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勝沢芳雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勝沢 芳雄(勝澤[1]、かつざわ よしお、1921年大正10年)2月1日[2][3] - 1998年平成10年)11月4日[2][3])は、日本の労働運動家、政治家衆議院議員(6期)。

経歴

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静岡県出身[2][3][4]。1936年(昭和11年)鉄道省(のちの日本国有鉄道)に入省[2][3]。1945年(昭和20年)名古屋鉄道教習所専修部電信科を卒業した[2][3][4]

国鉄名古屋鉄道局静岡管理部勤務、国鉄労働組合静岡地方本部執行委員長、静岡県官公庁労働組合協議会議長、同県交通運輸協議会議長、静岡県労働金庫理事長、同県労働組合評議会議長などを務めた[2][3][4]

1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙静岡県第1区から日本社会党公認で出馬して初当選[2][4][5]。以後、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙まで再選され[6]、衆議院議員に連続6期在任した[2][3][4]。この間、社会党政審中小企業副部長、同党本部会計監査、同政審決算部長、同静岡県本部委員長、衆議院交通安全対策特別委員長、衆議院参事(勝間田清一副議長秘書)などを務めた[2][3][4]。その後、第34回総選挙に立候補したが落選した[7]

1991年(平成3年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章[8][9]

1998年(平成10年)11月4日、前立腺癌のため静岡県清水市(現:静岡市清水区)の総合病院清水厚生病院(現:JA静岡厚生連清水厚生病院)で死去、77歳[10]。死没日をもって正四位に叙される[1]

著作

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  • 『中南米とアメリカの旅』勝沢芳雄事務所、1966年。
  • 『アフリカの旅』勝沢芳雄事務所、1971年。
  • 『中米・カリブの旅』勝沢芳雄、1975年。

脚注

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  1. ^ a b 『官報』第2520号9-10頁 平成10年12月3日号
  2. ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典』160頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『現代物故者事典 1997~1999』162頁。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』175頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』209頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』209-210頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』210頁。
  8. ^ 勝沢 芳雄」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%8B%9D%E6%B2%A2%20%E8%8A%B3%E9%9B%84コトバンクより2023年10月13日閲覧 
  9. ^ 『官報』号外第59号16頁 平成3年4月30日号
  10. ^ “訃報”. 産経新聞. (1998年11月5日). オリジナルの2000年12月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20001210131100/http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9811/05/paper/today/dead/05dea001.htm 2023年10月13日閲覧。 

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1997~1999』日外アソシエーツ株式会社、2000年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。