][18]

平安遷都後、山科には安祥寺848年)・毘沙門堂門跡勧修寺900年)・曼荼羅寺(後の随心院991年)など多くの寺院が建立され、醍醐には醍醐寺874年)が創建されている[19]

また、山科周辺は平安遷都以前から交通の要衝であった。奈良時代には北陸道(現:奈良街道)が宇治方面から山科盆地を北進して近江国に抜けるルートをとっており、山科には宿駅が設置された[20]。平安遷都に伴って山科駅は廃止されたが、京と東国を結ぶ東海道東山道が山科盆地の北端を通るようになった[8][20][21]

中世

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山科中央公園の山科本願寺土塁跡

平安時代末期、後白河上皇は山科に別荘(山科新御所)を造営した[22][23]。新御所周辺の所領は上皇の崩御後に寵妃の高階栄子に与えられ、更にその子の藤原教成に継承された[24][25]。以降、教成の子孫は山科家と称すようになった。

室町時代後期の1478年蓮如によって山科本願寺が建てられ[26]。山科本願寺は強固な堀と土塁による防衛機能を有し、寺を中心とする寺内町が形成された[27]。 しかし城郭都市のようになった本願寺の存在と門徒たちの勢いを恐れた細川晴元は、京都市内をほぼ勢力下に置いた日蓮宗徒らと結託して一向宗に打撃を加えようとした。最盛期には、山科は宗教都市として「仏国の如し」と称されるほどの繁栄を誇ったが[28]1532年細川晴元や京の日蓮宗信者らによって破壊され(山科本願寺の戦い)、本願寺は大坂石山に移った[29]。山科本願寺は廃墟と化したが、今も高い土塁の跡が区内各地に残存している。

近世

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髭茶屋追分

1600年関ヶ原の戦いの後、山科は皇室の領地(禁裏御料)となった[30]。この時期の山科には山科郷士という、禁裏の警固などを担う身分があり、農民でありながら名字や帯刀が許可されるという特異な身分であった[31]

江戸時代には山科や四宮、髭茶屋追分までが東海道の街道筋として一続きの町となり、飛脚参勤交代をはじめ多くの人々が行き交った[32]。髭茶屋追分からは京都を通らず大津宿伏見宿大坂を直接つなぐ伏見街道(大津街道)が山科盆地を南へ走っていた[33]

1701年赤穂浪士大石良雄(内蔵助)は山科西部の西野山に移住し、仇討ちまでの間、夜毎東山を越えて祇園に通いながら世間の目を欺いていた[34]

近代

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明治以降、琵琶湖疏水東海道本線京阪京津線などが山科を通るようになり[35]1933年昭和8年)に京津国道(現:三条通)が開通し、大正から昭和にかけては繊維・染色関係の工場が建つなど、山科は京都郊外の住宅・工業地として発展した[33]1921年(大正10年)に西野に建設された日本絹布が特に大きな工場であり、翌年鐘紡に吸収されその山科工場となった。多くの女工が周囲に住み、近隣には市場映画館もできるなど山科駅周辺の市街地化に貢献した[注 2]

京都郊外のレジャー地区としてゴルフ場ダンスホール料亭なども開設されている。1926年(大正15年)に町制を施行した後、1931年(昭和6年)に京都市東山区に編入されたが[37]、この時点では住宅や工場は東海道沿いと山科駅周辺に集中しており、その他は竹やぶの散在する近郊農村だった。

現代

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戦後、名神高速道路京都東インターチェンジや国道1号線五条バイパス、区内の外環状線国鉄(現JR西日本湖西線が開通している。

高度成長期以降は盆地内の農地の宅地化が進み、大型団地が建設されるなど京都や大阪のベッドタウンとなった。ただし、この際に道路整備が追い付かなかった事が、区内各所での渋滞が慢性化している原因にもなっている。

1976年(昭和51年)、東山区のうち旧山科町に相当する地域が分割され、山科区が成立した[37]

近年は京都市中心部と山科・醍醐を結ぶ京都市営地下鉄東西線が開通するなど更なる交通網の整備が進んだほか、山科駅前は地下鉄開通とともに再開発され、商業施設「ラクト山科」が建設されている[37]。そのため山科駅周辺ならびに地下鉄東西線が地下を走る外環状線沿線は活気ある街に育ちつつあるが、かつてのメインストリートであった旧東海道や醍醐街道の繁栄振りは鳴りを潜め、空洞化が進んでいる。

