杵島郡
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人口35,986人、面積135.94km²、人口密度265人/km²。(2024年12月1日、推計人口)[注釈 1]
以下の3町を含む。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
古代
杵島郡は、古くは[1]「肥前国風土記」「延喜式」などに見えて、「和名抄」では「岐志万」と記す。 景行天皇が九州巡幸[1]した時、この郡にある磐田杵之村(いはたきのむら)に御船を停泊させた。その時、従って来た船の牂戨(かし)の穴から自然と冷水が湧いたため、転じて杵島と呼ばれる。郡は多駄(大陀)・杵島(木之万)・能伊(乃意)・島見(志万美)の4郷である。
中世
鎌倉時代の主な在地領主は、塚崎の後藤氏・武雄社大宮司職を相伝する武雄氏・白石の白石氏[注釈 2]などがある。
室町時代には、同郡では後藤氏が台頭していて、小城郡の千葉氏も勢力を伸ばしている。後藤氏は竜造寺氏と長らく対立していたが、龍造寺隆信の三男の家信が養子に入っている。以後、子孫は武雄鍋島家として続く。(肥前武雄領2万1600石(物成8640石)・龍造寺一門)
近世
江戸時代に全域が佐賀藩領になり、佐賀本藩領と蓮池領が混在していた。
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 肥前佐賀藩 | 48村 | 上小田村、下小田村、八町村、大町村、佐留志村、惣領分村、山口村、福母村、福田村、福富下分村、福吉村、東郷村、今泉村、廿治村、福富東分村、福富西分村、戸ヶ里村、辺田村、田野上村、坂田村、深浦村、築切村、牛屋村、横手村、遠江村、大崎村、大渡村、馬洗村、湯崎村、堤村、志久村、芦原村、中野村、川古村、富岡村、永島村、武雄村、甘久村、鳥海村、犬走村、袴野村、真手野村、永野村、大野村、神六村、宮野村、三間坂村、小田志村[注釈 3] |
肥前蓮池藩 | 5村 | 川上村、山中村、上野村、上滝村、成瀬村 | |
佐賀藩・蓮池藩 | 3村 | 本部村、大日村、片白村 |
- 明治4年
- 明治5年5月29日(1872年7月4日) - 佐賀県(第2次)の管轄となる。
- 明治初年
- 福富東分村・福富西分村が合併して福富村となる。
- 川上村が中野村の、山中村が本部村の、上野村が永島村の、上滝村が富岡村の、成瀬村が芦原村のそれぞれ枝村扱いとなる。(50村)
- 明治9年(1876年)
- 明治11年(1878年)10月28日 - 郡区町村編制法の長崎県での施行により、行政区画としての杵島郡が発足。郡役所が武雄村に設置。
- 明治16年(1883年)5月9日 - 佐賀県(第3次)の管轄となる。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町23村)
- 武雄町 ← 武雄村[柄崎・下西山および竹下・北ノ浦の各一部]、富岡村[富岡・八並](現・武雄市)
- 武雄村 ← 武雄村[上記を除く]、富岡村[上記を除く]、永島村[永島・花島・溝ノ上](現・武雄市)
- 朝日村 ← 甘久村、中野村、芦原村[元射場]、片白村[二俣](現・武雄市)
- 若木村 ← 川古村、本部村、西松浦郡桃川村[一部](現・武雄市)
- 武内村 ← 三間坂村[大部分]、真手野村(現・武雄市)
- 住吉村 ← 宮野村、大野村(現・武雄市)
- 中通村 ← 鳥海村、犬走村、三間坂村[一部](現・武雄市)
- 西川登村 ← 小田志村、神六村(現・武雄市)
- 東川登村 ← 永野村、袴野村(現・武雄市)
- 橘村 ← 大日村、片白村[二俣を除く]、永島村[永島・花島・溝ノ上を除く]、芦原村[成瀬](現・武雄市)
- 橋下村 ← 大渡村(現・武雄市、白石町)、芦原村[元射場・成瀬を除く](現・武雄市)
- 須古村 ← 堤村、馬洗村、湯崎村(現・白石町)
- 北方村 ← 大崎村、志久村(現・武雄市)
- 大町村 ← 大町村、福母村(現・大町町)
- 小田村 ← 上小田村、下小田村(現・江北町)
- 山口村 ← 山口村[大部分]、八町村(現・江北町)
- 佐留志村 ← 佐留志村、惣領分村(現・江北町)
- 六角村 ← 東郷村、今泉村、廿治村[江越村分・吉村分]、福吉村[大戸・深通](現・白石町)
- 福治村 ← 福田村、福吉村[大戸・深通を除く]、廿治村[南廿治村分・北廿治村分](現・白石町)
- 福富村 ← 福富村、福富下分村(現・白石町)
- 北有明村 ← 築切村、遠江村(現・白石町)
- 南有明村 ← 牛屋村、横手村(現・白石町)
- 錦江村 ← 戸ヶ里村、辺田村、田野上村(現・白石町)
