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杵島郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐賀県杵島郡の位置(1.大町町 2.江北町 3.白石町 薄緑:後に他郡から編入した区域)

杵島郡(きしまぐん)は、佐賀県肥前国)の

人口35,986人、面積135.94km²、人口密度265人/km²。(2024年12月1日、推計人口[注釈 1]

以下の3町を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 武雄市のほぼ全域(若木町大字桃川を除く)
  • 多久市の一部(南多久町大字花祭)
  • 大町町・白石町の全域
  • 江北町の大部分(惣領分の一部を除く)

歴史

古代

杵島郡は、古くは[1]肥前国風土記」「延喜式」などに見えて、「和名抄」では「岐志万」と記す。 景行天皇が九州巡幸[1]した時、この郡にある磐田杵之村(いはたきのむら)に御船を停泊させた。その時、従って来た船の牂戨(かし)の穴から自然と冷水が湧いたため、転じて杵島と呼ばれる。郡は多駄(大陀)・杵島(木之万)・能伊(乃意)・島見(志万美)の4郷である。

中世

鎌倉時代の主な在地領主は、塚崎の後藤氏・武雄社大宮司職を相伝する武雄氏・白石の白石氏[注釈 2]などがある。

室町時代には、同郡では後藤氏が台頭していて、小城郡千葉氏も勢力を伸ばしている。後藤氏は竜造寺氏と長らく対立していたが、龍造寺隆信の三男の家信が養子に入っている。以後、子孫は武雄鍋島家として続く。(肥前武雄領2万1600石(物成8640石)・龍造寺一門)

近世 

江戸時代に全域が佐賀藩領になり、佐賀本藩領と蓮池領が混在していた。

近世以降の沿革

知行 村数 村名
藩領 肥前佐賀藩 48村 上小田村、下小田村、八町村、大町村、佐留志村、惣領分村、山口村、福母村、福田村、福富下分村、福吉村、東郷村、今泉村、廿治村、福富東分村、福富西分村、戸ヶ里村、辺田村、田野上村、坂田村、深浦村、築切村、牛屋村、横手村、遠江村、大崎村、大渡村、馬洗村、湯崎村、堤村、志久村、芦原村、中野村、川古村、富岡村、永島村、武雄村、甘久村、鳥海村、犬走村、袴野村、真手野村、永野村、大野村、神六村、宮野村、三間坂村、小田志村[注釈 3]
肥前蓮池藩 5村 川上村、山中村、上野村、上滝村、成瀬村
佐賀藩・蓮池藩 3村 本部村、大日村、片白村

