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熊谷五右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊谷五右衛門

熊谷 五右衛門(五右衞門、くまがい ごうえもん[1] / ごえもん[2]1865年7月25日(慶応元年6月3日[3][4])- 1942年昭和17年)9月1日[2][5])は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家衆議院議員

経歴

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越前国坂井郡熊坂村(福井県坂井郡坪江村[6][7]金津町熊坂[1]を経て現あわら市熊坂)で、先代・熊谷五右衛門の長男として生まれる[4][8]。農業を営む[2][6][8][9]。1880年(明治13年)7月、家督を相続した[4]

坪江村会議員、坪江村長、坂井郡会議員、丸岡町長を務めた[1][2][4][6][7][8]。1893年(明治26年)福井県会議員に選出され通算17年在任し、杉田定一系の中心として活動し[9]、参事会員、副議長、議長も務めた[1][4][6][7][8][9]。この間、九頭竜川の改修に尽力した[1]

1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福井県郡部から出馬して当選した[1][2][4]。その後、第13回第15回第16回第18回から第20回総選挙まで当選し、衆議院議員に通算7期在任した[1][2]。この間、北陸本線(現在のハピラインふくい線)の牛ノ谷駅春江駅の新規設置に尽力し[1]、衆議院全院委員長、立憲民政党相談役などを務めた[1][8]

その他、福井日報社長、福井地方森林会議員なども務めた[2][7][9]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『福井県大百科事典』283頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』229頁。
  3. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、33頁。
  4. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』く41頁。
  5. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』221頁。
  6. ^ a b c d 『内外福井県人士録 第1巻』60頁。
  7. ^ a b c d 『粛正選挙代議士名鑑』105頁。
  8. ^ a b c d e 『大衆人事録 昭和3年版』ク54頁。
  9. ^ a b c d 『新代議士名鑑』215頁。

参考文献

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  • 『内外福井県人士録 第1巻』福井黎明雑誌社、1922年。
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、1927年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。