- 竜王村 ← 深浦村、坂田村(現・白石町)
- 山口村の一部が小城郡南多久村の一部となる。
- 明治30年(1897年)6月1日 - 郡制を施行。
- 明治33年(1900年)6月7日 - 武雄村が武雄町に編入。(1町22村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和7年(1932年)4月1日 - 小田村・山口村・佐留志村が合併して江北村が発足。(1町20村)
- 昭和11年(1936年)
- 昭和19年(1944年)4月29日 - 北方村が町制施行して北方町となる。(4町17村)
- 昭和27年(1952年)4月1日 - 江北村が町制施行して江北町となる。(5町16村)
- 昭和29年(1954年)4月1日(4町9村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和35年(1960年)9月1日 - 山内村が町制施行して山内町となる。(5町2村)
- 昭和37年(1962年)10月1日 - 有明村が町制施行して有明町となる。(6町1村)
- 昭和42年(1967年)4月1日 - 福富村が町制施行して福富町となる。(7町)
- 平成17年(2005年)1月1日 - 白石町・福富町・有明町が合併し、改めて白石町が発足。(5町)
- 平成18年(2006年)3月1日 - 山内町・北方町が武雄市と合併し、改めて武雄市が発足、郡より離脱。(3町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和34年 | 昭和35年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
武雄町 | 武雄町 | 昭和29年4月1日 武雄市 |
武雄市 | 平成18年3月1日 武雄市 |
武雄市 | ||
武雄村 | 明治33年6月7日 武雄町に編入 | ||||||
朝日村 | 朝日村 | ||||||
若木村 | 若木村 | ||||||
武内村 | 武内村 | ||||||
東川登村 | 東川登村 | ||||||
西川登村 | 西川登村 | ||||||
橘村 | 橘村 | ||||||
住吉村 | 住吉村 | 昭和29年4月1日 山内村 |
昭和35年9月1日 町制 | ||||
中通村 | 中通村 | ||||||
北方村 | 昭和19年4月29日 町制 |
北方町 | 北方町 | ||||
橋下村 | 橋下村 | 昭和31年4月1日 北方町に編入 (芦原、大渡の一部) | |||||
昭和31年4月1日 白石町に編入 (大渡の一部) |
白石町 | 平成17年1月1日 白石町 |
白石町 | ||||
福治村 | 昭和11年4月1日 町制改称 白石町 |
昭和30年7月20日 白石町 | |||||
須古村 | 須古村 | ||||||
六角村 | 六角村 | ||||||
北有明村 | 北有明村 | 昭和31年7月1日 白石町に編入 | |||||
南有明村 | 南有明村 | 南有明村 | 昭和30年9月30日 有明村 |
昭和37年10月1日 町制 | |||
錦江村 | 錦江村 | 昭和30年4月1日 有明村 | |||||
竜王村 | 竜王村 | ||||||
福富村 | 福富村 | 福富村 | 昭和42年4月1日 町制 | ||||
大町村 | 昭和11年1月1日 町制 |
大町町 | 大町町 | 大町町 | 大町町 | ||
小田村 | 昭和7年4月1日 江北村 |
昭和27年4月1日 町制 |
江北町 | 江北町 | 江北町 | ||
山口村 | |||||||
佐留志村 | |||||||
小城郡 砥川村の一部 |
小城郡 砥川村の一部 |
昭和31年9月30日 江北町に編入 |
行政
- 長崎県杵島郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)10月28日 | |||
明治16年(1883年)5月8日 | 佐賀県に移管 |
- 佐賀県杵島郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治16年(1883年)5月9日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
- 杵島郡長を務めた主な人物
脚注
注釈
出典
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 41 佐賀県、角川書店、1982年3月1日。ISBN 4040014103。
- 旧高旧領取調帳データベース