町村制以降の沿革

1.武雄町 2.武雄村 3.朝日村 4.若木村 5.武内村 6.住吉村 7.中通村 8.西川登村 9.東川登村 10.橘村 11.橋下村 12.須古村 13.北方村 14.大町村 15.小田村 16.山口村 17.佐留志村 18.六角村 19.福治村 20.福富村 21.北有明村 22.南有明村 23.錦江村 24.竜王村(紫:武雄市 橙:江北町 桃:白石町 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町23村)
    • 武雄町 ← 武雄村[柄崎・下西山および竹下・北ノ浦の各一部]、富岡村[富岡・八並](現・武雄市)
    • 武雄村 ← 武雄村[上記を除く]、富岡村[上記を除く]、永島村[永島・花島・溝ノ上](現・武雄市)
    • 朝日村 ← 甘久村、中野村、芦原村[元射場]、片白村[二俣](現・武雄市)
    • 若木村 ← 川古村、本部村、西松浦郡桃川村[一部](現・武雄市)
    • 武内村 ← 三間坂村[大部分]、真手野村(現・武雄市)
    • 住吉村 ← 宮野村、大野村(現・武雄市)
    • 中通村 ← 鳥海村、犬走村、三間坂村[一部](現・武雄市)
    • 西川登村 ← 小田志村、神六村(現・武雄市)
    • 東川登村 ← 永野村、袴野村(現・武雄市)
    • 橘村 ← 大日村、片白村[二俣を除く]、永島村[永島・花島・溝ノ上を除く]、芦原村[成瀬](現・武雄市)
    • 橋下村 ← 大渡村(現・武雄市、白石町)、芦原村[元射場・成瀬を除く](現・武雄市)
    • 須古村 ← 堤村、馬洗村、湯崎村(現・白石町)
    • 北方村 ← 大崎村、志久村(現・武雄市)
    • 大町村 ← 大町村、福母村(現・大町町)
    • 小田村 ← 上小田村、下小田村(現・江北町)
    • 山口村 ← 山口村[大部分]、八町村(現・江北町)
    • 佐留志村 ← 佐留志村、惣領分村(現・江北町)
    • 六角村 ← 東郷村、今泉村、廿治村[江越村分・吉村分]、福吉村[大戸・深通](現・白石町)
    • 福治村 ← 福田村、福吉村[大戸・深通を除く]、廿治村[南廿治村分・北廿治村分](現・白石町)
    • 福富村 ← 福富村、福富下分村(現・白石町)
    • 北有明村 ← 築切村、遠江村(現・白石町)
    • 南有明村 ← 牛屋村、横手村(現・白石町)
    • 錦江村 ← 戸ヶ里村、辺田村、田野上村(現・白石町)
    • 竜王村 ← 深浦村、坂田村(現・白石町)
    • 山口村の一部が小城郡南多久村の一部となる。
  • 明治30年(1897年6月1日 - 郡制を施行。
  • 明治33年(1900年6月7日 - 武雄村が武雄町に編入。(1町22村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和7年(1932年)4月1日 - 小田村・山口村・佐留志村が合併して江北村が発足。(1町20村)
  • 昭和11年(1936年
    • 1月1日 - 大町村が町制施行して大町町となる。(2町19村)
    • 4月1日 - 福治村が町制施行・改称して白石町となる。(3町18村)
  • 昭和19年(1944年4月29日 - 北方村が町制施行して北方町となる。(4町17村)
  • 昭和27年(1952年)4月1日 - 江北村が町制施行して江北町となる。(5町16村)
  • 昭和29年(1954年)4月1日(4町9村)
    • 住吉村・中通村が合併して山内村が発足。
    • 武雄町・朝日村・橘村・若木村・武内村・東川登村・西川登村が合併して武雄市が発足し、郡より離脱。
  • 昭和30年(1955年
    • 4月1日 - 錦江村・竜王村が合併して有明村が発足。(4町8村)
    • 7月20日 - 白石町・六角村・須古村が合併し、改めて白石町が発足。(4町6村)
    • 9月30日 - 南有明村・有明村が合併し、改めて有明村が発足。(4町5村)
  • 昭和31年(1956年
    • 4月1日 - 橋下村が分割し、一部(芦原および大渡の一部)が北方町に、残部(大渡の残部)が白石町にそれぞれ編入。(4町4村)
    • 7月1日 - 北有明村が白石町に編入。(4町3村)
    • 9月30日 - 江北町が小城郡砥川村の一部(下砥川のうち江口・正徳地区)を編入。
  • 昭和35年(1960年9月1日 - 山内村が町制施行して山内町となる。(5町2村)
  • 昭和37年(1962年10月1日 - 有明村が町制施行して有明町となる。(6町1村)
  • 昭和42年(1967年)4月1日 - 福富村が町制施行して福富町となる。(7町)
  • 平成17年(2005年)1月1日 - 白石町・福富町・有明町が合併し、改めて白石町が発足。(5町)
  • 平成18年(2006年3月1日 - 山内町・北方町が武雄市と合併し、改めて武雄市が発足、郡より離脱。(3町)

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和34年 昭和35年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
武雄町 武雄町 昭和29年4月1日
武雄市
武雄市 平成18年3月1日
武雄市
武雄市
武雄村 明治33年6月7日
武雄町に編入
朝日村 朝日村
若木村 若木村
武内村 武内村
東川登村 東川登村
西川登村 西川登村
橘村 橘村
住吉村 住吉村 昭和29年4月1日
山内村
昭和35年9月1日
町制
中通村 中通村
北方村 昭和19年4月29日
町制
北方町 北方町

橋下村 橋下村 昭和31年4月1日
北方町に編入
(芦原、大渡の一部)

昭和31年4月1日
白石町に編入
(大渡の一部)
白石町 平成17年1月1日
白石町
白石町
福治村 昭和11年4月1日
町制改称
白石町
昭和30年7月20日
白石町
須古村 須古村
六角村 六角村
北有明村 北有明村 昭和31年7月1日
白石町に編入
南有明村 南有明村 南有明村 昭和30年9月30日
有明村
昭和37年10月1日
町制
錦江村 錦江村 昭和30年4月1日
有明村
竜王村 竜王村
福富村 福富村 福富村 昭和42年4月1日
町制
大町村 昭和11年1月1日
町制
大町町 大町町 大町町 大町町
小田村 昭和7年4月1日
江北村
昭和27年4月1日
町制
江北町 江北町 江北町
山口村
佐留志村
小城郡
砥川村の一部
小城郡
砥川村の一部
昭和31年9月30日
江北町に編入

行政

長崎県杵島郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)10月28日
明治16年(1883年)5月8日 佐賀県に移管
佐賀県杵島郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治16年(1883年)5月9日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官
杵島郡長を務めた主な人物

脚注

注釈

  1. ^ 江北町には一部境界未定部分あり。
  2. ^ 文永の役の「竹崎季長絵詞」で活躍した白石通泰が有名。
  3. ^ 記載なし。

出典

  1. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』角川書店、1982年、p.245~246。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 41 佐賀県、角川書店、1982年3月1日。ISBN 4040014103 
  • 旧高旧領取調帳データベース