二宮武夫
二宮 武夫(にのみや たけお、1911年(明治44年)12月18日[1] – 1983年(昭和58年)1月20日[1][2])は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員。旧姓・松田。
経歴
[編集]大分県[2]大分郡石城川村高崎[3](挾間村、挾間町[1]を経て現由布市挾間町高崎)で、松田克馬の三男として生まれる[3]。1932年(昭和7年)大分県師範学校専攻科を卒業[1][2][3]。大分県下の小中学校教員を務めた[2][3]。この間に二宮家の養子となる[3]。
戦後、組合運動に加わり[3]、1948年(昭和23年)大分県教職員組合書記長、1949年(昭和24年)同教組執行委員長に就任[2][3]。その他、憲法擁護大分県会長、バレーボール大分県協会会長などを務め[2]、1951年(昭和26年)大分県議会議員に当選して3期在任し[1][3]、大分県地方労働委員にも就任した[2]。
県議在任中、1960年(昭和35年)11月、第29回衆議院議員総選挙に大分県第1区から日本社会党公認で出馬して初当選[1][2][3][4]。第30回総選挙でも再選され[4]、衆議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。この間、社会党中央本部会計監査、同高校全入対策特別副委員長、同地方財政対策委員会事務局長、同教育文化政策副委員長、同中央執行委員、同党大分県本部委員長、同顧問などを務めた[1][2][3]。その後、第31回・第32回総選挙と、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙(大分県地方区)に立候補したがいずれも落選した[5]。
その他、日中友好協会大分県会長、日朝協会の役職を務め、1971年(昭和46年)大分県労働金庫(現九州労働金庫)の理事長に就任した[2][3]。
脚註
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。