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神奈川県第3区 (中選挙区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神奈川県第3区(かながわけんだいさんく)は、1947年から1993年まで執行された衆議院議員総選挙の選挙区である。

区域

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現在は、12区13区14区15区16区20区に分けられており、現在の3区とは全く関係がない。

1992年平成4年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数5)[1]

1986年昭和61年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数4)[2]

  • 藤沢市
  • 茅ヶ崎市
  • 相模原市
  • 大和市
  • 海老名市
  • 座間市
  • 綾瀬市
  • 高座郡
  • 津久井郡

1975年昭和50年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数3)[3]

  • 藤沢市
  • 茅ヶ崎市
  • 相模原市
  • 大和市
  • 海老名市
  • 座間市
  • 高座郡
  • 津久井郡

1950年昭和25年公職選挙法施行当時の区域は以下のとおりである(定数5)[4]

歴史

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1972年まで(分割前の神奈川3区時代)

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衆議院の中選挙区制復活に伴い、1947年に設定された。後述の1975年に選挙区が分割されるまで、湘南・県央などの神奈川県中央部から西湘や箱根・丹沢などがある足柄上下郡部など県西部、愛甲・津久井郡などの県北部にわたる広大な地域で構成され、定数は5議席であった。

小田原市を中心に西湘地域に地盤を持つ河野家(河野一郎河野謙三河野洋平)が一貫して強さを見せており、日本社会党時代に第46代内閣総理大臣(1947年 - 1948年)となった片山哲(藤沢市地盤)とともに重鎮議員として双璧をなしていた。ただし、河野家については選挙区設定後初の総選挙となる1947年の第23回衆議院議員総選挙では、河野一郎が公職追放となっていたため立候補できず、代わって弟の河野謙三が立候補したが次点で落選しており、謙三は次の1948年第24回衆議院議員総選挙で初当選を果たした。その後、河野一郎の公職追放が解除されたことに伴い、謙三は参議院神奈川県選挙区に転出(1953年の選挙で当選)し、一郎は1952年第25回衆議院議員総選挙で2位で当選して政界に復帰、以降は1963年第30回衆議院議員総選挙まで連続で当選し、1965年まで議員を務めた。

一方の片山も設定後初の1947年の選挙ではトップ当選を果たしたものの、その次の1948年の選挙では、片山内閣やその後の芦田内閣の保革三党連立の不安定な政権構造や昭電疑獄など不祥事の影響もあり、社会党に逆風が襲って大敗し、その煽りで片山も一転して次点で落選した(首相経験者・野党第一党の現職党首として現憲法下で初の落選)。片山は1952年の総選挙で返り咲いたものの、後に1960年の社会党の分裂では右派に属していたことから民主社会党(民社党)の結党に参加。同党公認で臨んだ1963年の総選挙で2度目の落選(首相経験者では2024年6月の時点で唯一)を喫し、政界引退となった。

河野一郎、片山哲が政界引退となり、1966年第31回衆議院議員総選挙では、一郎の後継に次男である河野洋平が、片山の後継に河村勝がそれぞれ擁立され、1・2位で当選を果たした。さらに1963年の総選挙では後に社会党国会対策委員長・書記長などを務める元参議院議員の平林剛が当選し、1966年の総選挙で公明党が擁立した小濱(小浜)新次の当選で、1972年第33回衆議院議員総選挙まではこの4人が議席を維持する形で、事実上残り1議席を争奪する5議席を巡る展開が続く事となった。

1975年から廃止まで(分割後の神奈川3区時代)

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1975年7月に選挙区が分割され、県南西部(小田原市・平塚市・厚木市など)は神奈川5区となった。これ以後、1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙まで、神奈川3区は湘南地域を含む県央部(藤沢市・茅ヶ崎市・大和市など)と県北西部(相模原市・座間市など)で構成された。これにより定数は3議席に変更された。