政治

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やましなちょう
山科町
廃止日 1931年4月1日
廃止理由 編入合併
山科町京都市東山区
現在の自治体 京都市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
宇治郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 20,398
国勢調査1930年
隣接自治体 京都府
京都市
宇治郡醍醐村
紀伊郡深草町
滋賀県
大津市
滋賀郡膳所町
山科町役場
所在地 京都府宇治郡山科町
座標 北緯34度58分20.3秒 東経135度48分49.1秒 / 北緯34.972306度 東経135.813639度 / 34.972306; 135.813639 (山科町)
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行政

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自治体の変遷

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明治
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、宇治郡安朱村、上野村、御陵村、日岡村、厨子奥村、竹鼻村、四宮村、髭茶屋町、八軒町、小山村、音羽村、大塚村、西野村、東野村、北花山村、大宅村、椥辻村、上花山村、川田村、勧修寺村、西野山村、栗栖野村、小野村が合併して宇治郡山科村が成立。
大正
昭和
  • 1931年昭和6年)4月1日 - 宇治郡山科町が京都市に編入。東山区の一部となる。
  • 1951年(昭和26年)6月 - 東山区役所山科支所が発足。
  • 1976年(昭和51年)10月1日 - 東山区から旧山科町域が分区され山科区となる。

国家機関

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法務省

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厚生労働省

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施設

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山科警察署
洛和会音羽病院
山科郵便局

警察

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  • 京都府山科警察署
    • 大塚交番(大塚森町)
    • 花山交番(北花山寺内町)
    • 勧修寺交番(西野山中臣町)
    • 四ノ宮交番(音羽草田町)
    • 竹鼻交番(竹鼻四丁野町)
    • 椥辻交番(大宅桟敷)
    • 百々交番(西野山百々町)
    • 御陵交番(御陵別所町)
    • 山科駅前交番(安朱桟敷町)

消防

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  • 京都市山科消防署(西野今屋敷町)
    • 大塚消防出張所(大塚北溝町)

医療

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主な病院

公民館

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  • 京都市東部文化会館

図書館

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郵便局

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郵便番号

郵便番号は607-00・-08・-09・-80・-81・-82・-83・-84が使用されている。

主な郵便局

集配郵便局である山科郵便局のほか、以下の郵便局がある。

  • 山科四宮郵便局
  • 京都山科音羽郵便局
  • 京都山科竹鼻郵便局
  • 京都東野郵便局
  • 京都山科椥辻郵便局
  • 京都山科大宅郵便局
  • 京都勧修寺郵便局
  • 京都山科川田郵便局
  • 京都山科西野郵便局
  • 京都山科御陵郵便局
  • 京都北花山郵便局

経済

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イオンタウン山科椥辻
ラクト山科
王将フードサービス本社

第三次産業

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商業

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主な商業施設

本社を置く企業

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情報・通信

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マスメディア

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中継局

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教育・研究機関

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京都橘大学
京都薬科大学
科研製薬総合研究所

大学

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国立
私立

高等学校

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府立
私立

中学校

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市立
私立
  • 一燈園中学校

小学校

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市立
私立
  • 一燈園小学校

特別支援学校

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市立

各種学校

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研究機関

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交通

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山科駅に隣接する商業施設「ビエラ山科」
京都東インターチェンジ
稲荷山トンネル

鉄道

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西日本旅客鉄道(JR西日本)
京阪電気鉄道
京都市営地下鉄

バス

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路線バス

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1997年(平成9年)10月1月日まで京都市営バスの路線が存在したが、翌10月12日の地下鉄東西線開通に伴うバス路線再編で、路線網を京阪バスに譲り撤退していた[38]。このため、山科は京都市の11区で唯一市バス路線のない区であった。しかし、2021年(令和3年)12月1日より河原町三条・四条河原町と山科団地・国道東野を結ぶ特80系統の運行を開始したことにより、24年ぶりに京都市営バスの路線が復活した[38][39]

