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三浦虎雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三浦虎雄

三浦 虎雄(みうら とらお、1883年明治16年)5月19日[1] - 1957年昭和32年)1月14日[2])は、日本の政治家厚生政務次官衆議院議員立憲民政党国民同盟東方会)、延岡市長を歴任した。

経歴

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宮崎県東臼杵郡恒富村(現在の延岡市)出身の軍医監・衆議院議員三浦得一郎の長男として生まれる。1901年(明治34年)福岡県立中学修猷館を経て[3]1909年(明治42年)京都帝国大学法科大学政治学科を卒業し[4]外務省嘱託を経て、1910年(明治43年)に海軍主計中尉に任官した[5]1925年大正14年)、主計中佐で予備役となる。その間、日独戦争シベリア出兵に従軍した[6]

1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回まで5回当選を果たした。その間、1931年(昭和6年)には安達謙蔵らとともに民政党を離党[7]して国民同盟結成に参加。阿部内閣で厚生政務次官を務め、1941年(昭和16年)から1946年(昭和21年)まで延岡市長を務めた。

戦後、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となり[8]、追放解除後の1952年(昭和27年)から1956年(昭和31年)まで再度延岡市長を務めた。1956年(昭和31年)の第4回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補したが落選した[9]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、34頁。
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員4頁
  4. ^ 『京都帝国大学一覧(從明治42年至明治43年)』(京都帝国大学、1910年)328頁
  5. ^ 『人事興信録』
  6. ^ 『衆議院要覧』
  7. ^ 安達、富田、中野の三人が脱党『東京朝日新聞』昭和6年12月13日(『昭和ニュース事典第3巻 昭和6年-昭和7年』本編p720 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  8. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、350頁。NDLJP:1276156 
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』547頁。

参考文献

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  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。