分割後最初となる1975年第34回衆議院議員総選挙では、前回当選した河野洋平、平林剛、河村勝は5区に拠点を移動した(いずれも当選)。3区を引き続き拠点としたのは前回当選の公明党の小濱親次と同選挙区で初めて議席を得た日本共産党増本一彦、さらに1966年の総選挙で初当選もその後2回の総選挙で苦杯を喫していた加藤万吉(日本社会党、茅ヶ崎市地盤)、そして初挑戦から2回連続で落選していた自民党で神奈川県議会議員出身の甘利正(本来は厚木市地盤)であった。このうち甘利は、自民党を離党して新党の新自由クラブを結成した河野洋平に追従する形でこれに参加し、トップ当選で初めて議席を得た。一方の自民党は厚生官僚出身で1975年神奈川県知事選挙で落選していた戸沢政方を擁立して、議席を確保した。保守系により2議席を占めた残り1議席は加藤が返り咲きを果たし、公明党の小濱、共産党の増本は議席を失った。特に共産党はこれ以降各回に渡って候補を擁立するも、再び神奈川3区で議席を得る事はなかった。

1979年第35回衆議院議員総選挙では、一転して前回トップ当選であった甘利が次点で落選し、小濱が議席を奪還した。翌1980年第36回衆議院議員総選挙では、今度は甘利が返り咲いた一方で小濱が落選するなど、県央部を中心とした人口の増加とともに、3議席を争う激戦が続いた。

1983年第37回衆議院議員総選挙では、甘利正が政界から引退し、代わって次男の甘利明が父と同じ新自由クラブに所属し地盤を継承する形でトップ当選を果たした。公明党も落選した小濱に代わって元通産官僚で弁護士橋本文彦を後継として議席を確保。加藤も引き続き議席を得て、自民党の戸沢が落選し、この回は自民空白区となった。

定数是正により1986年第38回衆議院議員総選挙からは定数が1議席増加の4議席となった。橋本、加藤、甘利明が引き続き議席を得て、戸沢が返り咲いた。自民党は参議院議員を辞職して鞍替えを図った藤井裕久も擁立し複数議席奪取を試みたが、藤井は次点に終わった。

1990年第39回衆議院議員総選挙では、社会党の躍進により加藤が24万票の大量得票でトップ当選を果たし、2期目の前回限りで引退した橋本文彦の後継となった河上覃雄(公明党)が議席を獲得。新自由クラブの解党で自民党に入党した甘利も苦戦を強いられながらも3位に滑り込み、4議席目は戸沢と藤井の自民党同士の争いとなり、藤井が滑り込んで衆議院議員としては初当選となった。落選した戸沢はその後は選挙に立候補する事はなかった。なお、この総選挙でオウム真理教真理党として政界進出を目指し関東を中心に候補を擁立していたが、同選挙区には後に地下鉄サリン事件などで死刑となった中川智正が立候補していた(約1,400票余で最下位落選)。

中選挙区として最終となった1993年第40回衆議院議員総選挙では、さらに定数が1議席増加して5議席となった。この選挙では自民党を離党して新生党に参加した藤井がトップ当選を果たし、甘利、河上、加藤が議席を死守した。「新党ブーム」の中で日本新党は元文部官僚の中島章夫を、新党さきがけは神奈川県議会議員出身の横田光弘を擁立したが、中島が横田とは約6,000票差で5議席目に滑り込み、新党でも明暗を分ける形となった。

その後、1994年公職選挙法改正による小選挙区比例代表並立制の導入により、選挙区内が複数の小選挙区に分割されて、1996年第41回衆議院議員総選挙では、甘利(自民党)は大和市・座間市などを中心とする神奈川13区に、藤井(新進党)は相模原市を中心とする神奈川14区にそれぞれ拠点を移し当選した。新進党に移った河上は比例南関東ブロック単独候補に転出して当選、中島(旧民主党)は本選挙区とは範囲外の神奈川4区横浜市栄区鎌倉市など)に拠点を移したが落選し、加藤は前回の任期限りで政界から引退している。

