合沢栄
合沢 栄(合澤 榮[1]、あいざわ さかえ、1923年(大正12年)5月22日[2] – 1986年(昭和61年)12月25日[1])は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]大分県[1]北海部郡一尺屋村[3](佐賀関町を経て現大分市)の農家に生まれる[3]。臼杵中学校(現大分県立臼杵高等学校)を経て[3]、1943年(昭和18年)大分高等商業学校を卒業[1][3]。海軍飛行予備学生となり[1][3]、海軍中尉[1]で解員(復員)し帰郷した[3]。
1946年(昭和21年)一尺屋農業会に務めた[3]。その後、佐賀関農業協同組合長、大分県果実農協連常務理事、同県経済農業協同組合連合会会長、全国購買農業協同組合連合会理事、全国農協観光協会理事、大分協和飼料取締役、東九州協同食品取締役、大分協同建設事業団代表取締役、大分陸運社長などを務めた[1][3]。
政界では1967年(昭和42年)大分県議会議員に就任[1][3]。1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙に大分県第1区から出馬して当選し[4]、衆議院議員に1期在任した[1][3]。この間、民社党大分県連委員長などを務め[1]、農産物の市場開放阻止、農業災害補償法(現農業保険法)改正などに尽力した[3]。その後、 第33回総選挙に立候補したが次点で落選した[3][4]。
以後、全国農業協同組合中央会理事に就任[1]。1976年(昭和51年)大分県農業協同組合中央会会長に就任し[1][3]、農協教育センターを設立した[3]。
1986年(昭和61年)12月25日死去、63歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、従七位から従五位に叙される[5]。
栄典等
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。