コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

角屋堅次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
角屋 堅次郎
かどや けんじろう
生年月日 (1917-03-15) 1917年3月15日
出生地 日本の旗 日本 三重県伊勢市
没年月日 (2017-04-07) 2017年4月7日(100歳没)
死没地 日本の旗 日本
出身校 満洲大同学院卒業
三重高等農林学校(現:三重大学)卒業
前職 日本社会党三重県本部委員長
全農林中央執行委員長
農林技官
所属政党左派社会党→)
日本社会党
称号 衆議院永年勤続議員
勲一等旭日大綬章(1989年11月)
従三位(2017年4月)

選挙区 旧三重2区
当選回数 11回
在任期間 1958年5月22日 - 1990年1月24日
テンプレートを表示

角屋 堅次郎(かどや けんじろう、1917年大正6年)3月15日[1] - 2017年平成29年)4月7日)は、日本農林技官労働運動家、政治家衆議院議員(11期)。

年譜

[編集]

三重県度会郡豊浜村(現伊勢市豊浜)出身[2]。学歴は宇治山田中学(現三重県立宇治山田高等学校)を卒業。その後三重高等農林学校(現在の三重大学)農業土木学科を卒業し、さらに満洲大同学院を卒業した[3]

満洲国開拓総局などに勤務[3]。従軍して陸軍中尉終戦を迎えた[3]。その後、農林省に勤務して、農林技官、全農林中央執行委員長、日本社会党三重県本部委員長などを歴任する[2][3]

1955年昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙左派社会党から立候補するが落選。1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙では、左右両派が統一された日本社会党より旧三重2区から立候補して初当選した。以降、連続11回当選し、30年以上にわたり、衆議院議員を務めた。

日本社会党内では、国会対策副委員長、中央執行委員、選挙対策委員長、両院議員総会長などを務め、農林水産部会長、農林部長、水産政策委員長も務めた農水族議員である[2][3]。また、衆議院公害対策並びに環境保全特別委員長、同決算委員長などを務めて、永年勤続議員として衆議院から表彰をされた[2][3]

1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退した。

2017年(平成29年)4月7日、老衰腎不全のため死去[4][5]。100歳没。従三位に叙せられる[6]

栄典

[編集]

1989年平成元年)11月 - 勲一等旭日大綬章受章[7]

その他

[編集]
  • 日中国会議員書画展へ書画を提供している[8]

脚注

[編集]
  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』168頁。
  2. ^ a b c d 『日本政治史に残る三重県選出国会議員』232頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』168頁。
  4. ^ 角屋堅次郎氏が死去 元衆院議員 日本経済新聞 2017年4月7日
  5. ^ 角屋堅次郎氏死去 元社会党衆院議員 - 産経ニュース 2017年4月7日
  6. ^ [1] 平成29年4月28日閣議および閣僚懇談会議事録 2017年7月17日閲覧
  7. ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊
  8. ^ [2]NPO法人日中国会議員書画展実行委員会

参考文献

[編集]
  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会
先代
安井吉典
日本の旗 衆議院決算委員長
1985年 - 1986年
次代
堀之内久男