選出議員

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選挙名 #1 #2 #3 #4 #5
第23回衆議院議員総選挙 1947年 片山哲
日本社会党
鈴木雄二
(日本社会党)
萩原寿雄
国民協同党
岩本信行
日本自由党
磯崎貞序
(日本自由党)
第24回衆議院議員総選挙 1949年 岡崎勝男
民主自由党
岩本信行
(民主自由党)
小金義照
無所属
河野謙三
(民主自由党)
中西伊之助
日本共産党
第25回衆議院議員総選挙 1952年 片山哲
右派社会党
河野一郎
自由党
小金義照
(自由党)
岩本信行
(自由党)
岡崎勝男
(自由党)
第26回衆議院議員総選挙 1953年 片山哲
(右派社会党)
安藤覚
分党派自由党
河野一郎
(分党派自由党)
岡崎勝男
(自由党)
小金義照
(自由党)
第27回衆議院議員総選挙 1955年 河野一郎
日本民主党
片山哲
(右派社会党)
森島守人
左派社会党
安藤覚
(日本民主党)
小金義照
(自由党)
第28回衆議院議員総選挙 1958年 森島守人
(日本社会党)
河野一郎
自由民主党
岩本信行
(自由民主党)
片山哲
(日本社会党)
小金義照
(自由民主党)
第29回衆議院議員総選挙 1960年 森島守人
(日本社会党)
河野一郎
(自由民主党)
小金義照
(自由民主党)
安藤覚
(自由民主党)
片山哲
民主社会党
第30回衆議院議員総選挙 1963年 河野一郎
(自由民主党)
平林剛
(日本社会党)
安藤覚
(自由民主党)
木村剛輔
(自由民主党)
小金義照
(自由民主党)
第31回衆議院議員総選挙 1967年 河野洋平
(自由民主党)
河村勝
(民主社会党)
加藤万吉
(日本社会党)
平林剛
(日本社会党)
小濱新次
公明党
第32回衆議院議員総選挙 1969年 河野洋平
(自由民主党)
小濱新次
(公明党)
河村勝
民社党
小金義照
(自由民主党)
平林剛
(日本社会党)
第33回衆議院議員総選挙 1972年 河野洋平
(自由民主党)
小濱新次
(公明党)
増本一彦
(日本共産党)
平林剛
(日本社会党)
河村勝
(民社党)
第34回衆議院議員総選挙 1976年 甘利正
新自由クラブ
加藤万吉
(日本社会党)
戸沢政方
(自由民主党)
第35回衆議院議員総選挙 1979年 小濱新次
(公明党)
加藤万吉
(日本社会党)
戸沢政方
(自由民主党)
第36回衆議院議員総選挙 1980年 戸沢政方
(自由民主党)
加藤万吉
(日本社会党)
甘利正
(新自由クラブ)
第37回衆議院議員総選挙 1983年 橋本文彦
(公明党)
加藤万吉
(日本社会党)
甘利明
(新自由クラブ)
第38回衆議院議員総選挙 1986年 橋本文彦
(公明党)
加藤万吉
(日本社会党)
甘利明
(新自由クラブ)
戸沢政方
(自由民主党)
第39回衆議院議員総選挙 1990年 加藤万吉
(日本社会党)
河上覃雄
(公明党)
甘利明
(自由民主党)
藤井裕久
(自由民主党)
第40回衆議院議員総選挙 1993年 藤井裕久
新生党
甘利明
(自由民主党)
河上覃雄
(公明党)
加藤万吉
(日本社会党)
中島章夫
日本新党

選挙結果

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解散日:1993年(平成5年)6月18日 投票日:1993年(平成5年)7月18日
当日有権者数:1,314,121人 最終投票率:60.85%(前回比:減少6.02ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
藤井裕久61新生党132,236票
16.68%
甘利明43自由民主党129,149票
16.29%
河上覃雄47公明党105,823票
13.35%
加藤万吉66日本社会党101,879票
12.85%
中島章夫57日本新党100,032票
12.62%
横田光弘35新党さきがけ94,084票
11.87%
河野幸司47日本共産党46,343票
5.85%
門広繁幸42自由民主党41,791票
5.27%
藤村久子49無所属41,431票
5.23%

