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民主党 (日本 1947-1950)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗 日本政党
日本民主党
初代総裁・芦田均
成立年月日 1947年3月31日[1]
前身政党 日本進歩党[1][2]
日本自由党(脱党者)[1]
国民協同党(脱党者)[1]
解散年月日 1950年4月28日
解散理由 党内対立の激化[2]
分裂[3]
後継政党 民主自由党[2]
(のち自由党[3]
国民民主党[2][3]
政治的思想・立場 保守[4]
修正資本主義[4]
官僚主義打破[4]
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日本民主党(にほんみんしゅとう)[4]略称民主党(みんしゅとう)は、かつて存在した日本の政党1947年日本進歩党を中心に結成された保守政党である[4]

1954年から一年間だけ存在し、自由党と合同して自民党の前身となった日本民主党とは別の政党と考えられている。

沿革

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公職追放令で幹部を多数失った日本進歩党と吉田茂総裁に不満を抱く日本自由党芦田均系が合同して結成され、芦田を初代総裁とした。片山内閣日本社会党国民協同党と共に連立与党に、芦田内閣で連立首班となった。

結党直後から前進歩党総裁幣原喜重郎を中心とする党内右派と、日本自由党から入党した芦田均を中心とする党内左派との対立があり、片山内閣の目玉政策であった炭鉱国家管理問題に関し、臨時石炭鉱業管理法の成立を巡って党内右派は野党自由党とともに同法案に反対、同年末には芦田に総裁を降ろされる形となった幣原喜重郎(名誉総裁)が田中角栄原健三郎らとともに同志クラブを結成した。翌1948年1月には小平久雄中山マサら残留した中堅・若手の党内右派議員が太陽会と名乗るグループを結成し、その一部は太陽会の顧問的な存在であった田中万逸斎藤隆夫らとともに芦田の首班指名に反対して同志クラブと合同して民主クラブを結成した。

更に10月には昭和電工事件による芦田内閣総辞職により下野、1949年1月の総選挙で大敗。2月に芦田均、北村徳太郎中曽根康弘らの野党派と犬養健保利茂木村小左衛門らの連立派とに分裂した。 同年12月24日、吉田茂が民主自由党議員総会の中で、民主党連立派への合同実現を要望すると、同日、民主党連立派も議員総会を開き保守合同に参加の申し合わせを行った[5]。 連立派は1950年2月に民主自由党に入党して自由党を結成。民主党野党派は1950年4月に国民協同党と合同して国民民主党を結成して解散した。

役職

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歴代執行部役員表 民主党→民主党連立派

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総裁 幹事長 総務会長 政務調査会長 参議院議員会長
石黒武重 矢野庄太郎  
地崎宇三郎  
芦田均  
芦田均 竹田儀一 北村徳太郎  
木檜三四郎
鬼丸義斉
保利茂 佐々木鹿蔵 小坂善太郎
桜内辰郎
犬養健 稲垣平太郎 千葉三郎

民主党(野党派)1949年2月16日~1949年3月9日

総裁代行委員 幹事長 総務会長 政務調査会長 参議院議員会長
苫米地義三
鬼丸義斉
北村徳太郎
桜内辰郎
北村徳太郎 鬼丸義斉 千葉三郎 桜内辰郎

民主党(野党派)1949年3月9日~1950年4月28日

最高委員長 最高委員 幹事長 総務委員会長 政務調査会長 参議院議員会長
苫米地義三 北村徳太郎 鬼丸義斉 千葉三郎 桜内辰郎
苫米地義三
鬼丸義斉
北村徳太郎
桜内辰郎
千葉三郎 木内四郎 荒木万寿夫 中井光次
苫米地義三 北村徳太郎
鬼丸義斉
桜内辰郎
楢橋渡
北村徳太郎 千葉三郎 林屋亀次郎
千葉三郎 荒木万寿夫
中井光次

(参考文献:村川一郎石上泰州『日本の政党』1995年3月丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9衆議院参議院『議会制度百年史 院内会派編貴族院・参議院の部』1990年11月大蔵省印刷局ISBN 4-17-164809-2

歴代総裁一覧

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民主党総裁
総裁 在任期間
1 芦田均 1947年(昭和22年)5月18日 - 1948年(昭和23年)12月16日
2 犬養健 1948年(昭和23年)12月16日 - 1950年(昭和25年)2月10日

1949年(昭和24年)2月16日 - 1950年(昭和25年)2月10日は連立派総裁。

民主党総裁代行委員(野党派)
総裁代行委員 在任期間
- 苫米地義三 1949年(昭和24年)2月16日 - 1949年(昭和23年)3月9日
鬼丸義斎
北村徳太郎
櫻内辰郎
民主党最高委員(野党派)
最高委員 在任期間
- 苫米地義三 1949年(昭和24年)3月9日 - 1949年(昭和23年)3月16日
- 苫米地義三 1949年(昭和24年)3月16日 - 1949年(昭和23年)3月17日
鬼丸義斎
北村徳太郎
櫻内辰郎
楢橋渡
民主党最高委員長(野党派)
最高委員長 在任期間
1 苫米地義三 1949年(昭和24年)3月17日 - 1950年(昭和24年)4月28日

(参考文献:村川一郎石上泰州『日本の政党』1995年3月丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9

党勢の推移

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衆議院

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選挙当選/候補者定数備考
(結党時)134/-466 
第23回総選挙124/350466追加公認+8
第24回総選挙69/208466追加公認+1

参議院

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選挙 当選/候補者非改選定数備考
(結党時)-/--2参議院は存在せず
第1回通常選挙30/54-250第1回のみ全員選挙、追加公認+11

(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書ISBN 4-00-430904-2

  • 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。

脚注

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  1. ^ a b c d 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、1092頁。ISBN 4-06-203994-X
  2. ^ a b c d 百科事典マイペディア コトバンク. 2018年11月23日閲覧。
  3. ^ a b c デジタル大辞泉 コトバンク. 2018年11月23日閲覧。
  4. ^ a b c d e 世界大百科事典 第2版 コトバンク. 2018年8月8日閲覧。
  5. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、374頁。ISBN 4-00-022512-X 

関連項目

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