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元田肇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
元田 肇
もとだ はじめ
元田肇の肖像写真
生年月日 1858年2月28日
出生地 豊後国国東郡来浦村(現在の大分県国東市国東町来浦)
没年月日 (1938-10-01) 1938年10月1日(80歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区
出身校 東京大学法科卒業
所属政党大成会→)
国民協会→)
帝国党→)
立憲政友会→)
(無所属→)
(立憲政友会→)
政友本党→)
立憲政友会
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
配偶者 元田 きく子
親族 娘婿・小畑敏四郎陸軍中将国務大臣
娘婿・船田中衆議院議員

在任期間 1932年1月27日 - 1938年10月1日

日本の旗 第25代 衆議院議長
在任期間 1928年4月20日 - 1929年3月14日
天皇 昭和天皇

日本の旗 初代 鉄道大臣
内閣 原内閣
高橋内閣
在任期間 1920年5月15日 - 1922年6月12日

日本の旗 第21代 逓信大臣
内閣 第1次山本内閣
在任期間 1913年2月20日 - 1914年4月16日

日本の旗 第3代 拓殖局総裁
内閣 第2次西園寺内閣
在任期間 1911年8月31日 - 1912年12月5日

その他の職歴
日本の旗 第7-9代 衆議院副議長
1898年5月18日 - 1902年12月28日
日本の旗 衆議院議員(2-16期)
1892年4月15日 - 1930年1月21日
日本の旗 衆議院議員(1期)
1890年7月2日 - 1891年12月25日
日本の旗 東京市会議員(2期)
1896年2月 - 1899年6月)
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元田 肇(もとだ はじめ、1858年2月28日安政5年1月15日) - 1938年昭和13年)10月1日)は、明治大正昭和期の日本政治家立憲政友会の長老。は国東。第25代衆議院議長逓信大臣鉄道大臣(初代)を歴任した。中央大学創立者18人の内の一人。杵築藩大分県)の儒学者の養子[1]

来歴・人物

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豊後国国東郡来浦(現在の大分県国東市国東町来浦)に医師猪俣栄造の子として生まれる。杵築藩の藩儒・元田直の養子となる。1880年東京大学法科を卒業。弁護士となる。第1回衆議院議員総選挙に当選し、以後当選16回、議員生活は40有余年に渡った。当初は大成会国民協会帝国党に所属した後に立憲政友会の結成に参加、衆議院副議長に3度選出された他、第1次山本権兵衛内閣の逓信大臣、原内閣の鉄道大臣(初代)として入閣している。高橋内閣でも留任したが、中橋徳五郎山本達雄とともに高橋首相との間に反目して政権崩壊のきっかけを作ったために一時党を除名された。なお1910年5月6日には、自宅において菊子夫人の実弟に刃物で切り付けられ負傷する事件が起きている[2]

その後、政友会が対立する憲政会とともに第2次護憲運動に参加したことに対しては批判的で、同じくこれに反発する床次竹二郎とともに政友会を離党して政友本党を結成するが、護憲三派の崩壊後に今度は床次が憲政会と合同して立憲民政党を結党すると、元田はこれを批判して金光庸夫ら少数の合同反対派を連れて政友会に復党した。政友会が政権を奪回した田中義一内閣時代には衆議院議長(在任期間、1928年4月23日-1929年3月14日)に選出された。1930年の第17回衆議院議員総選挙で落選し政界を引退。1932年には、74歳にして政党出身者ではじめて枢密顧問官に親任される。墓所は青山霊園(1ロ12-27)。

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

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脚注

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  1. ^ 元田肇(もとだ はじめ)とは - コトバンク
  2. ^ 朝日新聞「元田肇氏斬らる」1910年5月7日付け朝刊5頁
  3. ^ 『官報』第8462号「叙任及辞令」1911年9月4日。
  4. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
  5. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
  6. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  7. ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
  8. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  9. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
  10. ^ 『官報』第3457号「叙任及辞令」1938年7月13日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』第7版、1925年。
公職
先代
後藤新平
日本の旗 拓殖局総裁
1913年 - 1914年
次代
(廃止→)白仁武
拓殖局長官
先代
柴田家門
日本の旗 拓殖局総裁
1911年 - 1912年
次代
後藤新平
その他の役職
先代
大谷木備一郎
東京組合代言人会会長
1888年 - 1891年
次代
山田喜之助