解散日:1990年(平成2年)1月24日 投票日:1990年(平成2年)2月18日
当日有権者数:1,190,289人 最終投票率:66.87%(前回比:増加1.88ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
加藤万吉63日本社会党241,995票
30.62%
河上覃雄43公明党137,147票
17.35%
甘利明40自由民主党124,931票
15.81%
藤井裕久57自由民主党113,661票
14.38%
戸沢政方70自由民主党106,512票
13.48%
河野幸司44日本共産党64,612票
8.18%
中川智正27真理党1,445票
0.18%

解散日:1986年(昭和61年)6月2日 投票日:1986年(昭和61年)7月6日
当日有権者数:1,058,094人 最終投票率:64.99%(前回比:増加4.07ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
橋本文彦47公明党140,930票
20.82%
加藤万吉59日本社会党136,369票
20.14%
甘利明36新自由クラブ125,563票
18.55%
戸沢政方67自由民主党121,846票
18.00%
藤井裕久54自由民主党95,331票
14.08%
河野幸司40日本共産党56,971票
8.42%

解散日:1983年(昭和58年)11月28日 投票日:1983年(昭和58年)12月18日
当日有権者数:996,973人 最終投票率:60.92%(前回比:減少10.43ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
橋本文彦44公明党147,500票
24.50%
加藤万吉57日本社会党130,501票
21.67%
甘利明34新自由クラブ125,939票
20.92%
戸沢政方64自由民主党124,766票
20.72%
増本一彦47日本共産党71,463票
11.87%
重松九州男71日本世直し党1,968票
0.33%

解散日:1980年(昭和55年)5月19日 投票日:1980年(昭和55年)6月22日
当日有権者数:907,918人 最終投票率:71.35%(前回比:増加13.28ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
戸沢政方61自由民主党162,054票
25.37%
加藤万吉53日本社会党131,889票
20.64%
甘利正63新自由クラブ128,587票
20.13%
小濱新次65公明党128,067票
20.05%
増本一彦44日本共産党83,793票
13.12%
東間徴36日本労働党4,460票
0.70%

解散日:1979年(昭和54年)9月7日 投票日:1979年(昭和54年)10月7日
当日有権者数:887,634人 最終投票率:58.07%(前回比:減少13.46ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
小濱新次64公明党123,389票
24.17%
加藤万吉52日本社会党110,137票
21.57%
戸沢政方60自由民主党100,682票
19.72%
甘利正62新自由クラブ99,936票
19.57%
増本一彦43日本共産党73,433票
14.38%
東間徴36日本労働党2,965票
0.58%

任期満了日: 投票日:1976年(昭和51年)12月5日
当日有権者数:815,716人 最終投票率:71.53%(前回比:増加2.84ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
甘利正60新自由クラブ162,029票
28.02%
加藤万吉49日本社会党112,209票
19.41%
戸沢政方57自由民主党110,585票
19.13%
小濱新次61公明党108,182票
18.71%
増本一彦40日本共産党82,525票
14.27%
重松九州男64無所属1,573票
0.27%
福田喜代徳43無所属1,077票
0.19%
  • 前議員のうち、河野・平林・河村は新設の神奈川5区から出馬(3人とも当選)。

解散日:1972年(昭和47年)11月13日 投票日:1972年(昭和47年)12月10日
当日有権者数:1,232,432人 最終投票率:68.69%(前回比:増加3.47ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
河野洋平35自由民主党141,448票
16.86%
小濱新次57公明党112,297票
13.38%
増本一彦36日本共産党107,245票
12.78%
平林剛51日本社会党99,440票
11.85%
河村勝57民社党97,436票
11.61%
甘利正56自由民主党96,592票
11.51%
加藤万吉45日本社会党93,504票
11.14%
小金義照74自由民主党79,624票
9.49%
山田誠27無所属11,403票
1.36%

