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下益城郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊本県下益城郡の位置(緑:美里町)

下益城郡(しもましきぐん)は、熊本県肥後国)の

人口8,323人、面積144km²、人口密度57.8人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。

  • 熊本市
    • 南区の一部(城南町各町および富合町小岩瀬を除く富合町各町)
  • 宇城市の一部(松橋町各町・小川町各町・豊野町各町)

歴史

江戸時代益城郡上益城郡・下益城郡に分割されて成立。

近世以降の沿革

  • 明治初年時点では全域が肥後熊本藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(1町185村)
大町村、釈迦堂村、高村、蓍町村、坂本村、築地村、出水村、吉野村、今村(現・熊本市)、赤見村[1]、丹生宮村、永村[2]、千原村、平野村、碇村[3]、廻江村、清藤村、志々水村、古閑村(現・熊本市)、西田尻村、北田尻村、三拾町村[4]、三十町中野村[5]、南田尻村、新村、平原村、本札村、阿高村、東阿高村、尾窪村、西塚原村、塚原村、藤山村、鰐瀬村、土鹿野村、陳内村、沈目村、上宮地村、中宮地村、下宮地村、隈庄村、六田村、島田村、西木村、木原村、西木原村、榎津村、東小川村、北小川村、小川町[6]、西小川村、江頭村、河江村、上小野村、中小野村、北小野村、竹崎村、内田村、浦川内村、南萩尾村、北萩尾村、南古保山村、北古保山村、曲野村、松橋村、大野村、久具村、下郷村、下中間村、中間村(現・宇城市松橋町)、豊福村、東海東村、南海東村、北海東村、西海東村、南小川村、南新田村、上江頭村、北新田村、南部田村、北部田村、南小野村、堅志田村、大沢水村、池田村、高木村、上神園村、下神園村、岩下村、萱野村、馬場村、出目村、中小路村、糸石村、巣林村、下江村、中間村(現・宇城市豊野町)、上江村、下上江村、原田村、津留村(現・美里町)、白石野村、小市野村、木早河内村、野中村、中村、松野原村、椿村、下草野村、石原村、小岩野村、長尾野村、大岩野村、小莚村、佐俣村、今村(現・美里町)、坂貫村、小田尾村、九尾村、払川村、坂本村、下安見村、上安見村、山崎村、長野村、常海原村、北村、栗崎村、柑子野村、古閑村(現・美里町)、名越谷村、下田村、田中村、岩尾野村、小長野村、小夏村、原町村、土喰村、早楠村、安懸村、越早津村、一谷村、津留村(現・熊本市)、御前浜村、河原畠村、舞鹿野村、大窪村、目磨村、九折原村、口原村、久立村、内山村、桑木野村、石野村、柏川村、藤木村、夏水村、山出村、戸屋村、下福良村、天ヶ瀬村、桑津留村、福良村、甲佐平村、貫平村、小崎村、用来村、峙原村、庵室村、竹迫村、内園村、迫村、水上村、金木村、岩上村、興正寺村、権正村、北野村、勢井村、大辻村、越早村、硴江村、杉島村[7]、国町村、菰江村、莎崎村[8]
  • 明治初年 - 干拓地に豊崎村・南豊崎村・東松崎村・御船村・砂川村・浅川村・川尻村・住吉村・新田村・新田出村が起立。(1町195村)
  • 明治4年
  • 明治6年(1873年1月15日 - 白川県の管轄となる。
  • 明治7年(1874年)(1町183村)
    • 西田尻村・北田尻村が合併して田尻村となる。
    • 下安見村・上安見村が合併して安見村となる。
    • 三十町中野村が三拾町村に、清藤村が廻江村に、本札村が榎津村に、西塚原村が塚原村に、西木村が島田村に、西木原村が木原村に、上小野村が中小野村に、下中間村が中間村(現・宇城市松橋町)に、上江頭村が江頭村に、古閑村(現・熊本市)が志々水村にそれぞれ合併。
  • 明治8年(1875年
    • 12月10日 - 熊本県(第2次)の管轄となる。
    • 尾窪村が藤山村に、土鹿野村が鰐瀬村にそれぞれ合併。(1町181村)
  • 明治9年(1876年) - 以下の各村の統合が行われる。(1町131村)
  • 千町村 ← 蓍町村、千原村
  • 今吉野村 ← 吉野村、今村(現・熊本市)
  • 坂野村 ← 平野村、坂本村
  • 宮地村 ← 上宮地村、中宮地村
  • 萩尾村 ← 南萩尾村、北萩尾村
  • 古保山村 ← 南古保山村、北古保山村
  • 中郡村 ← 池田村、高木村、上神園村、下神園村
  • 岩野村 ← 石原村、小岩野村、大岩野村、九尾村
  • 三和村 ← 長野村、常海原村、北村
  • 三加村 ← 下田村、田中村、岩尾野村
  • 二和田村 ← 小長野村、小夏村
  • 安部村 ← 安懸村、口原村、久立村
  • 永富村 ← 越早津村、一谷村、津留村、御前浜村、河原畠村、舞鹿野村
  • 境村 ← 目磨村、九折原村
  • 清水村 ← 内山村、桑木野村
  • 洞岳村 ← 藤木村、夏水村、山出村、戸屋村、下福良村、天ヶ瀬村
  • 豊富村 ← 桑津留村、福良村
  • 川越村 ← 貫平村、小崎村、用来村
  • 涌井村 ← 峙原村、庵室村、竹迫村
  • 畝野村 ← 内園村、迫村、水上村、金木村
  • 遠野村 ← 岩上村、興正寺村、権正村、北野村
  • 大井早村 ← 勢井村、大辻村、越早村
  • 西小川村が北小川村に、出目村が馬場村に、下上江村が上江村に、野中村が木早河内村に、小田尾村が坂貫村に、柑子野村が栗崎村にそれぞれ合併。
  • 明治10年(1877年
    • 中間村(現・宇城市松橋町)が改称して両仲間村となる。
    • 下郷村が下江村との区別のために改称して西下郷村となる。
  • 明治12年(1879年)(1町127村)
    • 1月20日 - 郡区町村編制法の熊本県での施行により、行政区画としての下益城郡が発足。「宇土下益城郡役所」が宇土郡宇土町に設置され、同郡とともに管轄。
    • 川尻村・住吉村・新田村・新田出村が南新田村に合併。
    • 北小川村が改称して西北小川村となる。
  • 明治14年(1881年) - 飽田郡小岩瀬村の所属郡が本郡に変更。(1町128村)

