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大分高等商業学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大分高等商業学校
(大分高商)
創立 1921年
所在地 大分県大分市
初代校長 山本祐作
廃止 1951年
後身校 大分大学
同窓会 四極会

大分高等商業学校(おおいたこうとうしょうぎょうがっこう)は、1921年大正10年)12月に設置された旧制専門学校。通称は大分高商

県立芸術文化短期大学内に残る大分高商の正門

概要

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沿革

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  • 1921年12月:勅令第456号により設立。本科を設置(修業年限3年)。
  • 1922年4月:第1回入学式。
  • 1922年:開校と同時に商品陳列室設置。
    • 商品課が商品見本・標本を収集整理し学生に縦覧させるほか学外にも公開。
  • 1922年10月:研究課設置。
  • 1924年3月:第1回卒業式。
  • 1924年7月:中国・外地を主な目的地とする学生視察旅行が始まる。
  • 1926年9月:商学研究会の機関誌『商業論集』創刊。
    • 現在の『大分大学経済論集』に継承。
  • 1927年7月:研究課を廃し商事調査部設置。
  • 1929年6月:移植民研究室設置。移植民地事情に関する講演会を開催。
  • 1932年5月:移植民研究室、移植民展覧会を開催。
  • 1937年:学校創立15周年記念で上野丘会館が落成。
  • 1940年4月:第二部東亜科設置。
  • 1941年7月:商事調査部・移植民研究室・商品課を統合し経済研究所を設置。
  • 1941年12月:修業年限を2年9ヶ月に短縮し繰り上げ卒業。
  • 1942年:文部省令第81号により修業年限をさらに2年6ヶ月に短縮。
  • 1943年:修業年限を2年に短縮。
  • 1944年4月:大分経済専門学校と改称。東亜科の募集を中止。
  • 1946年全国実業専門学校野球大会で優勝。
  • 1949年5月:大分大学に包括され経済学部となる。

校地の変遷と継承

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設立以来の大分市字上野(上野丘)の校地は大分大学経済学部に継承されたが、1969年に同市・旦野原校地に移転し現在に至っている。旧上野丘校地は、1975年から大分県立芸術文化短期大学に使用されている。

校長

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  • 初代 山本祐作:1921年12月10日[1] - 1924年11月27日死去[2]
  • 第2代 山崎弥久太郎
  • 第3代 添野信
  • 第4代 石丸優三
  • 第5代 森文三郎:不詳 - 1945年11月24日[3]
  • 第6代 竹内良三郎:1945年11月24日[3] -

著名な出身者

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脚注

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  1. ^ 『官報』第2809号、大正10年12月12日。
  2. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  3. ^ a b 『官報』第5664号、昭和20年11月28日。

関連書籍

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  • 大分高等商業学校 『大分高等商業学校二十年史』 1942年

関連事項

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外部リンク

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