解散日:1969年(昭和44年)12月2日 投票日:1969年(昭和44年)12月27日
当日有権者数:1,041,632人 最終投票率:65.22%(前回比:減少9.57ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
河野洋平32自由民主党100,216票
14.88%
小濱新次54公明党99,341票
14.75%
河村勝54民社党94,558票
14.04%
小金義照71自由民主党92,466票
13.73%
平林剛48日本社会党79,859票
11.86%
甘利正53自由民主党68,020票
10.10%
加藤万吉43日本社会党66,321票
9.85%
増本一彦33日本共産党42,577票
6.32%
安藤哲40無所属25,138票
3.73%
大塚幸造45無所属4,973票
0.74%

解散日:1966年(昭和41年)12月27日 投票日:1967年(昭和42年)1月29日
当日有権者数:837,227人 最終投票率:74.79%(前回比:増加3.74ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
河野洋平30自由民主党106,827票
17.24%
河村勝51民主社会党91,123票
14.70%
加藤万吉40日本社会党77,806票
12.56%
平林剛45日本社会党71,493票
11.54%
小濱新次51公明党68,516票
11.06%
安藤覚67自由民主党67,336票
10.87%
小金義照68自由民主党60,992票
9.84%
木村剛輔49自由民主党52,792票
8.52%
内野竹千代65日本共産党22,834票
3.68%

解散日:1963年(昭和38年)10月23日 投票日:1963年(昭和38年)11月21日
当日有権者数:671,941人 最終投票率:71.05%(前回比:減少3.01ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
河野一郎65自由民主党98,830票
20.90%
平林剛42日本社会党61,765票
13.06%
安藤覚64自由民主党57,215票
12.10%
木村剛輔45自由民主党53,370票
11.29%
小金義照65自由民主党52,275票
11.06%
片山哲76民主社会党51,525票
10.90%
森島守人67日本社会党44,506票
9.41%
戸川猪佐武39無所属19,871票
4.20%
兼子秀夫50無所属19,540票
4.13%
内野竹千代62日本共産党13,652票
2.89%
深作清次郎52議会主義政治擁護国民同盟230票
0.05%

解散日:1960年(昭和35年)10月24日 投票日:1960年(昭和35年)11月20日
当日有権者数:565,842人 最終投票率:74.06%(前回比:減少5.54ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
森島守人64日本社会党76,255票
18.40%
河野一郎62自由民主党66,515票
16.05%
小金義照62自由民主党58,272票
14.06%
安藤覚61自由民主党56,738票
13.69%
片山哲73民主社会党48,541票
11.71%
岩本信行65自由民主党48,274票
11.65%
木村剛輔42自由民主党47,886票
11.55%
内野竹千代59日本共産党11,281票
2.72%
河野孔明55無所属677票
0.16%

解散日:1958年(昭和33年)4月25日 投票日:1958年(昭和33年)5月22日
当日有権者数:521,747人 最終投票率:79.60%(前回比:減少1.42ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
森島守人62日本社会党64,676票
15.66%
河野一郎59自由民主党63,265票
15.32%
岩本信行63自由民主党62,699票
15.19%
片山哲70日本社会党60,589票
14.67%
小金義照60自由民主党58,751票
14.23%
安藤覚58自由民主党49,732票
12.04%
木村剛輔40無所属(保守系43,391票
10.51%
内野竹千代56日本共産党9,793票
2.37%

解散日:1955年(昭和30年)1月24日 投票日:1955年(昭和30年)2月27日
当日有権者数:480,933人 最終投票率:81.02%(前回比:増加5.16ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
河野一郎56日本民主党69,433票
17.93%
片山哲67右派社会党58,923票
15.22%
森島守人58左派社会党45,784票
11.82%
安藤覚55日本民主党43,998票
11.36%
小金義照56自由党42,156票
10.89%
岩本信行59自由党39,299票
10.15%
佐藤謙吉57日本民主党38,815票
10.02%
岡崎勝男57自由党32,323票
8.35%
亀井貫一郎62右派社会党16,496票
4.26%

