田中隆三 (政治家)
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田中 隆三 たなか りゅうぞう | |
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生年月日 |
1864年11月14日 (元治元年10月15日) |
出生地 |
日本 久保田藩 江戸幕府 |
没年月日 | 1940年12月6日(76歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学英法科[1] |
所属政党 | (立憲政友会)→立憲民政党 |
称号 |
従二位 勲一等旭日大綬章 |
第39代文部大臣 | |
内閣 |
濱口内閣 第2次若槻内閣 |
在任期間 | 1929年11月29日 - 1931年4月14日 |
田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日(元治元年10月15日) - 1940年(昭和15年)12月6日[1])は、明治から昭和初期の農商務官僚・政治家である。衆議院議員[1]。文部大臣[1]。族籍は秋田県士族[2]。
経歴
[編集]出羽国楢山(のち秋田県秋田市)出身。田中隆世の長男[2]。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)、大学予備門、1889年7月に帝国大学法科大学卒業。農商務省鉱山局長・農商務次官を経て、その後実業界に入り秋田鉱山専門学校(現秋田大学工学資源学部)の設立に尽力した。ついで政界に転じ、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で当選した。濱口内閣・第2次若槻内閣で文部大臣を務め、議員を7期務めて1932年(昭和7年)に引退した。所属政党は当初政友会であったが、のちに民政党に移った。
引退後は終生枢密顧問官を務めた。
人物
[編集]親族
[編集]長男隆一郎の岳父に小坂善之助。娘昭子の舅に梅原龍三郎。[3]
栄典
[編集]- 位階
- 1891年(明治24年)12月11日 - 正七位[4]
- 1892年(明治25年)4月18日 - 従六位[4]
- 1896年(明治29年)11月20日 - 正六位[4]
- 1899年(明治32年)2月20日 - 従五位[4]
- 1901年(明治34年)4月20日 - 正五位[4]
- 1907年(明治40年)12月10日 - 従四位[4][5]
- 1929年(昭和4年)12月2日 - 従三位[4][6]
- 1931年(昭和6年)12月12日 - 正三位[4]
- 1940年(昭和15年)12月6日 - 従二位[4][7]
- 勲章等
- 1903年(明治36年)12月26日 - 勲四等瑞宝章[4][8]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等瑞宝章[4][9]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章(大正)[4]
- 1916年(大正5年)4月1日 - 旭日中綬章[4]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 金杯一個[4]
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)6月12日 - 金杯一個[4]
- 1924年(大正13年)5月21日 - 勲二等瑞宝章[4]
- 1928年(昭和3年)11月10日 - 金杯一個[4]
- 1931年(昭和6年)3月11日 - 勲一等瑞宝章[4][11]
- 1934年(昭和9年)4月29日 - 旭日大綬章・昭和六年乃至九年事変従軍記章[4]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[12]
著書
[編集]- 『教育勅語の御精神を拝察し奉りて』 (田中隆三)
- 『最新電気機関車工学』 (田中隆三)
- 『實用電氣機關車技術要覽 : 問答式』 (田中隆三)
- 『鉱業行政ニ就テ 鉱業法ノ論評』 (田中隆三、和田維四郎)
- 『鉱業行政一斑 全国諸鉱山同盟諸職工慈善共済会ノ設立ヲ望ム 職夫共済組合規約等』(田中隆三、沖龍雄、笠原鷲太郎)
- 『湘南電車の解説』 電気車研究会(発行人: 田中隆三)
- 『日本の鉄道』(石田靖一、田中隆三)
- 『新編電気機関車読本』(田中隆三)
- 『実用電気機関車工学』(田中隆三)
- 『鉱業法釈義』(宮部準次、田中隆三)
脚注
[編集]- ^ a b c d e 田中 隆三とはコトバンク。2019年2月15日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』タ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月15日閲覧。
- ^ 『現代の系譜 日本を動かす人々』、東京中日新聞出版局、1965、p275
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 「田中隆三」 アジア歴史資料センター Ref.A06051180600
- ^ 『官報』第7337号「叙任及辞令」1907年12月11日。
- ^ 『官報』第883号「叙任及辞令」1929年12月7日。
- ^ 『官報』第4179号「叙任及辞令」1940年12月10日。
- ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
公職 | ||
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先代 小橋一太 |
航空評議会会長 1929年 - 1931年 |
次代 鳩山一郎 |
先代 (新設) |
臨時ローマ字調査会会長 1930年 - 1931年 |
次代 鳩山一郎 |
先代 犬塚勝太郎 |
農商務次官 1920年 - 1922年 |
次代 岡本英太郎 |
先代 宮内国太郎 農商務省特許局長 |
特許局長官 1922年 |
次代 中川友次郎 |