田口文次
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田口 文次(たぐち ぶんじ、明治元年4月12日[1](1868年5月4日) - 昭和15年(1940年)5月31日[1])は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲政友会)、山口村長。
経歴
[編集]肥前国杵島郡山口村(現在の佐賀県杵島郡江北町)出身。1885年(明治18年)、慶應義塾に入学するが、東京専門学校(現在の早稲田大学)に転じ、1887年(明治20年)に退学した。1897年(明治30年)以降、杵島郡会議員、山口村長、佐賀県会議員、同議長を歴任した。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回、第18回と3期務めた。議員退職後の1936年(昭和11年)には江北村(小田村・山口村・佐留志村が合併)の村長に就任した。
脚注
[編集]- ^ a b 故田口文次位記追賜ノ件
参考文献
[編集]- 『衆議院要覧(乙) 昭和七年五月』衆議院事務局、1932年。
- 故田口文次位記追賜ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)