解散日:1953年(昭和28年)3月14日 投票日:1953年(昭和28年)4月19日
当日有権者数:458,175人 最終投票率:75.86%(前回比:減少2.82ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
片山哲65右派社会党81,402票
23.58%
安藤覚53分党派自由党51,180票
14.83%
河野一郎54分党派自由党47,774票
13.84%
岡崎勝男55自由党46,454票
13.46%
小金義照55自由党42,492票
12.31%
岩本信行58自由党37,034票
10.73%
森島守人57左派社会党26,601票
7.71%
内野竹千代51日本共産党7,332票
2.12%
坂田稔48改進党3,037票
0.88%
後藤帰一53無所属1,911票
0.55%

解散日:1952年(昭和27年)8月28日 投票日:1952年(昭和27年)10月1日
当日有権者数:468,770人 最終投票率:78.68%(前回比:増加0.16ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
片山哲65右派社会党102,838票
28.10%
河野一郎54自由党57,580票
15.74%
小金義照54自由党49,445票
13.51%
岩本信行57自由党40,038票
10.94%
岡崎勝男55自由党36,837票
10.07%
佐藤謙吉55自由党35,054票
9.58%
安藤覚53無所属32,241票
8.81%
内野竹千代51日本共産党9,954票
2.72%
坂田稔47改進党1,929票
0.53%

解散日:1948年(昭和23年)12月23日 投票日:1949年(昭和24年)1月23日
当日有権者数:413,055人 最終投票率:78.52%(前回比:増加11.20ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
岡崎勝男51民主自由党43,818票
13.64%
岩本信行53民主自由党39,540票
12.31%
小金義照50無所属(保守系)33,788票
10.52%
河野謙三47民主自由党33,673票
10.48%
中西伊之助61日本共産党31,491票
9.80%
片山哲61日本社会党31,214票
9.71%
鈴木雄二39日本社会党28,605票
8.90%
佐藤謙吉51民主自由党26,553票
8.26%
添田良信48無所属22,233票
6.92%
萩原寿雄52国民協同党17,169票
5.34%
兼子一郎44民主党8,995票
2.80%
布施陶一36労働者農民党3,335票
1.04%
上木神秀三72無所属916票
0.29%

解散日:1947年(昭和22年)3月31日 投票日:1947年(昭和22年)4月25日
当日有権者数:409,149人 最終投票率:67.32%(前回比:ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
片山哲59日本社会党55,515票
20.34%
鈴木雄二38日本社会党48,421票
17.74%
萩原寿雄51国民協同党42,517票
15.58%
岩本信行52日本自由党34,161票
12.52%
磯崎貞序57日本自由党21,872票
8.01%
河野謙三45日本自由党18,716票
6.86%
小林欽企62民主党18,451票
6.76%
兼子一郎43民主党11,135票
4.08%
中西伊之助60日本共産党9,061票
3.32%
大森助蔵46民主人民連盟4,704票
1.72%
萩原文作59自作農民党2,370票
0.87%
森千鶴子37無所属2,163票
0.79%
和田周三47無所属1,792票
0.66%
上木神秀三45自治党1,027票
0.38%
井上伝三郎58無所属1,018票
0.37%

脚注

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  1. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第125回国会 制定法律の一覧 >法律第九十七号(平四・一二・一六)”. 衆議院 (1992年12月16日). 2022年1月22日閲覧。地名は1992年(平成4年)当時のものである。
  2. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第104回国会 制定法律の一覧 >法律第六十七号(昭六一・五・二三)”. 衆議院 (1986年5月23日). 2022年1月22日閲覧。地名は1986年(昭和61年)当時のものである。
  3. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第075回国会 制定法律の一覧 >法律第六十三号(昭五〇・七・一五)”. 衆議院 (1975年7月15日). 2022年1月22日閲覧。地名は1975年(昭和50年)当時のものである。
  4. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第007回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法 法律第百号(昭二五・四・一五)”. 衆議院 (1950年4月15日). 2022年1月22日閲覧。地名は1950年(昭和25年)当時のものである。

関連項目

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