道路

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高速道路

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  • E1 名神高速道路
自動車専用道路

国道

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府道・市道

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主要地方道
その他の府道
主要道路

観光

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毘沙門堂
日向大神宮

名所・旧跡

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主な寺院
主な神社
主な遺跡
主な史跡

観光スポット

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文化・名物

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祭事・催事

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  • 阿含の星まつり
  • 陶器市 - 1975年7月から開催された「陶器まつり」は五条坂で行われる陶器まつりと並ぶ夏の風物詩として知られたが、2010年代に取りやめとなり、陶器市は従前から秋に開催されている「楽陶祭」の中で『清水焼の郷まつり』として開催されている。

名産・特産

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著名な出身者

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山科区を舞台とした作品

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映画

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小説

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脚注

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注釈

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  1. ^ 山科盆地北部は大部分が山科区だが、盆地の北東端の藤尾地区は大津市に属する[3]
  2. ^ 山科工場は1970年に長浜に移転し、跡地は山科団地となっている[36]

出典

[編集]
  1. ^ 山科経済同友会 2021, p. 18.
  2. ^ 京都橘女子大学 1992, pp. 231–232.
  3. ^ 藤尾学区”. 大津市. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  4. ^ a b 山科・醍醐の歴史”. 京都醍醐ライオンズクラブ. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  5. ^ 山科・醍醐プロジェクトについて”. 京都市 (2024年3月28日). 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  6. ^ 山科・醍醐エリアガイド”. そうだ 京都、行こう。. 東海旅客鉄道. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  7. ^ 山科経済同友会 2021, pp. 9–10.
  8. ^ a b 山科経済同友会 2021, p. 19.
  9. ^ 学習研究社 1992, p. 35.
  10. ^ 森 2008, p. 199.
  11. ^ 京都橘女子大学 1992, pp. 31–32.
  12. ^ 山科経済同友会 2021, p. 20.
  13. ^ 学習研究社 1992, p. 31.
  14. ^ 森 2008, pp. 200–201, 208–209.
  15. ^ 学習研究社 1992, pp. 34–35.
  16. ^ 概要”. 興福寺. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  17. ^ 山科経済同友会 2021, p. 12.
  18. ^ 京都橘女子大学 1992, p. 32.
  19. ^ 学習研究社 1992, pp. 16–19.
  20. ^ a b 京都橘女子大学 1992, p. 37.
  21. ^ 山科本願寺・寺内町研究会 2003, p. 36.
  22. ^ 山科本願寺・寺内町研究会 2003, p. 47.
  23. ^ 山科経済同友会 2021, p. 32.
  24. ^ 山科本願寺・寺内町研究会 2003, pp. 48–49.
  25. ^ 山科経済同友会 2021, p. 38-39.
  26. ^ 山科経済同友会 2021, pp. 72–73.
  27. ^ 山科経済同友会 2021, pp. 73–74.
  28. ^ 森 2008, p. 248.
  29. ^ 山科経済同友会 2021, p. 76.
  30. ^ 京都橘女子大学 1992, pp. 124–125.
  31. ^ 山科経済同友会 2021, pp. 84–85.
  32. ^ 学習研究社 1992, pp. 114–116.
  33. ^ a b 学習研究社 1992, p. 114.
  34. ^ 学習研究社 1992, pp. 122–124.
  35. ^ 山科経済同友会 2021, pp. 110–114.
  36. ^ p48-49山科の出来事”. 京都市. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  37. ^ a b c 「第6回山科検定」参考資料集”. 山科検定委員会. 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  38. ^ a b 京都市バス 山科区へ24年ぶり乗り入れ「河原町三条~東野」新設 京阪バス減便を補完”. 乗りものニュース (2021年10月16日). 2024年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
  39. ^ (お知らせ)山科地域への市バスの運行について”. 京都市 (2021年10月14日). 2021年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月2日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 学習研究社『ふるさとまんが 醍醐・山科の歴史』京都醍醐ライオンズクラブ、1992年。 
  • 京都橘女子大学 編『洛東探訪: 山科の歴史と文化』淡交社、1992年。ISBN 9784473012579 
  • 森浩一『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』学生社、2008年。ISBN 9784311801020 
  • 山科経済同友会『山科の歴史と現代』2021年。 NCID BC05065715 
  • 山科本願寺・寺内町研究会 編『掘る・読む・あるく 本願寺と山科二千年』淡交社、2003年。ISBN 9784831875365 

関連項目

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外部リンク

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