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樋口典常

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樋口典常

樋口 典常(ひぐち のりつね、慶応4年1月18日[1]1868年2月11日) - 昭和21年(1946年5月8日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会昭和会)、鉄道政務次官

経歴

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筑後国八女郡長峰村(現在の福岡県八女市)出身[3]1890年明治23年)、東京法学院(現在の中央大学)法律科を卒業[4]。福岡県会議員に選ばれた[1]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

その後、台湾総督府評議会員、台湾農林株式会社社長、台湾製塩株式会社取締役を務めた[3]

1923年大正12年)、衆議院補欠選挙に当選。第17回衆議院議員総選挙第18回衆議院議員総選挙で再選され、その間に岡田内閣で鉄道政務次官を務めた[4]1935年(昭和10年)には昭和会の結党に参加した[5]

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録』第4版
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ a b 『衆議院議員略歴』
  4. ^ a b 『人事興信録』第10版
  5. ^ 内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。