町村制以降の沿革

1.松橋町 2.海東村 3.中山村 4.豊野村 5.年祢村 6.守富村 7.東砥用村 8.西砥用村 9.小川町 10.河江村 11.小野部田村 12.隈庄町 13.当尾村 14.豊福村 15.豊川村 16.杉上村 17.杉合村 18.豊田村(紫:熊本市 赤:宇城市 桃:美里町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(3町15村)
    • 松橋町(松橋村が単独町制。現・宇城市)
    • 海東村 ← 西海東村、北海東村、南海東村、東海東村(現・宇城市)
    • 中山村 ← 馬場村、大沢水村、小市野村、萱野村、津留村、中小路村、松野原村、原田村、中郡村、白石野村、堅志田村、木早河内村、岩下村(現・美里町)
    • 豊野村 ← 糸石村、上江村、安見村、中間村、巣林村、下江村、山崎村(現・宇城市)
    • 年祢村 ← 岩野村、中村、下草野村、佐俣村、椿村、長尾野村、今村、払川村、小莚村、坂貫村、坂本村(現・美里町)
    • 守富村 ← 榎津村、志々水村、平原村、田尻村、廻江村、南田尻村、新村、三拾町村、木原村(現・熊本市)
    • 東砥用村 ← 遠野村、川越村、洞岳村、大井早村、畝野村、豊富村、甲佐平村、涌井村(現・美里町)
    • 西砥用村 ← 永富村、古閑村、名越谷村、三加村、境村、大窪村、原町村、早楠村、二和田村、清水村、安部村、土喰村、栗崎村、三和村、石野村、柏川村(現・美里町)
    • 小川町 ← 小川町、西北小川村、南小川村、東小川村(現・宇城市)
    • 河江村 ← 河江村、南新田村、北新田村、江頭村(現・宇城市)
    • 小野部田村 ← 南小野村、北小野村、北部田村、南部田村、中小野村(現・宇城市)
    • 隈庄町 ← 隈庄村、宮地村、下宮地村、島田村、六田村(現・熊本市)
    • 当尾村 ← 古保山村、曲野村、久具村、大野村、萩尾村、浦川内村(現・宇城市)
    • 豊福村 ← 豊福村、内田村、両仲間村、竹崎村、西下郷村(現・宇城市)
    • 豊川村 ← 豊崎村、南豊崎村、東松崎村、御舟村、砂川村、浅川村(現・宇城市)
    • 杉上村 ← 千町村、今吉野村、碇村、坂野村、永村、高村、出水村、丹生宮村、赤見村、築地村(現・熊本市)
    • 杉合村 ← 杉島村、大町村、莎崎村、釈迦堂村、硴江村、菰江村、小岩瀬村、国町村(現・熊本市)
    • 豊田村 ← 塚原村、鰐瀬村、沈目村、東阿高村、陳内村、藤山村、阿高村(現・熊本市)
  • 明治29年(1896年6月1日 - 郡制を施行。郡役所が松橋町に設置。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正13年(1924年)4月1日 - 西砥用村が町制施行して砥用町となる。(4町14村)
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和29年(1954年12月1日 - 豊福村・豊川村・当尾村が松橋町に編入。(4町11村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 中山村・年禰村が合併して中央村が発足。(4町10村)
    • 3月1日 - 杉上村・隈庄町・豊田村が合併して城南町が発足。(4町8村)
    • 4月1日(4町5村)
      • 河江村・小野部田村が合併して益南村が発足。
      • 守富村・杉合村が合併して富合村が発足。
      • 砥用町・東砥用村が合併し、改めて砥用町が発足。
