富島暢夫
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富島 暢夫(とみしま のぶお、文久2年11月3日[1](1862年12月23日) - 昭和20年(1945年)8月6日[2])は、日本の衆議院議員。弁護士。裁判官。
経歴
[編集]安芸国安芸郡荘山田村(現在の広島県呉市)出身[1]。1890年(明治23年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した[1]。判事となり、大阪始審裁判所、松江地方裁判所、横浜地方裁判所を歴任した[3]。1894年(明治27年)、官を辞し弁護士を開業し[1]、後に広島弁護士会長を務めた[4]。また広島市会議員、同議長に選出された[3]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第8回・第9回・第10回・第13回と再選された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
- 『衆議院要覧 下巻 大正六年十一月』衆議院事務局、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。