    • 7月10日 - 中央村の一部(今・坂貫・下草野および岩野の一部[9])が砥用町に編入。
  • 昭和33年(1958年3月31日 - 小川町・益南村・海東村が合併し、改めて小川町が発足。(4町3村)
  • 昭和46年(1971年8月1日 - 富合村が町制施行して富合町となる。(5町2村)
  • 昭和50年(1975年)1月1日 - 中央村が町制施行して中央町となる。(6町1村)
  • 平成2年(1990年)3月1日 - 松橋町と豊野村が境界変更。
  • 平成12年(2000年)7月1日 - 豊野村が町制施行して豊野町となる。(7町)
  • 平成16年(2004年11月1日 - 中央町・砥用町が合併して美里町が発足。(6町)
  • 平成17年(2005年1月15日 - 松橋町・小川町・豊野町が宇土郡三角町不知火町と合併して宇城市が発足し、郡より離脱。(3町)
  • 平成20年(2008年10月6日 - 富合町が熊本市に編入。(2町)
  • 平成22年(2010年3月23日 - 城南町が熊本市に編入。(1町)

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和63年 平成元年 - 現在 現在
松橋町 松橋町 昭和29年12月1日
松橋町
松橋町 松橋町 平成17年1月15日
宇城市の一部
宇城市
当尾村 当尾村
豊福村 豊福村
豊川村 豊川村
小川町 小川町 小川町 小川町 昭和33年3月31日
小川町
小川町
海東村 海東村 海東村 海東村
河江村 河江村 河江村 昭和30年4月1日
益南村
小野部田村 小野部田村 小野部田村
豊野村 豊野村 豊野村 豊野村 平成12年7月1日
町制
守富村 守富村 守富村 昭和30年4月1日
富合村
昭和46年8月1日
町制
富合町 平成20年10月6日
熊本市に編入
熊本市
杉合村 杉合村 杉合村
隈庄町 隈庄町 隈庄町 昭和30年3月1日
城南町
城南町 平成22年3月23日
熊本市に編入
杉上村 杉上村 杉上村
豊田村 豊田村 豊田村
西砥用村 大正13年4月1日
町制改称
砥用町
砥用町 昭和30年4月1日
砥用町
平成16年11月1日
美里町
美里町
東砥用村 東砥用村 東砥用村
中山村 中山村 中山村 昭和30年1月1日
中央村
昭和50年9月1日
町制
年禰村 年禰村 年禰村

行政

宇土・下益城郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年)1月20日
明治29年(1896年)3月31日 廃官
歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治29年(1896年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 上赤見村・下赤見村に分かれて記載。
  2. ^ 北長村・南長村に分かれて記載。
  3. ^ 上碇村・下碇村に分かれて記載。
  4. ^ 記載は卅町村。
  5. ^ 記載は卅町中野村。
  6. ^ 記載は小川村。
  7. ^ 杉島村・上杉島村に分かれて記載。
  8. ^ 莎崎村・下莎崎村に分かれて記載。
  9. ^ 字長田・大谷・加倉・前畑・前平・津加峰・野中・竹の谷。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 43 熊本県、角川書店、1987年11月1日。ISBN 4040014308 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目